成りたい自分

 帰宅すると洗面所で手洗いうがいを済ませ、それから台所で晩御飯の支度を行う母親の背に声を掛けた。


「母さん、ただいま」


「おかえりなさい、黎人。お昼も食べずに何処へ行ってたの?」


 エプロン姿の母親が手を止め、心配そうな面持ちで此方に振り向いた。

 肩口で切り揃えられた黒のショートヘアと黒い瞳、柔和な顔付きの四十代前半の小柄な女性。紛れもない俺の母親、宮内みやうち榛名はるなである。

 何から何まで元の世界線と変わらず、強いて言えば顔の小皺が減ったくらいだろうか。


「実は散歩に出掛けたら仙……魔法を教えてくれる先生と出逢って、授業を受けていたら遅くなってしまったんだ」


「まぁ、それは本当なの!? 高校入学前に魔法を教わるのは貴族様くらいだから、先生と出逢えて運が良かったわね。だけど行き先を告げずに出掛けるのは感心しないわ、今後は気を付けなさい?」


「うん、ごめん。これからは気を付けるよ」


「よろしい、もうすぐご飯ができるから待ってなさい」


「はいはい」


 事情を説明すると母親は疑いもせずに許し、晩御飯の準備に戻った。底抜けに優しい人柄なので分かっていたが、一つ嘘を吐いた。

 華蓮に仙術を習う予定だが、馴染みが無さそうなので誤魔化した。氣を用いた魔法みたいなものだと言っていたのであながち間違いではないが、元の世界では俺を見捨てずに庇ってくれた母親に申し訳ない気持ちが募る。

 台所に隣接したリビングで待つのも気まずく感じてしまい、自室に入るとベッドに寝転がろうとしたが、机上に置かれた高校の入学案内パンフレットが視界に映った。


(国立千葉魔法高等学校、略して千葉魔法高校。魔法科しかないから、実質的に貴族の為の高校か……)


 ベッドに腰掛けると入学案内パンフレットを開き、内容を熟読する。

 魔力マナを持つ人間は魔法科に通わなければならないと法律で定められており、国立千葉魔法高等学校は県内随一の魔法科である。学費、教材費用、交通費といった諸々の費用を国が負担し、理想的な教育環境で国の将来を担う人材の育成に力を入れる。

 付属のクラス分けが書かれた書類に俺のクラスはFクラスと記述され、クラス分けについての説明が記載されていた。


(クラス分けの基準は魔力マナの総量に限り、家柄、スキル、加護は含まれていない。AからFまでの計六クラスがあり、クラスによって学内で受けられるサービスの等級が異なる。クラスバッジはオニキスゴールドシルバーカッパーアイアン青銅ブロンズ。俺は最底辺のFクラスだから青銅ブロンズか……こっちの俺はどのような気持ちで入学式を待っていたんだ?)


 思春期真っ盛りの自身がどのような心境で春休みに入り、何故召喚魔法を行使したのか。まるで事故に見せかけたという線が頭を過り、下唇を噛んだ。

 魔法科高校の好待遇ぶりは貴族の子供のみに与えられる特権であり、それ以外の人間は考慮されていない。魔力マナ持ちの庶民は運良く恩恵を得られる立場であるのに過ぎず、入学から卒業までの苦労が容易に想像がつく。


(そういえば、基準に加護は含まれていないとあったが、加護って何だ? 少し調べてみるか)


 スマートフォンの電源を入れ、ロック画面が表示された。ずっと同じパターンを使用していたので入力を試みると、ホーム画面に移動した。

 検索エンジンで加護について調べると、小説ライトノベルでありきたりな設定であった。


(加護は神の祝福を受けた者に与えられ、先天的に備わっている。スキルと魔法の上位互換とされ、身分と種族に関係なく発現する。後天的に授かる事例は稀有だが、四女神の使者は記憶が蘇った際に発現する……記憶が蘇るって、まるで―――)


 異世界転生にも王道的なパターンがあり、その内の一つが異世界の何者かと入れ替わるパターンだ。記憶が蘇るという文言からこの線が濃厚で、新たに生まれ変わると言っても過言ではなく、後天的であれど加護を授かる条件を満たす。

