第2話
うつむくと、首には例の四角い板がかかっている。恐怖とともに、それを軍隊の一人にさしだした。
緊張が走る。正直生きた心地がしない。軍隊の一人が差し出した板と、私の板はピタリとはまる。
銃を下すと、顎をしゃくり行けといわんばかりに、そいつは手を振った。
こいつらの気が変わらないうちに私は、足早に立ち去ることにした。何かがおかしい。どこか狂っている気がした。
皆、自分のやること以外は気にしていない。何も変わらず働き続けている。
誰が死んでも気にもせず、自分の仕事を繰り返しているのだ。
ふらふらとうろつくと、工場は思ったよりも広く、いくつものブロックに分かれているようだった。
どこに行っても、皆自分の仕事を繰り返していて、私を気にする人はいない。
軍隊の隊員がたまにうろついていたが、割符が合うと何もせず去っていった。喰屍鬼は死体にしか興味がないらしく、すれ違っても私に見向きもしない。
作業員の隙間をくぐるように、工場内に分れている別の区画に入り込んだ。
区間の扉は、開け放たれており、自由に行き来できるようだ。
別の区間では汚物処理を行っているらしい。刺激臭と腐敗臭が充満していた。
床に絶え間なく張り巡らされたパイプから汚水が流れ込み、区間の大半を占める浄化槽に注ぎ込まれていた。
汚水が槽に満ちたところで、パイプのバルブを作業員が閉める。
違う作業員が台車で運び込んだ薬品を、汚水に注ぎ込んだ。
みるみる汚水が透き通っていく。
浄化が終わった水を作業員がくみ上げて、外に通じているであろうパイプの穴に流し込んでいる。
水がくみ終わると、今度はまた汚水のバルブが開けられる。
明らかに毒と思われる刺激臭のする汚水が、浄化槽に注ぎ込まれ、同じように薬品が注ぎ込まれた。
においだけでも頭がおかしくなりそうだったが、作業員は何もいわず同じ仕事を繰り返している。
休みもとらず、一心不乱に働き力尽きた作業員は、自分で壁に頭をぶつけて自殺し、喰屍鬼に喰われてしまった。
作業員は一人減ったら、どこともなく補充され、人数が減らない。
まったく、容姿も変わらない。まるで死人が生き返ったかの様だった。
働いている人たちに、白い塊のようなものを配っている者もいる。
配られた錠剤のようなそれを、彼らは口に放り込むと物言わず作業に戻った。
私にも手渡されたので、いびつな形の手のひらに載る位の白い塊を、口に放り込んでみた。甘い味とともに活力が戻った気がした。どうやら、栄養剤か何かの様だった。
栄養剤を配っている作業員を追っかけてみると、どうやら工場の中に倉庫の区画があり、そこに栄養剤が溜められているようだった。
自分の背丈位の箱の中に、先ほどの栄養剤がつまっている。それがさらに何十個もうず高く積み上げられていた。
例によって作業員が、箱を運び出したり、積み上げたりしている。私に注視しているものは誰もいなかった。
こっそり、何個か白い栄養剤をくすねておく。
ここでも何度も作業員に話かけてみたが、皆うつろな目でこちらを見もしなかった。
私はあてどなく、工場をうろついた。どの作業員も様子は同じだった。
特に忙しかったのは、汚物処理の区画だった。絶え間なく腐敗臭のする汚水が、外部からつながるパイプから流れ込み、てんやわんやの感じで、作業員たちが汚水をくみあげ、浄化槽に放り込んでいく。
例の白い錠剤を配る作業員(仮に衛生員とよぶことにした)も目まぐるしく走り回っている。衛生員は、錠剤を配るだけでなく、作業員の汚れた衣服を取り換えたり、排泄物を持ち去ったりしていた。
あまりにも作業員が充満しているためか、息苦しくなってきた。
そのうち、衛生員の何人かが、酸素ボンベをもってきて、酸素を供給し始める。酸素濃度を一定にする係もいるようだ。吸気装置で汚れた空気を吸い取りボンベで運んでいく姿も見える。外界との空気交換がうまくいっていないのだろう。回りくどいやり方で換気しているようだ。
この区画の広さは、壁を背にして、向こうの壁が遠く見えるくらいだが、その中に作業員やら、衛生員やらが入り混じっている。
なかには、発狂するものいて、即座に喰屍鬼にくわれてしまっていた。
ふと考えて、何度も何度も汚水を運び、浄化槽の近くに倒れ込んだ一人の作業員に声をかけた。
完全に狂ってしまう前なら、話が通じるかもしれないと思ったのだ。
「大丈夫ですか? 少し休んだ方がいいのでは?」
私は倒れた作業員に駆け寄り、自分で立ち上がる前に抱き上げ、ゆっくりと声をかけた。恐ろしく軽い体だった。相変わらず、焦点の合わない目をしていたが、やがてまっすぐに私を見た。
「……。君は誰だ?」作業員が口を聞いた。
「私もわからないんだ」ようやく、話ができるものに出会い、私の心は喜びに満たされた。
軍隊が来たらまずいので、私は作業員を工場の隅に運んだ。
「ここの人はなぜ、自分の命も顧みずに働き続けるんだろう?」
くすねておいた白い錠剤を口に放り込んでやると、人心地ついたのか、わずかな溜息をついた。
作業員はふらつくように立ち上がると、こちらを見た。
「何故? そんな事考えたこともなかったな? 一体どうしてなんだろうか?」
首を傾げ、その作業員は答えた。どうやら、自分でも理解できないで働いていたようだ。
わけもわからず、重労働を科され、用が済んだら喰われてしまうのだ。しかもその理由すら当の本人はわからないという。私はこんなのはまっぴらだった。
世界に、これほどの不幸があるだろうか?
そうだ。自分の使命は彼らを救う事に違いない。そんなことが天啓のように脳裏にひらめいた。
「もう、意味もなく働くのはやめよう。ここは何かおかしい。この工場の外に逃げよう」
私の呼びかけに、その作業員は頷く。
その表情は、今までのロボットのような感じではなく、感情がもどったかのようだった。
「逃げるのは、君だけにしてくれ。私はまだこの工場に残り、他のやつらにも呼びかけてみる」
決意のこもった眼差しで見つめられる。よもや、またただの作業員に戻ることはないだろう。
「わかった。ここは君に任せる。私は外にでる。又きっと戻ってくる」
私たちは固い握手を重ねる。最初の仲間の誕生だった。
「どうやら、ここのパイプは外に通じているらしい」
工場の中を縦断するパイプのもっとも大きなそれをたどる。
パイプをたどっていくと、最後には水に満たされた一角にたどり着いた。
どうやら、船着場らしい。数人のりの小舟が、何艘か、停泊していた。
船着場には浄化槽で、綺麗になった水がながれこんでいて、水底が見えるくらいに透き通っていた。
あの中の一船を盗めば、外に出られるだろう。
どうやら、軍隊や、衛生員も船で工場を出入りしているらしい。忌々しい喰屍鬼の姿も見える。どうやらここは、出口専用のようだった。大きな赤いパイプの入り口が見える。太さは私の二十人分以上はある。水の流れから工場から出る専用のようだった。
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