どろの証言4

 ケンの目の前にはケンがいた。

 小さなころのケンだ。

 昔の思い出を見ているんだ、とぼんやりと理解できた。

 他にも周りには保育士さんがいてほかの子供たちもいる。二人っきりではなかった。

 自分が見ている小さなころのケンの顔がぐにゃりとゆがんだ。周りを見ると他の人たちの顔もぐにゃりとゆがんでいた。

 一回、悲鳴を上げそうになって、がまんをした。がまんしたら、わぁっとまだ小さなころのケンの顔がいっそうゆがむ。

 こわいとだれかが思った。それを思ったのは今この光景を見ているケンではなかった。

 手が伸びる。自分に体を動かしている感覚はない。だれかに身体を動かされている。


「いや、やだやだやだ、やだ!!」


 顔も体も何もかもがぐちゃぐちゃのぐにゃぐにゃになって見えるケンを思い切り組みふして、しめ上げる。

 自分がケンのどこを捕まえて強く強くにぎりしめているのかは視界がぐちゃぐちゃすぎてよく分からなかった。だけれど多分この感触は――――、

 首をしめている。

 そこからはあっという間だった。まず声が聞こえた。


『何するの!? 何をしているの!? やめなさい、離しなさい!!』


 そんな声だ。

 それから色んな大人がよってたかって、ケンのことを引き離しにかかった。

 抵抗したけれど、もみくちゃにされて無理やり引きがされて、逆に両手をおさえられた。

 見る人見る人何もかもがぐちゃぐちゃに見える。

 こわくなって全部から逃げ出したくってあばれた。

 でもやっぱり大人の力には敵わなくってその場でただただじたばたと手足を動かすだけにしかならなかった。

 ガコンッ!! と急に頭が重くなる。


「おい!! だいじょうぶかよ!! おいって!! 聞こえてねーのかよ、おい返事ろって!!」


 それはもうすっかり聞きなじみのあるなぞの声だった。

 手足を見てみればそれは間違いなく自分のもので、違和感もない。


「ゴメン、夢の中で夢を見ていた見たい」

「いいか、これは俺の主張だけれど、この世界は夢の世界だけれど、おまえの世界ってわけじゃないんだ。不用意にものを触るんじゃねーぞ」

「うん気を付けるよ」


 もう身をもってどうなるかを知ってしまった後だった。

 それから真っすぐ、通路を進んでいく。

 歩いても歩いても、前に進んでいる感覚はしなかった。だけれど、それでもただ前を向いて真っ直ぐ歩いていく。

 ここはそう言う世界だ。

 ダメだと思ってしまったら、本当にダメになってしまう。

 行けども行けども辿り着けなくったって、前に進み続ければ辿り着けるんだ、とそう強く信じることが一番大事なこと。相手よりも強く強く信じて進んだ方の願いが叶うのだから。

 そして、どれほど進んだのか分からないほど前へと進み続けると、目の前にドアが現れた。

 さっきも見たドアだった。

 ケンがドアノブに手をかけようとすると、


「違うこれじゃない。心を折ろうとしている」


 なぞの声がそう言った。

 ここで、このタイミングで最後の最後を守り抜くために今までの全てをブラフのために使っていたとしたら? なんとなくそういう疑心が浮かび上がってきた。


「まあ別に信じなくてもいいけどな。おまえの責任はおまえが取るだけだし」


 迷いを読み取ったなぞの声がふんっと鼻を鳴らしていた。

 どうにも信じてほしそうだった。

 素直じゃないなと思ったけれど、本当に素直に信じてくれと言われた方が気味が悪かったような気もした。


 だから、

「信じるよ。とりあえず、今までぼくのことをだまそうという意思は全然なかったし」

「そうかよ。あと二つだぜ、あと二つ先のドアを開けろ。それはおまえのドアだ」

 こくりとうなずいて、ケンはまた歩き出した。


 延々と続く廊下は、不気味の一言だ。毒々しくつぼみの花は風もないのにワラワラゆれているし、それが前にも後ろにも延々延々続いている。先があるのかもないのかもわからない。

 それでも前に前に足を進める。

 止まることはない、疲れも感じない。

 ずっとずっと進み続けてもう一回ドアが現れた。でもなぞの声の事前情報によるとこれもニセモノだ。


「後ろだよ」


 つられて、振り返る。そしたら、前にあるドアと寸分違わずなドアがあった。


「なるほど……」


 ケンは迷いなく振り返って前に出てきた方のドアを開く。


「おお、正解だぜやるな」


 なぞの声がほめてくれた。そもそもなぞの声は二つ先のドアといっていたのだから、こちらが正しいに決まっている。

 ドアの先にあったのはテレビで見たことのある裁判所の光景だった。

 ただテレビで見たことがあるそれと違うところが二つある。一つは人が誰もいないこと。テレビでは無人の法廷が映ることはめったにない。そしてもう一つは真ん中に小さなゆりかごがおいてあること。


