どろの証言2

 鉄柵に囲まれた古い洋館。今は無人のはずなのに時折何か声が聞こえる。だからいつしか幽霊屋敷と呼ばれるようになっていた。

 ふだんは中に入れないように閉ざされている鉄柵の門のカギが今日は開いていた。

 恐らくこれがケンがいつでもサラに遊びに来れるような処置なのだろう。

 鉄柵を勝手に開けて、建物のドアへと近づくと、そのドアにもカギはかけられていなかった。

 だから勝手に入ってもいいのだろうと判断して、ドアを開けて館の中へと侵入する。


「来るとは思っていたけれど、早かったなぁ。って、顔大分はれてるけど、どっかにぶつけたの?」


 ケンは勝手に館に入るなんて経験初めてだったのでどれだけ人に見つからずにいられるか少しワクワクしていたのだけれど、入って三秒玄関ホールを抜けることもなくランに出くわしてしまった。


「……、ちょっとケンカしまして」

「青春?」

「よく分かんないですけど、少し向こうの草生え放題の駐車場で寝っ転がってるんで、出来れば介抱して上げてほしいんですけど、ダメですか?」

「うん、いいよ。君がサラと会っている間にむかえに行ってくるね」

「お願いします」

「サラは奥の部屋、多分君なら近づいたらすぐわかると思う」


 提示された目的地のルートに素直に従うって先へと進んでいく。きっとこんなときじゃなければこの建物をあっちこっち探索したくなったに違いない。だけれど今はそんなことを考えてる余裕はなかった。

 進んだ先、奥の部屋のドアを開けるまでもなく、そこにサラがいるらしいことは理解できた。


 何故かといえば、分かりやすかったからだ。

 まず通路の形が一目見ておかしくなっていた。元の通路の形を知らなくてもこれがおかしいということは分かる。だって、壁一面に肋骨のような飾り付けがされているはずはないし、足元が異様にぶよぶよしているのを放置するはずもない。


(な、なんで……。これが全部幻覚なの……? こんなに、もれだしてるなんて……、どうなって……?)


 ケン自身にサラの幻覚の世界を見る力があるわけではない。ただ、彼女のに引っ張りこまれたせいでサラに近づけば近づいた分だけサラの視る幻覚の余波をくらうようになっていた。

 最初に幻覚の世界に取り込まれたときと今とで違うことが二つある。

 一つは幻覚と現実の境界線がおぼろげながら区別できる、ということ。ただやっぱりぴったりと重なられてしまうと、視覚的には幻覚の方が優先されるので幻覚の後ろにある現実を見ることは難しい。


 そしてもう一つは、ある程度冷静でいられているということ。少なくとも心乱れてわけが分からなくなったりする心配はしなくても良さそうだった。恐怖感は相変わらずあるし、心臓の早鳴りも止まらないけれど、それでも何とかまともでいられそうだ。


 幻覚の中で部屋のドアだけはふつうだった。きっとそこまで幻覚で閉ざしてしまうことがサラには出来なかったのだろう。

 しかしドア自体には何もなさそうだとは言っても、ドアの真ん前には花が咲いている。毒々しい花だ。高さはケンの身長とほぼ同じくらいで、見たこともない花弁とガクを持っている。肉厚な花弁はアロエやサボテンみたいな質感を持っていて、その後ろから薄く伸びているガクは硬くトゲトゲしい。

 目の前にあるのは花だ。幻覚だとはいえ、見たことない形をしているとはいえ、それが花であることに違いはない。


 だというのにその花にじぃっと見られているような感覚がした。

 目なんてどこにもついていないのに、強く強く、視線を感じる。

 もしかするとそれはサラの目の代わりなのかもしれない。なんとなくそう思った。

 一呼吸はさんで心を落ち着ける。だいじょうぶ、だいじょうぶ、目に見えているモノが直接的な危害を加えることはないのだ、と言い聞かせるように大きく息を吸って吐きだす。


 花の真横をすり抜けて、ドアの前に立ってノックをし、

「こんにちは、大和ケンだけど……。この前はその、ゴメン。ぼくもその、初めての経験で気が動転してたんだ……」

 言葉をかける。


「いいよ、開いてるから入って」


 内側から聞こえてきたサラの声はか細かった。とても弱々しいのにハッキリと聞こえる。それは多分ケンがサラの見ている世界にえいきょうを受けているからだろう。そうじゃなければあんなにか細い声がドアごしに聞こえるわけもない。


「失礼します」


 中に入ると広い部屋の真ん中で椅子に座ったサラとバッチリ目が合った。

 少女はうすく笑っていた。うすく笑っているはずなのにどんよりと地の底まで沈んでいた。


 少女は珍しく薄着をしていた。夏でも過ごしやすいグレーの薄いキャミソールを身に着けただけの姿だった。大きく露出された胸元には黒っぽくてウロコのように硬くなった肌があった。しかしそれは胸元だけではなく、鎖骨周りから両肩を通って両手二の腕の半分あたりまで絶え間なく続いている。多分キャミソールで隠れた部分でもどこまでかは分からないが、ある程度までは広がってはずだ。

 表層的な表情は笑みが張り付いているけれど、多分心の底から笑っている、笑えているわけではないだろうサラが、一層深くほほ笑んだ。


「うふふ、わたしといっしょになってくれる気になったの?」


 平坦な言葉だった。アクセントもほとんどなく、機械音声の読み上げのような平らな声。むしろ機械音声ならば違和感を覚えられないように少しくらいは調整してそれっぽいアクセントを付けるだろうから、機械音声よりも単調だったかもしれない。


「そんなわけないよ。ぼくはぼく、君は君だもの。いくら君と同じものが見えるようになったって、ぼくは君と同じにはなれないよ」

「そんなことないよ。わたしと同じ世界が見えればきっとわたしと同じになるれるよ」


 否定に否定が重なった。サラはきっと信じているのだ、自分と同じものを同じように感じられたら自分と同じ人が出来上がると。

 だけれどそれが別人である以上、どんなに全く同じ環境を用意したとしても完全に同じ人格になることは、ない。


「何がどうなっても、ぼくは君と同じにはならないよ」

「じゃあ、試して見よう?」

「いいよ。何をするつもりなのかは知らないけれど……、やって見せてよ。ぼくがきちんと証明して見せるから」


 何がどうなってしまうのか、想像もつかない。

 だけれど、やるしかない。そうすることでしか、サラの価値観を否定することが出来ない。

 最初に手をつかまれた。両手をにぎりこむように、かかえられて、それからサラのおでこがケンのおでことくっつけられる。


「ふふふ、わたしといっしょになるよ」


 そう言った、サラと言われたケンは二人そろってどさりと床に横倒しになった。

 

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