どろの証言3

「うぅ、痛たた……。ここは……?」


 目が覚めたとき、そこには何にもなかった。さっきまでいっしょにいたはずのサラでさえ、いなかった。

 ただ、白い場所。何にもなくてただ白い場所が広がっている。


「ここは夢の中、みたいなもんだな」


 声がした。


「だれ? ……、いや夢の中ってことならだれか、じゃなくてぼくなのかな?」

「いい着眼点だけれど、俺はおまえじゃないし、向こうの女の方でもないぞ」

「サラもこの場所にいるってこと?」

「あぁ、いる。おまえを待ってるよ」


 その声がなんなのかは分からなかったけれど、ここでもサラのところまで行けるのならばなんだって良かった。

 まだ何にも終わっていない、始まっていない。

 これはケンとサラとの意地の張り合いだ。だから、もう一回、いや何回だって会いに行かないといけない。


「そっか。じゃあ、行こう」

「おまえは疑うことを知らないのか?」

「正直言って、ぼくには全部を理解することなんてきっと難しいよ、出来る気がしない。だったらとにかくもう一回サラと会ってハッキリさせたほうが手っ取り早い」

「そもそも、おまえ何のためにこんなとこまで来たんだ?」


 どこからともなく聞こえてくるよく分からないなぞの声はなぜかケンを質問攻めにしてきた。


「……、そういえばぼくが君の質問に答える前に一つ聞きたいんだけど、いい?」

「あぁ、良いぜ? 何でも聞きな! 俺はなんも知らんから大抵答えてやれんけどな!」


 質問に質問を返すような形になったけれど、なぞの声は全く平然とそれを受け入れてくれた。好奇心が強いだけで人のことをだますような性質はしていないのかもしれない。

 あるいはそれすらもブラフの可能性はあるにはあるか。


「君は何者?」

「俺か? 俺は……、俺はぁ……、俺はなぁ……。……、すまん分からん」


 シンプルな質問だった。

 相手が記憶喪失でなければ悩まないし、相手にだます意思がないのなら多分間をおかない。相手のことを知りたいと思うならば、聞きたいことはシンプルであればシンプルであるだけ良い。

 しかし、裏目にでた。多分声の主は本当に分からないのだろう。真剣に思い出そうとして、思い出そうとして、思い出そうとして、それで思い出せなかった。


「やっぱり君も幻覚の一部って考えた方が良いかもしれない」

「いや、俺は幻覚の一部ではないことは間違いないんだが……」

「でも姿も見えなくて、声だけが聞こえてる。あのとき、神社で幻覚と話をしていたサラと一体どう違う?」

「……、確かに」


 先ほどからの一連の流れで、この声自体がケン自身の記憶をベースとして動いているものなのだろう、と当たりを付けた。あのとき、神社で幻覚と話をしていたサラを知っているのは、ケンかサラか、そのどちらかしかいない。

 だのに、この声はそれらをさも知っている風に対話をしている。

 この状況そのものがケンとサラの意地の張り合いの結果である以上、サラの側の何かがケンに何かをもたらすとは考えづらい。だから、この声もケン自身の記憶をベースに組み立てられた幻覚に近いもの、というわけだ。


「これ君が結局ぼくから作られた幻覚ならぼくが知っていること以外のことは出てこないよね……。対話が出来るだけありがたくはあるけれど、だからといってこれと言った意味はないってことになりそう……」


 幻覚と対話するということは延々自分と対話し続けるということ。意見が同じもの同士が延々同じ意見をぶつけ合うということは、考えをより強固にしてしまう。柔軟性が失われ、根拠になり得ないものを根拠として信じ込んでしまう。そう言う恐怖があった。


「少なくとも俺は幻覚じゃないんだが……、でも俺が幻覚だった場合その考え方は正しいな。いや、この幻覚がおまえの頭の中に由来するものであるならばという仮定を正しいと考えた場合の話だが」