 四女神の使者についても長々と解説があり、赤の女神、青の女神、黄の女神、緑の女神を一括りに四女神と称し、四女神教が崇拝する女神によって召喚された者達らしい。


(イアが緑の女神に話を通すと言ってたから、俺は緑の女神の使者である可能性が高い。ただし正規手段で選ばれてないから、加護を貰えないのも仕方がないか)


 俺は自分自身に召喚され、女神に祝福されず加護を授からないのも頷ける。けれども四女神の使者は必ず加護を後天的に授かっており、加護を授かっていない俺の立場は危うい。

 前回、約二千年前に国造りを率先して行った使者は王族となり、身分欲しさに使者を騙るのは王族詐称と同義なので重罪である。俺が仮に使者だと名乗り出ても、加護を未所持だと判明した暁には微妙な立ち位置になってしまう。

 それでも一応、使者ならば好待遇で迎えられるだろうが、メリットからデメリットを差し引いてもマイナスだ。いい顔をしない貴族から批判されるか、排除しようと命を狙われるだろう。


(緑の女神の使者だと看破された場合には白状するとして、それまで口外しないでおこう。今後の身の振り方を考えておかないと、後で後悔するかも知れない)


 詳細な個人情報を視るスキルや魔法によって露呈しない限り、正体を隠すのが吉だ。自ら名乗り出て面倒事に巻き込まれるなど、飛んで火に入る夏の虫と同義である。

 使者であるのが露呈しないよう、なるべく人目を避けて生活するとなると、問題になるのが職業だ。自給自足で生きていける知識と技術を持ち合わせておらず、生きていく上で否が応でも働かねばならない。

 ダンジョンがある世界ならばと、加護のページを閉じて再検索をかける。


(冒険者、なる方法……大和総合冒険者組合、やっぱりあった。こっちだと国名が日本から大和になってるのか)


 大和総合冒険者組合の公式サイトが引っ掛かり、見出しには冒険者常時募集中とあった。冒険者ライセンスの取得条件についてもサイト内に載っており、早ければ早い方が良いのでページを開いた。

 取得条件は満十五歳以上、高校生可。学歴、身分、資格は関係なく、誰でも冒険者になれる。これだけ聞くと魅力的に感じる人が居るかも知れないが、適正試験を通過しないと冒険者として認められない。


(高校入学後は冒険者をバイト代わりにやるとして、具体的な仕事内容は……冒険者は世界各地のダンジョンに潜る権利が与えられ、魔石収集とアイテム収集が主な仕事になる。魔石ってのは?)


 魔石も多くの小説ライトノベルに登場するが、世界観によって使用用途が多岐にわたる。例を挙げるならば魔法の触媒、道具の材料、燃料代わり等である。

 魔石のページには魔力マナが結晶化した鉱石で、様々なエネルギーの代用品だと記述されている。電気、ガス、水道といった生活に必須であるインフラ設備だけでなく、自動車といった乗り物も化石燃料に頼らず、全て魔石で賄えるらしい。

 しかも魔石は魔力マナさえ供給できれば、何度でも充電可能な電池みたいな性質も併せ持つ。俺がこうして使っているスマートフォンも魔石が電池となり、充電ケーブルを繋いで充電するとなると、各家庭に魔力マナが供給されているのだろう。


(イアが意図的にダンジョンと魔物の生成を担っているのなら、合理的ではある。資源を供給することで枯渇性資源みたいに枯渇する恐れがなく、地球温暖化みたいな環境問題にも頭を悩まされない。地球には見習って欲しいもんだ)


 地球ガイアの人々にとって、ダンジョンは油田や発電所に代わるエネルギー生産施設である。命を落とすリスクこそあれど、資源枯渇と環境破壊の恐れがない。地球の人間にとって羨ましい資源だ。

 だが、解釈によっては地球ガイアが敵を生み出しているようなものだ。理不尽だと憤慨する輩が居るかも知れないが、俺はそう思わない。これぐらい徹底的に管理してくれた方が、個人的に好感が持てる。

 人間は欲望に忠実で、時に理性を失う生物なのだ。俺を含む人類など、上位存在に管理される方が世の中は平和を保てる。


「黎人ー、ごはーん!」


(おっと、ご飯ができたのか。早く行こう)


