8.事故で触れた唇

薄暗い倉庫で折り重なるようにして倒れ込む私と同僚の彼。

必要な資料の場所を聞かれて一緒にやって来た倉庫で起きたハプニング。

同僚の止める声にも大丈夫だと脚立に上がって資料を手に取り、同僚に手渡そうとしてバランスを崩した。脚立から足も踏み外し落ちる私を受け止めようとしてくれた同僚に反射的に腕を伸ばして床へと一緒に倒れ込む。気づけば至近距離にある同僚の顔と唇に触れる何か。それが何なのかはすぐに理解した。


「ご、ごめんなさい!」


慌てて体を起こして立ち上がる。

同僚の顔は見れないけれど、私の顔が真っ赤になっているだろうことだけは分かった。

なんてベタな展開。こんなの漫画やドラマでしか起こりえないことだと思ってた。

どうしよう、彼になんて謝れば。既に1度謝罪の言葉は口にしたものの何とも思っていない相手とのキスなんて事故とはいえ、1回の謝罪で足りるものではない。


「あ、あの……っ」


とにかくもう1度謝ろうと同僚の方を向いた時、彼は私から顔を背けた。これは物凄く怒らせてしまったのではないか、もしかしたら同僚には彼女がいてとんでもないことをしてしまったのではないか、私とのキスなんて気持ち悪いと顔を背けたのではないか。いろんな想像をしてどうしていいか分からなくなった。


「……別に、気にすんな」

「え……」

「んなもん、ただの事故だろ。悪かったな、ちゃんと受け止めてやれなくて」


そう言いながらも同僚は顔を背けたまま私の方を見ようとはしなかった。もしかしたら最悪の出来事だけど今後も接する同僚としてかなり気を使ってくれてるのかもしれない。そう思ったらやっぱり謝れずにはいられなくて、私の顔なんて見たくないかもしれないけれどちゃんと顔を見て頭を下げなければと同僚の前に回り込んだ。


「あのっ、本当にごめんなさ──え……」

「見んな」

「わっ」


頭を掴まれて視線を下に下げられる。

けれど、その直前に見えた同僚の顔。たくさんの棚に遮られながら僅かに届く明かりが照らした同僚の顔は微かに赤くなっていた。

頭に乗せられた手にはもう差程力は入っておらず、恐る恐ると顔を上げる。


「見んなっつってんだろ」

「……赤い」

「うるせ」


そう言って顔を背ける同僚に私は思わず噴き出していた。


「おま……っ」

「ご、ごめん……っ、ふふ……だって、そんな風に赤くなってるなんて思ってもみなかったから」

「余裕じゃねぇか、さっきまで真っ赤だったくせによ」

「そ、そりゃ……まぁ……あんなことがあれば……」


言われて口ごもる私に同僚は黙り込む。どうしたのだろうと見上げれば同僚は難しい表情を浮かべていた。


「……悪かったな」

「え?」

「好きでもねぇ男とあんなん嫌だったろ」


悪いのは私だと言うのに同僚は責任を感じてくれているのだろうか。

けれど、と触れた唇を思い出して考える。戸惑いや羞恥はあったものの決して嫌悪感を感じるようなものではなかった。つまり別に嫌ではなかったのだ。

とは言え嫌ではなかったと伝えるのは誤解を生みそうで躊躇われる。それでも酷く申し訳なさそうな表情を浮かべているからそのままにはしておけなくて。


「あの、変な意味ではないけどさ……その、別に嫌とかそんなのはなかったから大丈夫。む、むしろ私のせいだしね! 私こそホントごめん!」


口にしててだんだんと気恥ずかしくなって誤魔化すように笑う。そんな私に同僚は目を丸くして、ホッと安堵したような表情で笑った。


「ならよかった」


そう言って「そろそろ戻るか」と倉庫を出ていこうとする同僚の背をぼんやりと見つめていると「どうした?」と私を振り返った。そんな同僚を「なんでもない」と首を振って追いかける。

何だかやけに心臓がうるさい気がしたけれど、今はまだそれに気付かないふりをした。

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