華蓮の道

 翌日、朝食を済ませてから精霊の森に赴いた。連絡手段がないどころか、時間の約束もしていないというのに、華蓮は精霊の森に入ってすぐの所で待っていた。

 俺の身に起きている異常に少し驚くが、咎められることはなかった。


「たった一晩で見違えるほど馴染んだわね」


「ひたすら向こうの世界の肉体と意識を切り替えていたら、慣れてしまったのかこの有様です。こっちの肉体での操作を習っていないので、どうしようにもなくて困っていました」


 第一門の先にある肉体と現世の肉体が入り混じり、身体のあちこちから赤い蒸気が噴出。エネルギーを垂れ流してるように見えて、可視化されているだけに過ぎない。母親とすれ違った人々には視えないらしいので、騒がれずに済んだのがせめてもの救いだ。

 華蓮が赤い蒸気を噴出する箇所に触れると、穴が塞がったみたいに噴出が収まった。


「まさか自宅でも修行するだなんて、思ってもいなかったわ。根が真面目なのね」


「いえ、目標に向けて自分に出来る事をやっただけです。俺は真面目じゃありませんよ」


「一睡もせずに修行したのでしょう? 並々ならぬ集中力と向上心……いいえ、探究心かしら。次の修行に移ると言いたいところだけど、お茶でも飲みながら第一門について解説しましょう」


「はい、お願いします」


 現世の肉体でのエネルギー操作も大事だが、第一門についての知識も必須だ。異なる次元にある焔の世界、業火の肉体と繋がる出入口。たったそれだけの浅い知識では、十全に力を発揮できないのは自明の理である。

 華蓮に家まで案内され、席に着くと薬草茶を淹れて貰った。向かい合う形で華蓮も座ると、第一門の解説が始まる。


「第一門の先にある異次元世界の名をエーテル界、肉体はエーテル体と呼ばれるわ。異次元の肉体の総称がエネルギー体、黎人は聞いたことがある?」


「チャクラの概念があるヨーガで聞いたような覚えがあります。アリストテレスか誰かもエーテルについて研究していた記憶もありますが、そっちは違いますよね」


「アリストテレスが提唱した第五元素のエーテルではなく、黎人の読み通りヨーガで登場する方ね。エーテル界に漂うエーテルをエーテル体で吸収し、第一門を通じて物質界の肉体と循環させる。エーテルこそ魔力マナや氣の素となるエネルギーで、あと六種類のエネルギーが存在するわ」


「この力があと六種類もって、想像がつかないですね……」


 エーテルが物質界の肉体に溢れ、一睡せずとも全く眠くない。それどころか体調は良く、昨日よりも身体が軽く感じる。

 そう、ただ満ち溢れているだけで恩恵があるのだ。意図的にコントロールが可能になれば、人間の領域を超えた力を発揮できるだろう。


「一つ質問なのですが、門から氣の素となるエネルギーを供給できるとなると、丹田は使わないのですか?」


 丹田は臍の下の内部、五臓の中心にあるとされる。氣の採り入れから練り上げまで行う器官とされ、仙術、仙人が登場する作品ではこれがないと話が始まらない。


「黎人は優秀ね、丹田も知っているの?」


「聞き齧った程度ですがね。他には上中下の三丹田説があったり、その内の下丹田を主に丹田として扱うとか、それぐらいの知識量です」


「それだけの予備知識があれば十分よ、文句の付け所がないわ。仙人は大気中、龍脈、霊草や霊果等のエネルギーを氣と捉えて貯蔵し、練り上げる器官として下丹田がよく使われる。だから仙人は門を開けずとも仙術を扱い、呼吸だけで生命維持と活動を行えるのよ」


 霞を食べる、即ち氣を採り入れる。その行為は仙人にとって食事ではないが、常人には食事のように映る。

 一般的な仙人はこうして氣を集めるが、華蓮はその方法から外れている。華蓮が邪仙に認定された原因はこれだった。


「華蓮さんの氣を集める方法―――華蓮式吸氣法と仮に称しますが、異次元から採り入れたエネルギーを氣に変換する方法が邪道とされましたね?」


「氣は万物と自然界に存在し、その根源であるタオと同化して不老不死となり、自由に生きるのが仙人の目的。なのにエーテル界といった異次元から採り入れたエネルギーを氣に変換するだなんて、タオから逸れていると解釈されるのも無理もないわ」


(仙人にとって不老不死は過程であって、自由に生きる事こそがゴールなのか。不老不死ねえ……)


 自由に生きたいと願う人は多くても、不老不死になってから自由に生きたいと願う人は少ないだろう。俺もその一人で、不老不死はどちらかといえば悪いイメージしかない。

 移ろう世界に独り残される寂しさに耐えられるほど、人間の精神は強靭ではない。孤独に耐えうる強固な精神でなければ、不老不死は生き地獄と化すだけだ。

 精神面の修行も重要視されるのは、そういった側面もあるのだろう。


「華蓮さんは不老不死を達成しましたか?」


「不老ではあるけど、不死ではないわね。八つの肉体が同時に破壊されようものなら、死から逃れられないわ」


「実質的に不死じゃないですか……そうか、これがタオと同化して不老不死になる一つの答えですか」


「外丹術は霊草と霊木を材料にした丹薬を服用し、内丹術は氣を練り上げて体内に内丹を作ることでタオと同化する。この二つ以外に方法がないとされるけど、私のはどちらかと言えば内丹術に似ているでしょうね」


