精霊
青年は無断で華蓮宅に上がると俺の傍まで一直線に歩み寄り、筋肉質な太い腕で肩を組んできた。
「よう、相棒。こうして会うのを楽しみにしていたぜ」
「一方的に俺を知っているみたいですが、相棒と呼べるほど知己ではありませんよね?」
付き合いが長い友人みたいな態度で接してくるが、どんなに記憶を漁っても面識がない。酒臭くもないので素面、華蓮と人違いという線も薄い。
一方の華蓮は事情を察したらしく、青年に尋ねる。
「黎人の前に精霊が現れなかったのはそういう事なのね。まさか貴方が黎人を選ぶだなんて、よく許しを得られたわね?」
「母上にも過度な干渉になるから認めないと最初は断られたが、相棒が使者だから選んだ訳ではないぜ。俺が俺の意思で認めたから、契約を結びたいのさ」
「契約って……もしかして精霊ですか?」
本来、精霊の森は人間と精霊が契約を結ぶ場だ。精霊術師の素養がある人間以外に出入りできる者といえば、精霊のみである。
契約という単語も精霊と裏付ける証拠になり、青年が頷いた。
「流石は相棒だ、説明なんて不要か。相棒には現代だと珍しい精霊術師の素質がある、俺と契約して精霊術師にならないか?」
「却下」
「イッテェ! 何すンだよ、華蓮!?」
胡散臭い勧誘みたいな台詞と共に青年が承認の握手を求めてくるが、俺が拒否するよりも先に華蓮がその手を叩いた。バシンと良い音が鳴り、青年は赤くなった手を涙目で擦っている。
「イア様に黎人の面倒を見るように言われているのよ、勝手は許さないわ」
「母上を説得してやっと許可を貰えたのに、そりゃないだろ!? 前契約者の好みで頼む、華蓮様!」
青年が床に膝をついて懇願するが、華蓮は一切聞く耳を持たない。俺の修行に全力を注ぎたいのか、イアの名前を出してまで拒む。
契約の件は一旦置いておき、それよりも前契約者という二人の関係が気になった。
「華蓮さんが前契約者……精霊と契約したら一生、解約できないと思っていましたが、今は解約済みですか?」
精霊との契約は生涯を捧げたものであったり、解約が可能であったとしても多大な代償を支払う羽目になるのが一般的な認識だ。華蓮に代償を支払った形跡はなく、二人は円満に解約したのだろう。
そもそも華蓮に精霊が必要かと問われると、否としか答えられない。
「華蓮に俺の力は必要ないからな、俺から解約を申し出た。そしたら何の見返りも求めず、二つ返事で解約してくれたぜ。なぁ?」
「ええ、自由を愛する貴方を私の傍に縛り付けておくのは酷だもの。風は気のまま、あるがままに渡り歩くべきよ」
「そこで一つ、黎人との契約を認めてもらえると嬉しいンだが?」
「却下」
「―――ふふふ」
長年連れ添った夫婦よろしく、二人のやり取りに遠慮がない。どれだけ長い月日を一緒に過ごしたのか定かではないが、和んでしまい自然と笑ってしまう。
二人も釣られて軽く笑った後、青年の咳払いで脱線した話を元に戻す。
「俺が睨みを効かせたから数日間は誰も寄って来ないが、精霊の森に長居するからにはアイツ等も黙っちゃいない。せめて仮契約だけでも認めてくれよ」
「そうね、仮契約ならいいわ。押し売りセールスマンよろしく精霊達に契約を持ち掛けられても、毎度毎度断るのが大変だもの。黎人もそれで構わない?」
「華蓮さんの判断に従いますよ。いきなり契約しようだなんて、思っていませんでしたからね」
青年と握手を交わすと右手の甲に風を象った文様が刻まれ、淡い緑色の光を発すると徐々に薄れていく。仮契約の証は肌に紛れてしまい、日常生活で刺青だと勘違いされるのを防ぐ予防策である。
まだ精霊と契約を結ぶつもりがなかったものの、他の精霊に付き纏われても迷惑だ。仮契約と称して本契約を結ぶという詐欺の心配も、精霊相手ならば無用であったのが大きい。
「仮契約だがよろしくな、相棒。悪いが真名は教えてやれないもんでな、俺のことは仮にヴァンと呼んでくれ。堅苦しい敬語も不要だぜ」
「そっか、それなら敬語は抜きにする。俺については名乗らなくてもいいのか?」
「勿論だ、母上から聞いている。母上……緑の女神の使者にして、イア様の友人である宮内黎人だろ?」
「緑の女神様が親……精霊の生みの親が女神様なのか。自分の使者に精霊と契約させるなんて、過干渉とも捉えられるか」
女神は元素を司り、緑は風といった具合だろう。錬金術師パラケルススは四大元素が実体化したものを
そんな精霊と使者が契約を結べば、女神が間接的に使者を支援する形に捉えられ、他の女神も自身の使者に精霊と契約させる口実にされかねない。
「相棒と華蓮の懸念はご尤もだが、精霊だって一筋縄じゃあない。精霊との契約で大事なのは相性であって、それ以前に現代では精霊術師の素養がある人間自体が少ないンだぞ? 他の女神様の使者で契約できそうなのは……黄の女神様の使者くらいさ」
「もう黎人以外の使者を盗み見に行ったの? ヴァンは相変わらずね、まったく」
「人聞きが悪いな、偵察だよ。どんな奴が使者になったのか、相棒だって気になるだろ?」
「気になるからっていくら何でも、盗み見は不味いだろう」