「えぇ? 何か他にも可能性があるみたいな言い方だけど……?」

「一つだけ、あるだろ? 初めて幻覚をおまえに見せたヤツがいる」


 サラの何かがケンのところにやってきているという可能性を完全にゼロとして考えることは確かに出来ない。出来ないけれど、これは意地の張り合いなのだ。わざわざ相手が意地を張ることを手伝うような真似はふつうしない。

 ふつうしないが、今のサラがふつうじゃないこともまた、正しい。


「でも、だからって結局幻覚を見ているのはぼく自身だよ」

「確かにおまえは幻覚を見ている。それは正しいだろうよ。だけどな、その幻覚は本当におまえの中からやってきたモノか? 違うだろ、おまえがこの幻覚を見るきっかけはなんだった? 勝手に一人で幻覚を見始めたわけじゃないだろ? あの女がおまえをいっしょにするって言い出して、それで初めてこの幻覚に触れたんだ、よく考えろよ」

「それは、そうだけど……」


 だというのになぞの声がケンを説得しようとしていた。

 現状でケンは今の状況を筋道を立てて説明しろと言われても出来ない。前提条件の何かが正しくて何かが間違っているとして、その正誤を判断する基準がない。


「でも、だってそれは……」


 それでも幻覚に対する一つの知識として、感じ得ない感覚を感じてしまうことが幻覚だと認識している。つまり、同時に複数人が同じ夢を見たと主張して、それでもその夢が共有された夢として扱われることはないはずだ。仮に複数人が本当に同じ夢を見ていたとしても、それは複数人の夢の内容が一致しているというだけでしかない。個々が個々の認識の中で偶然収斂した、というだけ。

 だからもし今ケンの見えている幻覚とサラの見えている幻覚が一致していたとしても、それは偶々そう言う幻覚の形が一致してしまったという話のはずだ。


「まあここでグチグチ考えてても仕方ない、さっさと先に進め。道案内だけは俺がしてやる」

「……、それは、そうだね」


 そして、だけれど結局幻覚について深く考えて、思考を巡らせてみたところで答え合わせなんて出来るわけもない。

 だから、とりあえずなぞの声に促されるままに先へと進もうと思った。


「良いか、まずは道を作れ。俺の理解ではここは夢の世界だ。おまえが出来ると思ったこと、やりたいと思ったことは大抵叶う。だけれど、それはおまえの常識の中で叶う」


(つまり、ここが何もなくて、どこにもいけなさそうなのは、どこにも行けない場所をぼく自身がサラに作らされた、ということなのか……?)


 とにかく今いる場所からサラのいる場所まで行く必要がある。

 今の場所から次の場所へと移動するのに必要なモノは何か?


「ドアがいる」


 座禅を組んで目をつむって集中する。

 明確なドアのイメージを自分の中に作り出したかった。この場所にドアがあるということを信じるために。


「出来たぞ。やるな」


 目を閉じて数分、なぞの声がそう言った。

 目を開いて確かめると、確かに目の前にケンが想像した通りの深いこげ茶色でワンポイントに金色のラインが入った重そうなドアがたっていた。

 ずっしりと手に良く馴染む鈍色にびのドアノブに手をかけてガチャリと、ドアを開く。

 ドアの向こう側は通路だった。右側には人を丸呑みできそうなほど大きなむらさき色の花が、左側には小さな男の子と女の子の写真がかざってある。


「これは……、」


 その写真の男には少しだけ見覚えがあった。

 ケン自身はあまりアルバムなんて見返したりしないけれど、それでも自分の小さな時の写真は何度か見た覚えがある。

 この写真の男の子と自分が思い出せる限りの小さな時に取られた写真はそっくりのように思えた。


「おまえだろうな。それならそっちの女ほうはあっちの女ってわけだ」


 心を読まれた。

 いや、分からない。この声が何を知っていて、何を知らないのかもケンは知らないのだから。

 だけれど、心を読まれたと思って、動ようした。動ようしてしまった。


「おい、気ぃぬいてそれに触るなよ」

「えっ?」


 なぞの声からそんな忠告が聞こえてきたけれど、それはもう遅かった。


「バカやろう!!」


 なぞの声のそんなののしりと同時に目の前が真っ白に塗りつぶされる。

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