夏が燻る

けんこや

夏が燻る


 夏がくすぶる。


 真夏の太陽が、音もなく頭上を通り過ぎてゆく。


 哲哉はベットに転がりながら、窓の外に広がる青空を忌々しくにらみつけた。


 8月に入ってからはや2週間が過ぎた。その間、哲哉は家から一歩も外に出ずに毎日を過ごしている。


 二十歳の夏。


 一生に一度しかない青春の夏休みなのに、それがこんなにも絶望的な状況になってしまうとはいったい誰が予想しただろう。



 丸々一年間、予備校の机にしがみつくようにしてようやく勝ち得た第一志望校、東京での新生活、夢にまでみた学舎。


 しかしその門をくぐったのは、入学式という名目で定められた一日だけ。


 それもよくある講堂でのセレモニー的なことは一切なく、閑散とした校内の決められた順路を、他の新入生と距離を取りながら歩き、事務局で簡単な手続きを済ませて終わった。


 そうした手順をオンラインで済ませることも可能だったが、せっかくの機会だったので大学生になったという気分だけでも味わいたくて、わざわざ新幹線で足を運んだのだった。


 その時はまだ、新幹線で県をまたぐ移動も可能だった。


 その時も緊急事態宣言が出ていたが、それもせいぜい一過性のものだろうといった風潮で、人々は街を自由に歩いていたし、飲食店も営業時間や酒類の提供などの規制程度だった。


 正直、哲哉自身も、GWを過ぎるころには大学の授業も再開し、晴れて都内での一人暮らしが始まるだろうと安易に考えていたのだった。


 ところがコロナの猛威はその後も収まることはなく、いよいよその凄まじい本領を発揮し始めた。





 2021年4月下旬に都内で発生した国内原種の変異株は世の中を一変させた。


 新種株は驚異的な感染力で全国に広がり、感染者を爆発的に加速させた。


 何よりも恐ろしいのはその、四割に達する程の圧倒的な致死率だった。


 医療はまたたく間に崩壊し、自宅で、誰の手にもかからないまま命を失う感染者が続出した。


 政府から発表される統計はほとんど意味をなさず、日々の死者数が1万人を超えたところで、もはや正確な感染者がどれほどなのか推測の域を出なくなった。


 飲食店は一切の営業活動を禁じられた。


 外出はことごとく制限され、物流と医療関係以外の交通機関の利用が出来なくなり、やがて人々の移動を伴う活動は、最低限のライフラインを保つための公共サービスに関する行動以外は認められなくなった。


 当然、オリンピックは中止になった。


 それどころか、日本という国全体が世界から隔離されるような状況になってしまった。



 哲哉の周りにも訃報が相次いだ。


 中学時代の部活の顧問がコロナで亡くなったと聞いたのが2か月前。


 それから近所の高齢者、同級生の両親、そして友人の中にも永久に会うことが出来なくなってしまった者があらわれた。


 そうした状況に不思議さを感じなくなってきたころに、お父さんが単身赴任先で帰らぬ人となった。





 お父さんに最後に会ったのは、3月半ばに自宅で行った哲哉の合格祝いの時だった。


 一緒にビールを飲んで、顔を真っ赤にしながら、まるで自分のことのように喜んでいた笑顔を見たのが最後だった。


 すでに会社も在宅ワークだったはずなのに、お父さんは律儀に勤務地に戻り、そして再び帰ってくることが出来なかった。


 単身赴任中のお父さんがどういう風に生活をしていたのかはよく分からない。


 独り暮らしの中年男性が狭いワンルームから一歩も出ずに在宅勤務を続けていたのかどうか、今となっては知る由もない。


 ただ、お父さんはまんまとコロナに感染してしまい、そしてアパートでたいした治療を受けることできずに、一人寂しく息を引き取った。

 

 そういう事例は決して珍しくなかった。


 遺体は保健所や医療機関の手によって火葬され、お骨は埋葬されず、未だに役所に保管されているという。


 数か月間、全く会うことができないまま、お父さんは煙のように、この世からふうっと存在を消してしまった。


 そして一週間ほど前、お母さんが看護師として勤務している病院でコロナに感染していることが分かり、そのまま施設内に入院となった。





 お母さんの容体は良くないらしかった。


 最後にラインが届いたのは3日前、『食器洗浄機の洗剤がそろそろ無くなると思うから補充しておくように』といった内容だった。


 その後しばらくしてから病院から電話があり、お母さんがこん睡状態になったことを告げられた。


 この変異株の特徴として、重症化した場合の生存率が極めて低かった。


 目の前の現実ががらがらと崩壊してゆくような気分。


 検査キットで行った哲哉のPCR検査は陰性で、幸いにも家族内感染は免れていたが、この先、この年で両親をともに失ってしまうことになる、そんな現実はあまりにも直視できるものではなかった。

 

 言いようもない絶望感の中で、一日、また一日と時が過ぎていった。

 

 その間も病院から来る定期的な連絡の中には、母親の容体に明るい兆しを伝える内容はなかった。

 


『万全の手を尽くしている。』


『ただ、これ以上の手を打ちようがない。』


『あとはきみのお母さんの生命力に少しでも期待したい…。』



 そんな内容のメールが続き、もう、このまま再びお母さんに会うことはないだろうと覚悟を決めたその日の夜、哲哉は不思議な夢を見た。





 それは素晴らしい夢だった。


 哲哉はリビングでテレビを見ている。

 

