コインの裏と表、夢を見ているのはどっち?2

 だれもいないだろうと予想して、神社にもどってみれば、そこには人がいた。

 人はいたが探している人ではなかった。


「よう。どうしたんだこんなところで」


 何故かベンチに座ってぼやーっと空をながめているジョウに出くわしたのだ。


「ジョウ。あの子見なかった?」


 となりに腰を下ろして、そう聞いてみる。


「夕洲サラか?」

「うん」

「何かあったのか?」


 なんとなく何か事情がありそうなことを察したらしく、逆にそう聞き返された。


「何が起きてたのか、ぼくには分からなかった」

「なんだよそれ……」

「仕方ないでしょ、分からないものは分からないんだから」

「そうかよ」


 もう少し首を突っ込まれるかと思っていたから、拍子抜けしてしまった。


「くわしく聞かないの?」

「本人が分からん言ってることを深くほり下げさせても、絶対要領得ないだろ」


 だけれどそのあとに続いた言葉を聞いて「あぁ」と納得してしまう。そうだ、そもそも何が起きてるのか分からない人に何があったをくわしく聞いたところで分からないものは分からないとしか言いようはない。


「それは確かにそうかもしれないけど……」

「なんだよ、聞いてほしかったのか?」

「うーん。どうなんだろ?」

「俺に聞くなよ」


 苦笑いしながらジョウが少しつき放す。

 今はそのくらいが丁度良いのかもしれない。


「でも、説明しろって言われても説明なんて絶対できないし……、今は少し考える時間が欲しいのかな、分かんないけど多分」


 ジョウと話をしていて少しだけ感情の整理が出来たようだった。そして心の整理が付いたならば次は情報の整理が必要になる。


「そうかよ。それじゃあ、俺は一旦帰るわ」


 ジョウはそれだけ言い残してパンパンと軽くズボンをはたきながら立ち上がって去っていく。


「ありがと、助かったよ」


 その声に応えるようにグーパーと手を上げてにぎる動作をして見せた。多分なんとなく気はずかしさがあったのだろう。




 そのあと一人でグルグルグルと神社のベンチに座ったまま考え事をしていた。

 最近知り合ったばかりで、サラのことを深く知らないし、この神社以外に行きそうな場所に心当たりもない。だから闇雲に探しても見つけられるとはとても考えられない。


 少しでも手掛かりが欲しかった。

 ここ数日でサラが自分自身のことを話していることはほとんどなかった。

 あったのといえば精々ケンが思い出せない昔のことの話くらいか。

 思い出せれば何かわかるかもしれない……。


「良かったここにいてくれて」

「あなたは……」


 その声はつい昨日聞いた覚えのある声だった。

 大人っぽくて少しどきりとさせられる声色。


「どうもこんにちは、大和ケン君」

「確か、坂月ランさん」


 顔を上げれば夏用のレディーススーツの上から真っ赤な白衣を羽織ったシルバーレッドの下縁眼鏡をかけた女の人が立っている。


「そっ。サラちゃんの保護者のランさんですよ。っと、別に私のことはどうでもいいんだった。サラちゃんから話を聞いてね。知りたいでしょ、あの子のことと、それから幻覚のこと」


(今サラちゃんから話を聞いたって言ってた……。ということはとりあえずどこかに行方をくらましたりみたいなことにはなってないってことだよね。それなら良かった……)


 ランの言葉にケンはホッと胸をなでおろす。

 とりあえず心配事が一つなくなった。


「何を知ってるんですか?」

「知っているし、君が知りたいと望むのなら教えてあげる」


 夕洲サラという女の子の秘密を知るということに少しだけためらいを覚える。

 知りたくない、深入りしたくない、というわけではない。ただ、本人の知らないところでそう言うことを知ってしまっていいモノか、という良心の呵責があった。


「教えて下さい。あの子のこと」


 でもそれでも、アレがなの世界がなんなのか、それと向き合わないといけない気がした。

 そうしなければ本当の意味で夕洲サラという女の子と分かり合うことが出来ないと思った。


「向こうに車止めてるから、付いてきな」


 連れられるままに彼女の黄色い車に乗り込んで近くの喫茶店まで移動する。

 その店主と坂月ランとはどうも顔見知りのようで、ずいぶんラフに店の中で一番ひっそりとしていて目立たない席に案内される。

 席に座ったランは有無を言わさず勝手にチョコバナナパフェを二つ頼んで、それから「何か飲み物はいる?」と聞いてきた。家から持ってきたはずの凍ったペットボトルはいつの間にやらどこかに落としてしまっていて、そんなことを聞かれるまで自分ののどがカラカラだったことにさえ気が付けなかった。


