涙の池が実際にあったとして、それはだれの?1

 八月五日。やっぱり変わらずエアコンがないと非常に辛い暑さをしている。

 それでも本日は空に灰色の分厚い雲が立ち込めていて、今にも雨が降り出しそうな様相が功を奏してか、昨日一昨日辺りと比べればいく分か気温は落ち着いている。本当に心なしか、気持ち程度ではあるけれど、それでも一応実気温にして約三℃も気温が下がっている。いや、三℃はやっぱり誤差かもしれない。でも二一℃と二四℃考えると結構違う気もする。結局のところ気温が三〇℃を超えていたら相対的に見て多少温度が上下したとしても、暑いものはやっぱり暑いとしか言いようはない。


 そんな蒸し暑い中でケンとジョウとサラは待ち合わせをしていた。

 集合場所は町の駅前ロータリー。現在時刻はお昼の一時を少し過ぎたころ。

 先に待ち合わせ場所についていたケンとジョウに後から来たサラが声をかけた形だ。

 お互いに軽く会釈をする。伊角ジョウと夕洲サラは知らないもの同士なので、この対応は仕方がなかった。うらむならば初対面の友達を急に引っ張り出してきた大和ケンをうらんでほしい。


「というわけでぼくの友達の伊角ジョウです」

「おれはおじゃま虫だと主張したんだが、無理やり引っ張り出されました、対ヨロ」

「……、初めまして。わたしは夕洲サラっていいます。よろしくね、ケン君のお友達の伊角君」


 二人して「どういうわけなの(だよ)?」というツッコミが喉元まで出かかったが、急に上げ足を取ったりしたら良くないだろな、という心理が働いて何とか飲み込むことに成功した。多分がまんはしなくても良かった。


「で、おまえちゃんと考えてきたんだろうな?」

「そりゃもちろん、考えてきたよ。じゃあいこっか」


 二人を先導するようにケンが勇み足で先に進んで、ジョウとサラはそれをゆっくりと追いかける。


 やってきたのは看板代わりのくすんだ日よけに文具とだけ書かれた古ぼけた小さな店だった。


「ここがぼくが良く来る文房具屋さん。学校で使うものは大体ここで買ってるよ」


 ドアを開けて中へと入る。古ぼけたお店だけあって自動扉なんてモノはないため、開けたら閉めるがルールだ。

 曇り空で連日よりは日差しが落ち着いているとはいえ、それでも夏の熱気が店の中に入り放題になってしまったら敵わない。ついでに言えば店主のおっちゃんももうそろそろ年なので夏の酷暑と冬の寒さは普通に骨身に染みるのだ。


「へー、そうなんだね。入り口でタバコ吸ってた人が店主さんなの?」


 サラがそんなことを言ったけれど、ケンもジョウも暑いからさっさと店の中に入りたいな、と言う気持ちが先行していて店の周りのことをなんて全然気にも止めてなかった。


「そんな人いたかな?」

「いなかったと思うぜ」

「あれ? わたしのかん違いだったのかな?」


 みんなでもう一度入り口のドアを開けて表にちょっと顔を出す。


「だれもいないな」

「うん、かげか何かを見間違えたんだろうねきっと」

「そうみたい。変なこと言っちゃってゴメンね」


 そこにはだれもいなかった。何にもなかった。ただ、店の前に立っている白い道路標識が人のかげみたいな細長いかげをお店の横に作っていた。

 早々にまたドアを閉めてから三人で狭い店内を見て回る。

 雑多な文房具屋さんだった。こっちに色々なサイズの紙類がおいてあると思ったらその近くにインク瓶がずらっと並べてあって、そのすぐ横には定規やコンパスなんかが複数サイズ揃っている。下を見れば粘土があるし、上を見れば消しゴムがある。ペンの並べられた場所も、鉛筆がダースで並べられてるかと思えばボールペンと万年筆が同じように無造作に突っ込まれている。唯一ガラスで出来たどう使えば良いのかよく分からないペンだけは他より少し丁寧に並べられている。筆と墨汁も近くにバラっと置いてあって、書道用の下じきとカッターマットやアクリル性の下じきが一かたまり扱いされていた。


