第3話
その晩のこと。
「おい」
「もうちょっとー」
十分経って、また声をかける。
「いい加減、帰った方が……」
「もうちょっとだからー」
「……はあ」
葵は俺の部屋で、俺の勉強机でちゃんと椅子に座って、羽柴後輩から借りた本に読みふけっていた。
これは珍しいことだ。
いつもなら俺のベッドに文字通り寝っ転がって、ごろごろくるりくるりしながら、深夜までマーキングに余念がない。
どれだけ寝具が乱れようが、気にした試しはない。
ベッドメイキングは常に主の仕事だ。
*
「よぉし、読み終わったー。面白いねこれ」
お、この作品の良さが分かるか。
続巻があるライトノベルの文庫は、図書館には一巻だけ置いてあるらしい。
気に入ったら、自分で購入してねという意味だろう。
商売根性があってよろしい。
ところで俺はこのシリーズは全巻揃えている。
近年ではあまり見られない、しっとりとした情感たっぷりの良い作品だと思っている。
「貸してやろうか?」
「いいよいいよー。与一君から借りるからー」
「…………そうか」
*
いつものように帰りは、俺の家の玄関先まで。
葵が自宅の扉の中に姿を消したのを見届けて、俺も扉を閉める。
それがいつからか分からない、暗黙のルールだった。
葵が靴を履くのを手間取っている内に、俺はふと、心のもやもやを解消したくなった。
「明日からもあいつ……、羽柴と会うのか?」
「もちろんー」
「あいつがお前を好きになるまで……いや、なってからも……、騙し、続けるのか」
「騙すんじゃない」
語気が、強かった。
「
「何遍も言ってるが、騙すのと何が違うんだ」
「嘘は偽物、演技は本物」
それが彼女の言い分。
「だから裁縫の練習始めるの。明日からあんまり来れなくなるから」
日常の終わりは唐突だった。
「そこまでするのか」
「うん」
嘘つくの嫌いだから。
「今日の言葉を嘘にしないために」
私は頑張る。
「…………勝手にしろ」
「する」
*
言葉通り、葵は羽柴の元に通い続け、俺の部屋へ来る回数は減った。
来たとしても、話題は羽柴のことばかり。
裁縫の腕が上がったか見てくれと、試しに作った手編みの品を渡され、感想を言わされる。
「今日の手袋はちゃんと形になってるでしょ?」
「この前のは4本しか指がなかったからな」
「うぐっ。だから頑張ったんじゃん。与一君にはそんな失敗作は見せられないしー」
「……まあ、今回のは見せても大丈夫じゃないか。見た目は
「ええっ、だったらダメダメー。可愛くできるまでは、お兄ちゃんで我慢、がまんだよー」
「…………俺で我慢、か」
今日はこんな本の話をした、彼が私の言葉で笑ってくれたと、嬉しそうに話す。
「他にも『神様』がタイトルのライトノベルはあるの?って聞いたら、これを薦めてくれたよ」
「『神様のメモ帳』か。これも俺が持ってたんだがな」
「そうなんだ。今まで恋愛ものしかほとんど読んでないから、知らなかったー」
「どこまで読んだ? ネタバレなしで談義しようぜ」
「いいよいいよ。話のネタは与一君との時間にとっておくからね。あ~、今日は一気に3巻まで読んじゃった。明日の放課後が楽しみだあ」
「……」
最近はやつの部活の後に待ち合わせて、いろんなお菓子の店に寄って、談笑に時間を費やしている。
「おいしい?」
おこぼれのお土産の菓子に預かる俺。
「……ああ、うまい」
「私たちは別のものを食べたんだけどね。ちょっと見た目がチャレンジャーだったから」
「……俺は毒見役かよ」
「ごめんねえ。でもおいしかったなら、今度与一君と行ったら食べてみるよ」
「…………そうすればいい」
*
俺は耐えた。
長い付き合いの幼馴染の(おそらく)初恋なのだ。
幸せを願ってやらねばならない。
どんなに近い存在でも、いずれ幼馴染は
そうでなくては幼馴染、失格だ。
そう自分に言い聞かせ、ぼろぼろと崩れていく理性を必死に拾い集めた。
葵の手芸の腕は目に見えて上達し、俺と過ごす時間は提供されつくし薄まった。
代わりに増えたお土産の
きっとこの冬に俺の舌を転がし、体を温めてくれるだろうが、心は寒い。
そして。
ついにある日、決意を決めた表情の葵が打ち明けてきた。
「明日、告白しようと思うんだ」
限界だった。
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