「俺の仕事はここまでだよ。後はおまえの仕事だがんばれよ」

「えっ? まだでしょ!? ここにはサラはいないじゃないか!?」


 思わず叫び返してしまったけれど、返事は返ってこなかった。


 代わりに――――、

「来たんだね。見せてあげる。わたしのことを……!」

 サラの声が聞こえた。


 気が付くとケンの真後ろにキャミソール姿のサラが立っていた。その体には黒っぽいウロコのように硬くなった部分は一つもなかった。

 多分それがこの世界でサラにとって一番都合がいいサラの姿なのだろう。

 また、手をにぎられた。


「きっとケン君はたえられないよ。たえられなくって、わたしになっちゃう」


 サラの指先から何かがケンに流れ込んでくる。

 それは、黒いモノだった。

 それは、粘々ねばねばしたモノだった。

 それは、重いモノだった。

 それは、動くものだった。

 法廷のような場所に黒い泥のようなモノが、ゆっくり確実にせりあがってくる。

 いや、一秒にごとに一センチほどの勢いでカサがふくらんでいくものをゆっくりと言っていいのかは諸説あるかもしれない。

 とにかくそれらはどこからともなく足元へと満ち満ちていく。

 溶けたアスファルトのようにどろどろとしていて、重く、体にまとわりついてくる。


「これでいっしょだね。ずっと、ずっといっしょ」


 どうしていいのか分からなかった。

 何をどうすればこの黒い何かから逃れられるのか、想像もつかない。

 そうやって迷っている間にもどんどん黒い何かは深さを増していく。

 しずむ。体が沈んでいく。


(そうだ、あのゆりかご……! あれに何かあるかもしれない……!!)


 サラに手をつかまれたまま、ケンは中央においてあるゆりかごへと近づこうと足を動かす。

 黒い何かはもう腰の高さまで水位を上げていて、多分あと一分もすれば頭の先まで飲み込まれてしまう。

 その前になんとかゆりかごにたどりつきたかった。


「あれ、の中身がそんなに知りたいの?」

「うん。多分アレは夕洲さんの大事なモノのはずだから」

「それはケン君には関係ないでしょう?」

「そんなことない。夕洲さんが大事にしているモノをぼくがないがしろにするわけにはいかないから」


 友達の、いや友達だけじゃない、他のだれであったとしても、人の大切なものを大切に出来る人でありたい。ケンの憧れた英雄ヒーローはきっとそう言う人のはずだから。


「なんで、なんでなの……?」


 要領を得ない言葉だった。


「ぼくはそういう風に生きることがきっとぼく自身をほこれる人間にしていくんだって、そう思うんだ」


 けん命に足を動かして、前へと進みながら、それでも思ったことを答える。

 目の前にあるサラの大事なものと、今自分の後ろ側にいるサラ、どっちをないがしろにしてもいけない。それじゃあ自分がほこれる自分になれない。

 黒いねばついた何かの水位はもう胸のあたりまで来ていた。

 でも、頭までつかり切ってしまう前に、ゆりかごに手が届いた。


「やった……」


 思わずそう言った。

 それと同時に、床が抜けた。


『はぁっ……?』


 そんな間抜けな声は音にならなかった。

 開いた口の中に黒い何かがぎゅるぎゅると流れ込んでくる。

 息は出来なかった。

 左手でゆりかごをかかているけれど、ゆりかごの中身まで黒い何かは埋め尽くしてしまっている。これじゃあ結局意味がない。

 右手をにぎったままのサラもいっしょに底へと引っ張られているみたいだった。

 景色は何にも見えず、音だって何にも聞こえない。

 そのはずなのに、そのはずなのに……。

 だれかが泣く声が、だれかがさけぶ声が、だれかが怒鳴る声が、聞こえてくる。

 手足がバチリバチリと痛みを発して、お腹にも胸にも石を打ち付けたような感覚が何度も何度も何度も、ぶつけられる。

 こんな場所にはサラとケン以外はいないはずなのに、見られている感覚があった。

 薄気味悪いものを遠巻きに見る目。さげすんでいい対象にむけられる侮べつの目。しいたげることに喜びを持った目。理解できないモノを見た目。生ごみにもおとると失敗作あつかいする目。

 そのどれもが否定の眼差しだった。

 そのままずるずると沈んでいく。

 深く、深く、しずんでいく。

 落ちれば落ちるほど、負の何かが突き刺さる。

 体と言わず心と言わず、他者から向けられる感情は化け物に向けられるそれだった。

 人としてあつかわれない、それだった。

 あぁそうか。ずっとずっとこんなものの中で生きていたんだ……。

 多分これはサラの感情だ。サラがどういうこれまでどういうあつかいをされて来たかを示すもの。

 始めからそうだったのか、それともどこかでくるってしまってそうなったのか、そこまでは分からない。ただ、ただ、人の悪意に際限はないんだなということだけは分かってしまった。


