我が名は『C』

海青猫

第1話

 気が付いたら、見知らぬ場所にいた。

 考えても、自分が何者であるかもわからなかった。まるで今、意識に目覚めたかのようにも思える。

 ぼんやりと、どことも知れない場所に突っ立っていた。

 自分の服装は、味も素っ気もないような白い作業着で、新品のように染み一つなかった。

 記憶を思い返すと、何か使命のようなものがあるようにも思えた。

 それが何であるかは、霧の中を覗くようにわからない。周りに存在するもの名称は大体わかる。生きるに必要な最低限の知識はあるようだ。しかし自分が何者であるか? それはいくら考えてもわからない。

 ふと、首に違和感を覚えた。紐のようなものが掛けられているのがわかる

 紐の先には、何のための物かわからない手のひらに乗るくらいの四角い板がぶら下がっていた。

 四角い板はちょうど正方形を二つに割ったような形の長方形だが、片方が歪なギザギザになっていた。別の板と組み合わせる形に見える。

 この板は重要なものだ。誰に教わらずとも理解していた。


 後ろを振り返ると、遙か向こうには赤い壁があり、目の前に広がった空間を見渡せる位置にいた。床も同じく赤い色だ。

 自分の隣をめまぐるしく、白い作業服の人たちが赤い床を行き来していく。

 台車をつかって荷物を運ぶもの、工場の中に張り巡らされた大きなパイプにはところどころ水を汲みだすための穴があいていた。穴から水を掬い上げ、誰かが運んできたタンクの中に注ぐもの、水が満ちたタンクを運ぶもの。水の入った箱の中に何やら透明の液体を流し込むもの。水の中に溶けている何かが薬品で固まると、別のものが網のような道具で、それを取り出し、別の台車の空箱に詰めていく。箱に詰め終わったら、順序良く別のものが運び去っていった。誰もが自分のやるべきことを間違いなく理解し、作業に遅延はない。


 皆、忙しく働いていた。見渡すと箱詰めされた品物を積み上げている区画もある。どうやらここは、倉庫を兼ねた工場であるらしい。

 誰しもが、操られているように、決められた作業を繰り返している。

 その中の一人に、私は声をかけた。

「忙しいところすいません。ここは一体どこなんですか?」

 声をかけた人は、うつろな目をこちらに向けた。そいつの首には何やら、奇妙な四角い板がかけられていた。綺麗な四角ではない。反対側が、奇妙なギザギザの形になっていた。

 色や質感は微妙に違うが、自分の首に掛けられている板とほぼ同じだ。

 そいつは、こちらが何を言っているかわからないような顔をすると、背中を向けて、作業に戻ろうとした。

 何か様子がおかしい。まるで、言葉を知らないか、さながら作業以外のことは知らないようだった。仮に彼らを『作業員』と呼ぶことにした。

 立ち去ろうとした作業員の肩をつかもうとする。


 手をそいつの肩に伸ばしかけたとき、黒い服装の奴らが数十人、開け放たれた扉の向こうからなだれ込んできた。

 そいつらが着ている黒い服は、明らかに作業員の衣装とは異なっていた。物々しく、攻撃的にも見える感じだ。

 作業員のやつらと同じような四角い板が、黒服の首にぶら下がっているのが見える。

 手には、機関銃が握られている。

 そいつは、近くで台車を運んでいる作業員の一人に向かっていく。銃口はその作業員に向けられた。

 いつ銃口が火を噴くかもわからない状況だが、作業員は焦点も合わないような視線を銃に向けるだけだった。

 『軍隊』(仮に銃を持った奴らをそういうことにした)は、おもむろに自分の首にかかった四角い板を突き付け、作業員は同じく首の四角を差し出す。

 まるで、それは決まりきった動作に見えた。

 鍵穴と鍵のように、二つの板はぴたりとあった。

 板の役目はどうやら、割符らしい。

 軍隊が、顎をしゃくると、作業員は作業に戻る。

 異様なことに、こんな状況にかかわらず、他の作業員は台車で箱を運んだり、薬品を入れたり、荷を積み上げたりしていた。

 軍隊の一人が来たときだけ、首にかかった四角を差し出すのだ。

 さきほど、肩に手を伸ばそうとした作業員が、ふらふらと倒れた。

「きえええええええ」

 思わず助け起こそうとしたが、その前に倒れた作業員が奇声を上げながら立ち上がった。

 そのまま、まっすぐに工場の赤い壁に突進し、頭を思いっきり叩きつける。

 何度もたたきつけると、頭が割れ、中身があふれだした。ドロドロと何かわからないものが、壁に塗りたくられる。硬い音が辺りに何ども響き、赤い壁がさらに赤く染まっていく。

 やがて、でたらめに手足を動かしつつ、そいつは床に崩れ落ち、全身を痙攣させた。

 どうなっているのだ?  休憩もなく働きすぎて、頭がおかしくなったのだろうか?

 誰も休む気配はない。頭がおかしくなる原因はそれなのかもしれない。

 私は異様な状況に、唖然とした。

 次に軍隊に続いて、明らかに異様なやつらがここに流れ込んできた。

 背は私よりはるかに高く。口は大きくあけられて、目は爛々と輝いていた。

 ぼろきれのような衣装をまとい、手には鉈をもっていた。

 まるで、死肉にたかるハイエナのように、壁に頭をぶつけて死んだやつに、そいつらは群がった。

 ばたつく手足を数人がかりで、鉈で切り離し、奪い合うようにその大きな口に放り込んでいく。

 食事というより、作業のようにそいつらは、死んだ作業員の体を飲み込んでいた。骨まで、のこさず、死体を食べつくすと、壁のシミになっている作業員の体液を犬のように舐めとり、床も舐めとる。

 何事もなかったような状態になると、蜘蛛の子を散らすようにそいつらはいなくなった。どうやら、別の死体をさがして別の場所にいったようだ。

 仮にそいつらを、『喰屍鬼』とよぶことにする。

 冗談のような軽快な音がして振り向くと、作業員の一人が、軍隊から機関銃で撃ち殺されていた。

 どうやら、首の四角い板が、軍隊の板と合わなかったらしい。

 死肉の匂いがしたのか、喰屍鬼が集まってきて、死体を処理し去って行った。

 肉をむさぼる嫌な音と、血のにおいが辺りに充満してくる。

 異様な光景にぼんやりしていると、軍隊の隊員が三人、私の周りを取り囲んできた。

 これではとても逃げられない。逃げようとしても、機関銃で撃たれて終わりだろう。

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