 竹取物語の主人公であるかぐや姫は月の使者が持ってきた不老不死の薬を帝に渡し、秦の始皇帝は徐福に不老不死の霊薬を探すように命じた。錬金術のエリクサーも不老不死の万能薬とされるが、どれも薬が不老不死の鍵になっており、物理的な手法だ。

 内丹術は氣を練り上げ、体内に不老不死の薬と同じ作用の内丹を作る。段階的に内側からタオと同化し、地道で堅実な手法である。

 対して八つの肉体を同時に破壊されない限り、死なない肉体は別アプローチで獲得した不死性だ。門を開門すると異次元の肉体に引っ張られる形で物質界の肉体が変容し、これもまたタオと同化するという現象に近しい。

 そこまで思考を張り巡らせたところで華蓮に視線を向けると、華蓮は遠い目で何処かを見つめていた。


「やはり……私は既に不老不死を達成していたのね。自他共に認められてこそ、真の証明と成る。黎人のお陰で不老不死に至れたわ、ありがとう」


「俺は何もしていません、華蓮さんの努力の賜物です」


 華蓮は邪仙として扱われたが、彼女は真理の一つに至っていた。一般的な仙人が思い描く理想とかけ離れており、様々な思想を組み込んだ独自の真理だ。

 賞賛の拍手を贈ると、華蓮が微笑んだ。純粋無垢な童みたいに、嘘偽りない満点の笑顔だった。

 お互いにお茶を飲んで唇を湿らせると、華蓮がさらりととんでもない事を口走る。


「自由に生きる、その第一歩が黎人を立派な仙人に鍛え上げるのも悪くないわね。寧ろ仙人になるべきだと、私が太鼓判を押すわ。先立って氣を練る修行から始めましょう、第二門はその後ね」


「仙人になるべきだなんて、買いかぶり過ぎです。俺みたいな凡人には丹田を扱えるかも分かりませんよ?」


「安心しなさい、補助しながら教えるわ。第一門の開門に八時間しか要さなかったのだから、すぐに習得できるわよ」


(すぐにって、お爺さんお婆さんの言うこのあいだが半年前みたいな感覚じゃないだろうな……)


 若者のこのあいだは凡そ二日前だが、老人のこのあいだは数ヶ月前や半年前というのも珍しくない。人間からかけ離れた時間感覚ではすぐでも数年単位になりかねず、あまりの長さに頭を抱えた。


「高校の入学式までに間に合いませんか?」


「まさか数年や数十年単位とでも思ったのかしら? 早ければ今日中にでも終わるでしょう」


「あ、そうなんですね。結構早く習得できそうですね、あはは……」


 華蓮が目を細めて抗議してきたが、視線を逸らしてお茶を飲み干した。

 話題を切り替えようと、此方側から話を振る。


「丹田で氣を練る修行はどの段階になります?」


 記憶が曖昧なので不確かだが、とある小説ライトノベルでは修行の段階によって呼称があった。そして呼称と合わせて階級まで細分化されており、力量の目安となっていた。


「段階……もしかして境界のこと? 境界は練気期、築基期、金丹期等があり、九品から一品までの九つに区分されるわ。黎人は一般の練気期と異なるから、そこら辺は気にしなくていいわよ」


「一般の練気期と異なる? あー、本来は体外から丹田に氣を集める修行から始めるのに、素となるエネルギーを異次元から引いてますもんね。何と言うか、反則してる気分だ……」


 本来はタオを探求し、己を磨くのが歩むべき道だ。それに対して俺は既にタオが何処にあるのか、先に答えを見聞きしてしまっている。

 誰かに咎められるでもなく、指摘もされないので気に留めるだけ無駄なのだが、それでも後ろめたい気持ちを抱いてしまう。


「実験も兼ねているから、後ろめたい気持ちなんて持たなくてもいいのに」


「え? 実験?」


 華蓮は悪びれもせず、平然と頷いてみせる。

 華蓮が俺の指導役を引き受けたのは精霊の森に出入りでき、俺が理解者になるという二つの理由だった。そうなるとこの二つが建前になるが、イアが俺を悪用する輩に指導役なんて頼まないだろう。

 どちらも本音であって、実験というのは言い方が悪かっただけだ。


「華蓮さん独自の修行法を試みた一人目が俺ですか」


「ええ、他に弟子を取ったことがないもの。それに門を開けるリスクだって、黎人なら十分理解してるでしょう?」


 トントンと、華蓮が自身の胸を指先で叩いた。

 門を開けるとエネルギーの供給量が増加し、肉体の性能が向上するメリットがある。メリットがあればデメリットも存在し、に近付くという点だ。

 人間は他者と適切な距離を保つ上でに仮面を被せるが、に寄ると仮面の効果が薄れてしまう。が健全ならば何も問題はないが、強欲な者ならば忽ち己の欲に溺れてしまい、身を滅ぼす運命だ。なので誰でも華蓮の修行法を受けられるかと言うと、難しいところがある。


「そろそろ修行に移りましょう、時間が惜しいわ」


「はい、お願いしま―――」


 指導をお願いしようとしたタイミングで玄関のドアが開け放たれ、突然の出来事に口を閉じた。精霊の森に出入りできる者は限られており、華蓮宅に客人が訪れるなど予想だにしなかった。


「よう、華蓮。久しぶりだな」


 深緑の長髪は外側に跳ね、澄み切ったエメラルドグリーンの瞳。女性ウケが良さそうな小麦色の肌と精悍な顔立ち、大柄な体躯に獣皮のベストを羽織った青年が玄関に立っていた。

 華蓮の友人なのだろうが、俺と目が合うと嬉しそうに歯を見せて笑った。

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