「えぇとそれじゃあコーラを」

「コーラか男の子っぽいね。それじゃあコーラとあとアイスカフェオレを一つで」


 注文して少しすると、お店の人がパフェとソフトドリンクを持ってきてくれた。


「せっかくだし、息を詰まらせっぱなしなのも疲れるでしょ。食べながら聞きなよ」

「……、分かりました」


 とりあえずでコーラを飲みだしたら止まらなかった。自分ののどのかわきっぷりにびっくりするほどするするとコーラがのどに流れ込んでいく。

 気がすむまでコーラを飲んでから、とりあえず一口チョコバナナパフェを口に放り込む。

 コーラを飲んだときもそうだったけれど、味はよく分からなかった。

 大雑っぱに甘いとか、冷たいとかは分かるけれど、それより先の細かい味の違いがよく分からない。例えばバナナの甘さとチョコレートの甘さと生クリームの甘さの区別が全然つかない。流石にコーラまで行くと炭酸もあるし明確に違うモノとして認識できている。


「君はあの人に憧れてるんだってね」


 ケンがパフェを一口食べたのを見てから、ランは話をし出した。


「坂月さんのいうあの人があの事件の英雄ヒーローのお兄さんのことを言っているなら、そうです」

「これはね、あの人がどうにもしきれなかった宿題、みたいなモノなんだよね」

「知っているんですか?! あのお兄さんのことを?!」

「いいえ、直接的な知り合いという訳ではないわね」


「そう、ですか……。でも、あの人が残した宿題ってどういうことなんですか?」

「まだ完全にあの事件の影響を取り払えてないってこと」

「……、実はこっそりあの事件は続いていて、あの子はその被害者になったってことですか?」

「それも違うわね。もうあの事件自体は終息している、これは間違いないわ。だけれどあの事件のときに人々に与えられたモノを取り除くことが今はまだ出来ていないの」

「与えられたモノ……、」


 もしかするとこの坂月ランという女の人はあの事件にとても深く関わっていた人なのかもしれない。ケンはなんとなくそんな風に思った。

 そして深く関わっていてなお、あの英雄ヒーローのお兄さんとは面識がない。あの事件はそれだけ広い事件だったということ。


「色々あるんだけどね。今回関係のあるモノとしては皮膚の硬質化と強力な幻覚効果、この二つね」


 少しずつ少しずつ、話のピントが合ってくる。

 強力な幻覚効果とはきっと間違いなくサラがケンにしかけたあの世界のことだろう。


「そう……、そうだ。アレは、アレはなんだったんですか? あの……!!」


 その幻覚の異常さを思い出して思わずケンの語気が荒くなる。


「落ち着いて。だいじょうぶよ、今は何もないから」

「ご、ごめんなさい」


 坂月ランの声でぴしゃりと言われると何故だかすぐに冷静になれた。これはこれで一つの特殊技能のようなものなのだろう。


「よろしい。ここがお店の中だってことだけ頭に入れておいてね。さてと、まずは君が見た幻覚のことについてからかな」


 一旦、言葉を区切って話すことを整理するようにクルクルと指先で宙に円をかく。


「まずはあの幻覚はサラが見てるモノなの。いつもいつでもというわけではないけれど、それでもサラはあの幻覚の世界の中で生きている」

「でも……、昨日会ったときは全然普通に見えましたけど……」


 昨日の夕洲サラと今日の夕洲サラ、その二つが本当に完全な同一人物であるのかどうか、ケンはまずそこから自信がなかった。


「普通のときもあれば、幻覚が見えてるときもある。君だって普段は元気で普通でも風を引いたりしたら熱が出たり、セキが出たりって色々起きるでしょう? あの子にとってはあの幻覚もそれといっしょなのよ」