 統一性があるんだかないんだか分からない商品の並べ方だ。

 以外にも今風なスマホカバーやストラップ、キーホルダーとしても使えるタッチペンなんかも取り扱いがあった。それらをわざわざこういう文房具屋さんで買っていくような人がいるのかは、正直なぞだが。

 店主のおっちゃんは今は奥に引っ込んでいるらしく、見ている間に顔を合わせることはなかった。


「なあケン、流石に今は買うもんもないだろうしほかに行こうぜ?」


 三人で一通り店内を見て回って、一つ息を吐いてからジョウがそう言った。

 確かに小学生にとって、文房具は大事だ。大事だが、わざわざ夏休みに探しに来るようなものでもない。


「それもそうだね。じゃあ次行こうか」


 うんうんとうなずいてケンはジョウの言葉にうながされる様に、次に行こうと言葉にした。

 実はジョウは心配をしていた。ケンがこういうときにどういう段取りを取ってくるのか、あるいは段取りなんて何にも考えてこないのか、さっぱり分からなかった。だから、一応行き先の候補をいくつか考えてきているらしいことが分かって内心で少し安心だけほっとする。


 古ぼけた小さな文房具屋さんを後にして、三人は待ち合わせ場所の駅の反対側へと歩いてきた。

 今度のお店は緑に白のラインが入った看板が目印の自動扉がちゃんと付いている本屋さん。


「ちょっと良いデザインの文房具使いたいなって思ったらこっちに来るんだ。さっきのお店と違って女の子が好きそうなかわいい系のペンとか便せんとかもあるよ」


 なぞの気づかいを見せたケンだったが、どこかピントがズレていた。


「へー。わたし本屋さん好きだから場所が分かるのはうれしいな」

「それでいいのか……?」

「なにかダメなの?」

「いや、いいなら良いんだけどよ……」


 ジョウの疑問は割と真っ当なのだが、どん感大魔神大和ケンにはさっぱり分かってなかった。


「ジョウはこれで結構気にしいだから夕洲せきすさんのことを心配してるんだと思うんだけど……」


 表情を変えずに二人のやり取りを見ていたサラに対して、ケンがそんなフォローをするけれど、実際のところフォローされているのは、ケン自身の方なのだが、気が付いてはいなかった。

 それでも、ジョウが自分に対して何か言いたげなのにも気が付いたので、サラに聞こえないくらいの小さな声で「そんなにダメ?」とこっそり聞いてみる。


 したらば、「本人が良いっていうなら良いような気もするけど、女の子を連れてくるような場所ではないと思うぜ」と言う言葉が同じくらいの音量で返ってきた。

 三人で適当に店内を見て回る。

 本屋さんとしてもそこそこ大きめな規模なので、普通の雑誌も専門的な雑誌もあり、学術新書もハウツー本もテレビ教室のテキストもありレシピ本もある、もちろんマンガもあり、児童書もライトノベルも一般書籍もある、ついでに言えばCDとかゲームソフトの取り扱いもあったりする。ざっと見て回る分には困らないくらいに品ぞろえは充実していた。


 しかし、三人が主にながめているのは文房具コーナー。

 先ほどのこじんまりとした文房具屋さんととは違って、デザインは良いけどふだん使いするにはちょっと使い勝手が悪い感じの文房具の取り扱いが多い。例えばページのガラがやかましすぎて自分で書いた文字が見えにくいキャラクターノートだったり、デザイン性を高めすぎた結果ペンとしては使い辛い重さになってしまったやたらかわいらしいボールペンだとか。