偵察という名の盗み見に華蓮が呆れ果て、昔からの悪癖みたいだ。下心の有無を抜きにしても、人間の尺度では決して褒められたものではない。
「というより、青の女神様の使者は名前が割れてるから特定し易いにしても、他の二人をどうやって特定した?」
青の女神の使者、久世美波。報道で名前が公表されており、実家の方にも取材陣が出向いていると思われるので、特定は簡単な部類だ。
しかし、俺を含む他の三人は息を潜めており、精霊には女神の使者を識別する能力でもあるのだろうか。
「精霊ってのは契約しないと物質界に実体を伴って顕現できないンだよ。普段はエネルギー体で活動し、人間は相性が合わないと俺達を認識できない。そンでもって、俺達には人間のエネルギー体が、本質が視える。物質界の肉体とエネルギー体が異なる奴は使者と、よからぬ事をやってる連中に限られてくるから、風の便りを参考に探せば見つけられる。相棒は合致してるから、俺達でも見抜けないがな」
(そりゃそうだ、元の肉体が別世界の俺の肉体だし)
一般人の肉体と本質は形状が一致し、女神の使者の肉体と本質は形状がちぐはぐだ。仮に元の肉体の持ち主と混じり合っていたとしても、やはり形状は歪になってしまう。中身で人間を見分ける精霊ならば外と内がちぐはぐな人物を探せば、容易く女神の使者を特定できる。
俺の場合はどちらも同一人物なので数年単位の微妙な差があれど、精霊の目すら欺くようだ。
「仮契約だとどうなる?」
「仮契約だと相棒を中心に、半径数キロメートル以内でしか実体化できないな。ま、実体化せずとも力を貸せるから、精霊術師とバレる可能性は低いっちゃ低い。安心しろって、相棒」
「イテッ……精霊の割に力強すぎだろ!?」
「おっと、すまんすまん。久々の実体化で力加減がな。早速、仮契約の件を母上と兄弟に伝えてくる」
精霊のイメージといえば体長が十数センチメートル、小柄で子供みたいな容姿を想像しがちだが、ヴァンは全く異なる。その太い腕で背中をバンバンと叩かれると、相応の衝撃に痛みが生じる。
ヴァンは手を振りながらその身を風に変えて立ち去ると、華蓮が「緑ではなくて、突風の精霊じゃない」とこぼした。それには俺も同意見だが内心に留め、代わりにヴァンの発言から抱いた疑問を口にした。
「精霊がエネルギー体だとして、精霊術を行使する際の原理はどうなります?」
エネルギー体、言い換えるとエーテル体でエーテルを消費し、魔法を行使するのは生命を削るのと大差ない。そうなると精霊術は魔法と根本的に原理が異なり、エネルギー体でどのようにエネルギーを消費してるのかが引っ掛かった。
「良い着眼点ね、精霊が貴族に恐れられる所以はそこにあるのよ」
華蓮が昨日と同じく、人差し指と中指の先に炎を灯した。色、火力に差異はなく、素人である俺には見分けがつかない。
「人差し指は
「燃料が尽きない精霊に対し、限界がある人間では太刀打ちできませんね。そりゃ貴族だって恐れますよ」
人間という名の自動車は定期的にガソリンを補給する必要があるのに対し、精霊は油田から直接ガソリンを補給し続ける自動車のようなものだ。それぐらい両者のエネルギー量はかけ離れており、変換の手間すら省略されてしまう。
エネルギー体なのでエネルギーに直接干渉できるのだとして、華蓮は門の開門によって精霊に近い存在だ。精霊術を扱えて然りである。
「俺はヴァンを利用したくないから、本当は契約を断るつもりでした。なのに仮契約を結んでしまって、今後どうするべきでしょうか?」
現代では珍しい精霊術師、加護無しのマイナスを打ち消す希少価値がある。だがしかし、己の私利私欲で他者を利用したくない。平然と他者を足蹴にして歩いていけるほど、精神性が強くないのだ。
華蓮はじぃっと俺の顔を見つめて、それから額を小突いた。
「精霊とは互いに利用し合う関係ではなく、苦楽を共にするパートナーと思いなさい。私が断ったのは修行に集中させたいのと、ヴァンだって無敵ではない。黎人もヴァンを助けられる力を身に付けてから、正式に契約を結ぶべきよ」
「そうですか、華蓮さんの許しを得るまで契約の件は忘れておきます」
もしもヴァンが力を発揮できない状況に陥った場合、俺自身に力がないと詰みだ。それを見越して華蓮は断り、先に己の力を付けるよう促した。
パンパンと華蓮が手を叩き、玄関のドアを開ける。
「さ、それじゃ修行に行きましょう。エネルギーが満ちている場所が好ましいから、昨日と同じ場所ね。待っているわよ」
「ちょ、ま―――」
そのまま華蓮は森の中に消え去り、一人ポツンと取り残された。
一晩中エーテル体と意識を切り替えていた影響か、エーテル界に漂うエーテルを感知できるようになった。エーテルは流れが集中して濃い部分と、留まらずに流れてしまって薄い部分があり、流れを辿って来いという事だ。
戸締りを忘れずに行うと、エーテルに乗って華蓮が待つであろう目的地に向かって走り出した。
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