『助けて……、だれか、助けてよ……。わたしは、わたしは悪い子だから、だから、こんなこんな……、こんなに……』


 聞こえるはずのない声が聞こえた。

 多分それはサラがずっとかかえていて、だけれど直視できなかった思い。

 小さなころからずっとずっとかかえていて、少しも大きくなることが出来なかった思い。

 助けてほしいという、ただそれだけの悲痛な願い。

 多分それがサラが一番大事に心の奥底に封じ込めてしまった願い。そしてそれを封じ込めてしまったのは、あの日、あのとき、ワケが分からなくなってケンの首をしめて殺そうとしてしまったから。

 そう、自分が悪い子だと思ってしまったから。だから助けてという言葉さえ、心さえ、願いさえ、封じ込めてしまった。

 だれかに助けてもらえるような資格はないって、思い込んでしまった。

 そんなことないと、伝えたかった。だけれど、声は出なかった。

 いや、そうだ、違う。そうじゃない。ここはそう言う世界じゃない。

 ここはサラの夢の世界だ。

 心が出来ると思ったこと、心が出来ると信じたことが出来る世界だ。


「ちゃんと、ゆっくり言葉にすればきっと通じる。伝えることをあきらめたらダメだよ」


 ずっと、ずぅっと黒い何かの中へと落ちながら、それでもずっと右手をにぎっていたサラへとにぎった手を通して言葉を伝える。

 思いを伝える、ということを伝える。


「でも、こわいの。わたしの本当の気持ちを知られること、すごくこわいの」

「それでも、心の中奥深くにしまい込んでしまったら、きっとだれにも気付いてもらえないから。勇気を出して心を言葉にしないとダメなんだと思う」

「勇気を出して……」

「そう、ちゃんと勇気を出して人と接するのが、きっと一番いいんだと思うし、ぼくはそういう風でありたいと思ってる。それが、ぼくが信じる英雄ヒーローだから」

英雄ヒーロー……」

「みんなみんな、自分の理想の姿になりたいって思うでしょ。それが英雄ヒーローってことなんだって、英雄ヒーローになるってことなんだって、ぼくはそう思ってるんだ」

「理想の自分になることが英雄ヒーローになること……」

「そう! だから、全部終わったらちゃんと現実で色んなことを教えてよ。何を思っていて、何がしたくて、何がほしいのかって。そういうことを教えてほしい」

「うん、そっか、そうなんだね……。出来るかどうか分からないし、自身もないけど、でもそれでもがんばってみるね」


 ケンの体は相変わらず動かなかったけれど、右手をにぎっていたサラの身体が上へと動く。

 もがいてもがいてもがいて、めちゃくちゃに体を動かす。これが本当の水の中だったら多分その動きには何の意味もなかった。

 だけれどここはサラの夢の世界で、心が出来ると思ったことが叶う世界だ。

 少しずつ、本当に少しずつ、体が上へと昇っていく。


 そして――、

「ぶわっ……、はぁはぁはぁはぁ、良かった。やったよ、ケン君」

 どこかもわからない岸にたどり着いた。


 そこには岸と桟橋だけが合って、それ以外には何にもなかった。

 多分水の中から抜け出して両足で立てる場所という強いイメージがそれだったのだろう。

 サラは最後の一息とばかりに黒い水の中からケンのことも引っ張り上げる。


「う、うぅ……。うえぇぇぇ、ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ」

「だいじょうぶ?」


 ケンは飲み込んだ黒くてどろどろとした何かを無理やり吐き出すようにして息を整える。


「う、うん、何とか。それよりも……、ここから出られそう?」

「もう出来ると思う。ケン君とわたしはいっしょにはなれないし、ならなくって良いって分かったから」

「そっか、よかっ――――、」


 最後まで言葉を言い終わることは出来なかった。

 岸と桟橋しかないはずのこの場所に突然鉄砲水のようなモノが降ってわいた。

 それは二人をまとめてまたさっきの黒いドロドロの中へと押し込めようとしていた。

 早く逃げないといけない。

 そう思った、けれど逃げましょもなく、どうすることも出来なかった。

 ただ真横から追突するような形で黒い水流がおそいかかってくる。

 このままじゃ二人いっぺんにまたあの中に押し戻される、そう思った。

 気が付いたときにはケンの両手はサラのことを突き飛ばしていた。

 黒い水流の通り道からサラの身体がはじき出される。

 結果として、ケンだけがその流れに飲み込まれてしまった。

 ちゃぽんっと音がして、その場に静けさがもどる。

 岸辺に残されたサラは、力なく今までだれにも言えなかった言葉を口に出す。


「助けて、助けてよ! だれか……!! だれでもいいから……!! ケン君を助けて……!!」


『ったくいつもいつも世話がやけるっての!!』


 それに応えるように外側から声が聞こえた。

 それは知っている声だった。だけれど、聞こえるはずのない声でもあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る