 そんな文房具を色々見ていると、

「ヒッ!?」

 急にサラが小さな悲鳴をあげた。


「どうしたの?」


 少し離れていたケンとジョウは何事かと思って、サラの方へとよりなおす。

 そこはカラフルなペンのコーナーだった。

 でっかい星のチャームが付いたピンクのペンだったり、やたらメタリックで八色分使い分けられるようにした結果太すぎて絶対ににぎり辛そうなペンだったりが並んでいて、試し書き用のメモパットがあちこちにおいてある。


「う、うん。そのちょっと虫がいて、びっくりしちゃっただけだからそんなに気にしないで」

「虫ってどんな?」


 急に出てきて悲鳴を上げてしまうような虫がお店の中にいると考えると、気にしないわけにもいかない。


「小さいムカデみたいな……」


 ムカデということは足元だろうか? と考えて、とりあえず真下を見てみると、サラがフルフルと力なく首を横に振った。確かに足元にムカデがいた場合ビクッとはなっても思わず小さな悲鳴が出るほどでもないかもしれない。

 であるならば、直接触れる可能性がありそうなメモパット周りの商品台周りにいたのか。

 そう考えて、ケンとジョウは並べられたペンや何やらをグチャグチャニしないように気を付けながら辺りを物色してみた。


「何にもいないし、たぶんほらこの辺の試し書きのやつと見間違えたんじゃない?」


 一通り探し回ってみたけれど、それっぽい生き物はそれっぽい場所で見つからなかった。ただ、たなや台の裏側や下ににげ込まれてしまったという可能性もあるし、何とも言えなくはある。


「そうかも……。ムカデにしてはすごくカラフルだったような気もするし」


 それでも、二人があちこち探してくれたのを見て、サラは安心しようと自分を納得させたようだった。

 それから三人でまたあちこち店内を回って、三、四十分ぐらいかけて大体の場所を見て回った。見てないのは黒いのれんの先くらいだろう。

 一通り見終わった三人がそろって本屋さんの自動ドアを出る。

 相変わらず外は暑かった。

 外気と内気の温度差に思わず舌を巻く。


「せっかくだし、アイスでも食べにいこっか?」

「アイス食べてぇ……」

「冷たいモノ、食べたいね」


 あまりの暑さに三人とも思ったことが自然と口に出た。


「おっ、気が合うな!!」

「それじゃあ、せっかくだからあそこのアイス屋さんに行こうよ」

「アイスの専門店があるの?」

「この町は大してなんもないくせに、何故かアイスの専門店があるだぜ」

「本当になんでなんだろうね?」


 しかもそのアイス屋さんはチェーン店でも何でもないアイス屋さんだ。なぜわざわざこんな町に店を構えているのか、小学生たちの間ではもっぱらなぞとして語られている。

 駅前ロータリーの一番はじっこにそのアイス屋さんは店を構えている。


「これは……、クラゲ?」


 店の前にやってきたサラが看板を見て首をひねる。


「マッシュルームアイスだから多分キノコかな」


 トリコロール模様の下地にマッシュルームがグレーで抜かれている変な看板。グレーのマッシュルームは見ようによっては確かにクラゲのようなシルエットに見えなくもない。


「キノコ……。キノコ?」


 アイスクリームとマッシュルームの関連性が全く見いだせずにサラはさらに首をひねった。


「言われてみると、マッシュルームよりはクラゲの方がなんとなくアイスと関係ありそうな気持ちになるけれど、でもここはマッシュルームアイスなので」

「そっか」


 イメージとして確かに涼し気な印象があるクラゲの方がアイスという食べ物のニュアンスに近いような気はする。それでもこのお店がマッシュルームアイスと名乗っているのは変わらぬ事実なので、異議を申し立てても特に意味はない。

 店に入って、アイスケース中からアイスを選んで注文する。

 ケンはチョコミント、ジョウはグレープミルクソーダ、サラはスペースミラージュというアイスをそれぞれ注文した。

 店内の飲食スペースにぐでーっと座った三人はそれぞれアイスを食べ始める。


「その、スペースミラージュってどういう味するの?」

「うーん、これベースは多分チョコ系かなあ……? でも多分一つじゃなくてチョコ系で味が違うアイスが二つくらい混ざってて、あとナッツも入ってるよ。アーモンドとかクルミとかカシューナッツとか」