 例えばインフルエンザなんかにかかって派手に体調を崩しているときにこの世のものとは思えないような悪夢を見ることがある。サラの幻覚症状はそう言う悪夢をいつでも突然に見せられるようなものなのかもしれない。


「でも、それがなんでぼくにまで見えるように……?」

「そこについては、私も答えを出しかねているわね……。あの子自身に聞いたときは出来そうだったからやった、ってそう言っていたわ」

「出来そうだったから……、」


 あれだけのことだっていうのにそれは、出来そうだったからやってみたら出来ました、程度のことでしかないらしいことに恐怖を覚える。

 あんなものが無限に、無制限に広がっていったらきっと多分日常は簡単にこわれてしまう。


「多分なんの説明にもならないんだろうけれど、あの子にとって君は何か特別な思い入れがある存在なのよ。だから、ずぅっと自分を苦しめ続けて来た幻覚を操ることが出来てしまった。逆を言えば思い入れの強い君だからこそ、彼女自身の幻覚をつなげることが出来たとも言えるかもしれないわね」


 言葉の意図は今一分からなかったけれど、それでも少しは救いがあった。

 無制限な訳でも無限に広がるわけでもないらしい、というのはそれだけで救いがある。少なくとも自分たち以外のだれかの日常までこわしてしまうことはないのだから。


「……、いつからですか? 一体いつから、あの子はあんなものを……、」

「四年前、私が初めてサラと会ったとき、あの子はすでに幻覚の中にいたわ。英雄ヒーローのあの人が事件に終止符をうって、それでようやくあの子の幻覚は薄れ始めた。それで、ここ一年くらいでようやくまともに日常生活を送れるまで症状がおだやかになったの」

「四年前、ここ一年くらい……。それじゃあ少なくとも三年間はあの幻覚の中でだれが人でだれが人でないかも分からないような、生活を続けていた……、ってことですか」


 ケンはあの世界に触れてたったの十分、十五分程度で心のすみずみまでぐにゃぐにゃにされて、まともに立てなくなってしまった。

 それを四年。

 最低四年もの間、あの幻覚と付き合い続けていたということ。どんな思いを抱えていたらあれらと四年間も向き合い続けられるのか? 不可能だと思えた、少なくともまともな神経をしていたら絶対に持たない。

 でも、だけれど現に夕洲サラという女の子はそれをかかえ続けて生きてきた。

 どうあればそうなれるのか、想像することすら難しい。


「そうなるわね。私はあの子が見ている幻覚を教えて貰うことでぼんやりと輪かくを知っているけれど、でもそれは知識として知っているだけで、はだ感覚としてそれがどういうモノなのか、分かってない。多分これからも分からない」

「……、」


 ケンは何かを言うべきなのだろうか、とわずかに口を開きかけて、しかし言葉は何にも出てこなかった。


「でもね、そんなあの子が言った唯一のわがままがこの町にもどってくること、だったの」

「それは……、」

「どうかしらね。君に会うためだったのかもしれないし、もっと違う理由があったのかもしれない。私自身、あの子の心の内側を深くまで探ろうとは思っていなかったから、答えは分からない」


 ある意味でそれは無責任だったのかもしれない、とわずかばかりの自嘲の色が見て取れた。

 もっとあの子のことを知る努力をしていれば、もう少し彼女の心を幸福に導くことが出来たかもしれない、と。


「今のあの子と君を引き合わせるとあの子に何が起きるか、君に何が起きるのか、私にはちょっと想像ができない」


 ランがケンを見る眼にすぅっと力がこもる。それはやさしい眼だった。おだやかだけれど、芯のある眼。

 きっとサラのこともずっとそうして見守っていたのだろう。


「多分安静にしてまた数年もしたら幻覚症状もおだやかになると思うから」


 すぅっと一度息を吸うために言葉を区切った。

 ゆっくりとしたまばたきを一度はさんで、つばを飲み込んでのどを小さく鳴らしてから続ける。


「だから、あんまり気にしないでいいのよ」


 それはある意味では優しさだった。だけれど別の側面から見れば残酷ざんこくさも持ち合わせていた。


 つまり最後通告だ。

 君に何か危険が迫るかもしれないから全部全部キレイさっぱり忘れていつもの日常に帰りなさい、と言外に告げられている。

 後の処理は私たちがやるから、と。


「出来ません!」


 でも、だからといって大和ケンはそんな言葉で納得できるほど大人じゃない。ちゃんとリスクとリターンを天秤てんびんにかけて損得を判断して退くときは未練があっても退くなんてことを出来るほどリアリストにはなれていない。