 母親に呼ばれてリビングに行くと、食卓に二人分の晩御飯が用意されていた。高校卒業後はキッチンから配膳されたお盆を運び、自室でご飯を食べていたので母親と一緒に食卓を囲むのは久々である。

 席に座ると母親が手を合わせ、俺も手を合わせた。


「いただきます」


「……いただきます」


 ご飯とオカズを口に運ぶと、母の味は別世界でも変わらず美味しい。が居ないのは気掛かりであったが、言及すると襤褸が出そうなので止めておく。

 テレビで流れるニュースを観ながらご飯を食べていると、まさかの内容に箸が止まった。


「本日十五時頃、久世くぜ男爵家のご息女、久世くぜ美波みなみ様が青の女神様の使者であるのが教会にて確認されました。教会側は正式に久世美波様を青の女神様の使者として認定し、これを受けて近衛このえ雄司ゆうじ国王陛下のご子息、近衛このえ恭一きょういち様が婚約を申し込んだそうです。我々取材陣は敷地内への立ち入りを禁じられており、定かではありませんが中では婚約の手続きが行われていると思われます」


 甲冑を身に纏った騎士達が横一列に隊列を組み、固く閉ざされた城門の前から微動だにせず、マスコミが押し入らないように目を光らせる様子が映し出される。

 著名人の婚約、婚姻発表は元の世界でもマスコミが取り上げていたが、無関心であった。誰が誰と結ばれようと、赤の他人の恋路なんてどうでもよかった。

 気になったのは青の女神の使者、そっちの方だ。


(久世美波が自ら名乗り出て、教会で何かしらの方法で確認を取ったのか。俺がこっちに来たタイミングで記憶が蘇ったのなら、行動が早すぎる)


 余程の馬鹿でない限り、二度目の人生は慎重に動くだろう。だというのに半日も要さずに王子と婚約まで漕ぎ着けるなど、どう考えても異様だ。他の使者が元の身体の持ち主から記憶を引き継いでいたとしても、物事がすんなりと進みすぎている。

 何か裏がありそうだと思っていると、城門の内側に現れた一台の高級車に注目が集まった。同年代と思しき金髪の美丈夫が後部座席の開いた窓越しに何者かと言葉を交わし、笑顔で軽く手を振って見送る。

 城門が開くと高級車はマスコミに取り囲まれたが、車窓にフィルムが貼られているので搭乗者の素顔を窺えなかった。


「近衛恭一様が久世美波様の見送りに現れ、手を振っておられます。後日、正式に発表があるまで婚約の詳細は不明ですが、お二人の仲睦まじいご様子が結果を物語っているのではないでしょうか。しかし、次期聖女であられる現婚約者のシンシア・ヤーニング様とのご関係は―――」


(王家側は使者の血を入れたいだろうし、久世美波も王家に入りたい。そこに本人の意思があるのか、または全て目論見通りなのか。ま、久世美波がどんな道を歩もうとどうでもいい。俺は俺の道を進むだけだ)


 同じ立場であれど、他人は他人。助け合う仲でもなければ、他の使者を目障りだと思う使者が居ても不思議ではない。なるべく使者との接触を避け、密かに力を付けねばならない。

 一分一秒ですら惜しくなり、急いでご飯を食べ終えた。


「ごちそうさま」


「もう、早食いは身体に悪いわよ?」


「大丈夫だって、この程度で身体を壊したりしないよ」


 心配してくれる母親を余所に、席を立つと自室に戻った。ベッドの上で座禅を組むと、己に出来る事をやる。


(こうして瞑想しないとエネルギーを知覚できないが、瞑想どころか意識せずとも知覚できないと後々困る。無意識の領域に刷り込めるよう、まずは意識に馴染ませないと……)


 魔物と交戦中に瞑想でエネルギーを知覚する暇があるのかと言うと、間違いなく無いだろう。そうなると呼吸同然にエネルギーを知覚しなければ、冒険者として生きていけない。それどころか、冒険者に成れるかすら怪しい。

 焔の世界から現世の肉体を観測し、現世から焔の世界の肉体を観測。延々と繰り返し、繰り返し、繰り返し。

 次第に五感が消え失せ、どちらの肉体がなのかも曖昧になり、やがて焔の世界と現世を隔てていた自己意識の壁が崩壊した。

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