「ムダにかっこいい名前すぎて味の想像がつかなかったけど、聞く限りでは意外とおいしそう」

「うん、結構ね、ふつうにおいしいよ」

「名前冒険し過ぎるのも考え物だな」

 三人はアイスを食べながら他愛ない話をしていた。

「そういえばケン君は何か好きなこととかあるの?」

「それは聞かない方が……」


 不意にそんなことを言い出したサラにジョウがわざとらしくと頭をかかえる。


「あの英雄ヒーローとそれにまつわる事件関連のあれこれを調べるのが好きなんだよね」

「そうなんだ!」

「結構映像媒体でのインタビューとかは残ってるのに、どこの誰なのかっていう部分は一切分からないのすごくミステリアスだよね! もちろん彼が解決したこと、多くの命を救ったことも尊敬してるんだけど、それよりもすごいと思ってるのは彼の心の在り方みたいな部分なんだよね!」


 そう、ケンにそんな風な聞き方をしたならばとんと止まらずしゃべりだしてしまう。


「あの事件のとき多分結構色んな事を経験したんだなってことくらいはインタビューの内容とかから詳しい状況は分からないまでもなんとなくは分かるんだよね。でもそれを理解してほしいとか同情してほしいとかそういうのを一切捨てて、あの事件で傷ついてしまった人たちに寄りそうための言葉を選んでいたんじゃないかなって、ぼくは思うんだ」


 一度息を吸いなおして、

「そういうなんていうか度を越した優しさ、みたいな部分が本当にすごくて、すごくて……!」

 付け足す。


「そうなんだ。それじゃあ事件の方にもくわしいの?」


 一度言葉が切れたタイミングで、サラがこっそり話の矛先をちょっとずらそうと試みた。


「それがね、事件の方のことも色々調べて見たんだけど、何というか正直何を言ってるかよく分からないことが多くってね……」

「確かにニュースとかもそれ関連の説明しているとき大体よく意味が分からないもんね」

「何度説明されてもちょっと怪文書じみててよく分からねぇんだよな……」


 事件そのものの感想のほうに流れをそらせるかもしれない、とサラとジョウがすかさず乗っかったのだが――、

「そう! そうなんだよね!! で、そんなよく分からないものに立ち向かっていって、色んな事を解決してしまったのって本当に、本当にすごいことだって思うんだよね!!」

 再度ケンの大好きなあの英雄ヒーローのことに収束していく。安易に切り分けて考えられるものではないので、当然と言えば当然ではあるのだが、しかしちょっと無常だった。


「……、そういう風になりたいの?」


 それはシンプルな疑問だった。

 それだけ熱く語れるということはそれだけ強い思い入れがある、ということ。

 強い思い入れ。それはすなわち同化願望なのではないか、ということ。そういう考え方を彼女はしている。


「もしなれるんならああいう風になりたいと思うけど、でも……、『だから、ボクなんかに助けを求めるんじゃなくてみんなが、自分なりの英雄ヒーローを目指して欲しい。どんな人でもきっとなれる。みんなを助ける英雄ヒーローにはなれなかったとしても、自分なりに自分とその周りの少しの人を助けられる英雄ヒーローにはきっとなれる』ってあの人は言ってたから、ぼくはぼくなりのそういう存在になっていきたいんだ」


「……、そうなんだ! きっとケン君ならなれるよ」

「そうかな?」

「まあ超すごい英雄ヒーローになりたい! って言い出さないだけましだな」


 ジョウのその言葉には少しだけふくみがあった。


「なぁっ!? なんだよその言い草ー!」

「ハハハハハァーッ!!」


 というか、そういう風に茶化さないと延々あの英雄ヒーローの話をされかねないと経験則で知っていた。

 大和ケンはふだんはそこまでじょうぜつな方ではないのだが、スイッチが入るとちょっと面倒くさいところがあるのだった。

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