「そんな風に言われて、はい分かりました、なんて納得出来るわけないじゃないですか!」


 友達のことをあきらめて自分だけ平和で安心安全な日常にもどれなんて言われて、それに大人しく従えるわけもない。


「ぼくは確かにあの子が覚えているはずの昔のこと忘れてしまっているけど、それでももう、ぼくの友達なんですよ! そんな風に、なかったみたいに見捨てることなんて出来るわけないです!」

「出来るわけない、かぁ……」


 喜べばいいのか叱ればいいのか、あるいは悲しんだらいいのか。坂月ランは感情の行き場を失くしていた。ただ真っ直ぐなこの男の子を見ていると手を貸してあげたくなる。良くないと分かっているのに、可能性を、本当に少ししかない可能性を分けてあげたくなってしまう。

 それが大人になるって言うことなのか、それとももっと別の感傷的なものなのか、しっかりと区分けすることは出来なかった。

 ただ、あきらめたくないと言った真っ直ぐな男の子の願いを叶える可能性を否定したくないな、というのだけは本心だった。

 白衣の胸ポケットからボールペンを取ってテーブルに備え付けられている紙ナプキンにさらさらと文字を書き込んでいく。

 全部書き終わったら間違いが無いか一度見直して、それからその紙をケンへと差し出した。


「コレはあの子のいる施設の住所。君のその友達思いな心に免じて教えてあげる。それから……、」


 ランはいつの間にか手に構えていたスマホでパシャリとケンのことを写真に撮った。


「なぁっ!? なんで写真なんか?!」

「施設の人に君の背かっこうを教えておかないと自由に出入り出来ないからね。今のは証明写真替わりだよ」


 そう少しいたずらっぽく笑う。


「君の思いは聞いたし、あの子の思いもまあ大体は想像が付く。だから、こちら側としては門戸は開けておくことにするわね。そこから先は君次第、あの子、サラともう一度会うにせよ、会わないにせよ、選択権は君に渡しておくことにするね。まあその責任は私が持つのだけれどね」


「……、それって?」

「君はいつでもあの子に会いに来ていいよってこと」

「そっか。良かった……、会いに行っても良いんだ」

「ただ、よく考えて来て欲しい。重ねてになるけど、今の状態でサラと君を引き合わせると何が起こるのか本当に予想が付かないから」

「分かりました」


「さてと、話も終わったしやることもあるから私はもうもどるね、君はそれ食べ終わったら家に帰りなね。あぁ、それと色々調整があるからもし、君がサラに会いたいって思うなら明日、はちょっと難しいかな……。こっちの準備を整えるのに一日かかると思うから、会いに来るなら明後日からにして欲しいかな。でも、くれぐれもよく考えてね?」


 ケンはただただ無言でうなずいた。


「じゃあ、お会計は私が済ませておくから食べ終わったら帰りなね」


 結局パフェを食べることを忘れて話を聞いてしまったケンにそれだけ伝え、ランはさらりと喫茶店をでて行ってしまった。

 言われるがままにとりあえず食べてしまおうと残っていたパフェを口へと運ぶ。


「アレ? こんなに甘かったんだっけ?」


 さっき食べたときには細かな味の判別なんかつかなかったけれど、今は香り豊かなバナナの味わいと、甘みの中に渋みが合ってほろ甘苦いチョコレートと、それからいたってふつうの生クリームの味がそれぞれ混ざり合ってハーモニーをかなでているということが理解できた。

 話をしている間にきん張の糸がほどけていたのかもしれない。

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