 そしてテレビでは連日のようにオリンピックの熱戦を伝えていた。


 日本勢の活躍は素晴らしく、お家芸の柔道で次々と金メダルを獲得し、卓球では水谷選手と伊藤選手がダブルスで大逆転劇を見せた後に世界を制し、体操で、レスリングで、ソフトボールで、更に新種目の予定だったスケートボードで、日本人が素晴らしい活躍を見せ、興奮と感動の渦を巻き起こしていた。


 どの競技も観客の姿はなく、そして皆が折々マスクをしていて、それがコロナ禍の中での開催であることを物語っていた。


 お父さんもお母さんも一緒に応援をしていた。


 単身赴任のはずのお父さんがなぜか家で在宅ワークをしていることになっている、でもほとんど仕事そっちのけで真っ昼間から哲哉と一緒にオリンピックを観戦していて、哲哉が何か言うと、ばかっ仕事とオリンピックとどっちが大事なんだとかなんとか言っている、その言い方は紛れもなく往年のお父さんそのものだった。


 とくに野球の決勝戦では9回裏を見事に抑え込み、日本の金メダルが確定した瞬間、既にビールを何本も開けていたお父さんは万歳をしながら部屋を走り回り、哲哉はお母さんと半ばあきれながら、でも日本の勝利はやっぱりうれしくて、嬉しすぎて訳の分からなくなっているお父さんと何度も何度もハイタッチを続けていた。


 何度も、何度も、ハイタッチを続け、乾杯をして、喜びがいつまでも収まらなかった。





 目が覚めると、まだ夜明け前だった。


 哲哉は涙を流していた。



 美しい夢だった。


 そのまま夢の中に没入してしまいたくなるような愛おしい光に包まれた夢だった。

 


 お父さんもお母さんも元気だった。

 

 元気なままの、いつものままの、お父さんとお母さんがそこにいた。


 もしかするとこんな現実が世界のどこかに存在しているのではないかと疑いたくなるような、妙な現実感のある夢でもあった。



 哲哉は再び目を閉じた。

 

 もう一度、あの夢の中に戻りたい、そんな思いで枕に顔をうずめた。


 だけど、日がな一日寝て過ごしているような毎日だったせいか、まったく寝付くことが出来なかった。


 哲哉は暗がりの中、そっとその身を引き起こした。




 

 玄関を開けると、夜明け前の涼やかな風が吹き込んだ。


 久しぶりの外の空気だった。


 哲哉はサンダルをつっかけると外へ歩き出した。


 暗く、闇の中に沈んだような住宅地をぬけ、公園をつっきり、田畑をつらぬく田舎道を、あてもなく歩いた。


 マスクもせず、着の身着のまま、哲哉は堂々と歩き続けた。


 どこに行ってどうこうしようというわけでもなかった。


 ただ、気持ちの整理がつかなかった。



 さっき見た夢。


 元気に笑っていたお父さん、お母さん。


 また涙が滲んできた。



 遠くで、救急車のサイレンが鳴り響いているのが聞こえてきた。



 どうしてこんな世の中になってしまったのだろう。


 このまま父も母も失い、次々と人が死んでいき、世界はゆっくりと終わりを告げようとしているのかもしれない。



 哲哉は何もかもばからしくなってきて、思いっきり外気を吸い込んだ。


 いっそ自分も感染してしまえばいい。


 そして誰にも看取られずにボロボロになってくたばってしまえばいいんだ。


 そんなやぶれかぶれな気持ちで深呼吸を繰り返しているうちに、ふと、ポケットの中のスマホが鳴った。


 お母さんの入院している病院のスタッフから、メールが届いていた。





 恐る恐る画面をタップし、メールを開いた。



『お母さんが意識を取り戻した。』


 とあった。



『容体は少しづつ改善している。』


『大きな峠を越えたので、おそらく今後回復に向かってゆくだろう。』


 と書かれていた。



 まだ明け方前なのに、病院のスタッフは全力を尽くしてでお母さんの命を守り、つないでいる。



 哲哉は空を仰ぎ見た。


 空は少しづつ明るみを増し、深い青色が世界全体を美しく染め上げていた。



 世界は美しい。



 と、哲哉は生まれて初めて気づかされたかのような気がした。



 ふと、受験の時に読んだ、オリンピックに関する一説が頭に浮かんだ。


 それは昔の小説家が体験した、学徒出陣の壮行会と東京オリンピックの開会式が同じ場所で行われていることの感慨を綴ったものだった。



“祝福にみち、光と色彩に飾られたきょうが、いかなる明日につながるか、予想はだれにもつかない…


 私たちにあるのは、きょうをきょうの美しさのまま、なんとしてもあすへつなげなければならないとする祈りだけだ…”




 もしかすると、自分たちが生きているこの絶望的なきょうも、過去のひとりひとりの行動や判断の積み重ねによっては、さっき見た夢のような、美しい光景へとつなげることが出来たのかもしれない。



 いや、そうじゃない。



 過去、誰が何をしたかじゃない。


 今、自分が何をどうしているかだ。



 世界は今日も美しい。


 この美しさを、この美しさのまま、あすへとつないでゆくために、自分たちにできることはなんだろう。



 哲哉は急に、自分がマスクをせずに戸外を平然と歩き出してしまったことを情けなく思い始めた。


 それから白み始めた路上を自宅へと引き返しながら、これから始まるきょうをいかにするべきかを真剣に考え始めていた。



夏が燻る 終わり



 


 


 

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夏が燻る けんこや @kencoya

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