第一門
「善は急げ、これから始めましょう」
「ええっ、今から始めるんですか!?」
「当たり前じゃない、時間は有限なのよ。特に人間である黎人にとってはね」
ビシリと指を差され、反論もできずに外へ出た。十中八九華蓮のやる気に火を付けたのが原因だが、此方側としても助かる。
高校入学前の春休み、学校が始まると修行の時間が減ってしまう。小学校、中学校は義務教育なのでいくら休もうと留年しないが、高校と大学は出席日数が足りないと留年の恐れがあるので気軽に休めないのだ。
加えて力を付けておかないと、面倒事が生じた際に対応できない。身分制度があり、元の世界よりも理不尽と不条理が顕著になった世界なのだ。絶対に信じられるのは己自身であり、己の力のみである。
「何処に行くんですか?」
「精霊の森は外と比べて大気中に含まれるエネルギーが濃密で、これから黎人が言っていた根幹の部分を鍛えるの。まぁ、鍛えるのではなく開けるのが正しいかしら」
華蓮の後に付いて行くと、湖の畔に着いた。湖水は澱みなく清らかで、水底までよく見える。
水生生物の気配は感じられず、生態系が築かれていない。豊かな自然環境が整っていようと、精霊の森は資格がない人間以外の生物も例外なく侵入と居住を許されないのだ。
「湖の中央にある小島が理想のスポットだけど、黎人はまだ水を渡れないからね。暫くは畔で我慢しましょう。此処に座りなさい」
「はい」
指定された位置に座ると、華蓮が向かい合う形で座禅を組んだ。例に倣って座禅を組み、次の指示を待つ。
「基礎の基礎、
「
何となく思った事を口に出すと、華蓮が目を細めて呆れてみせる。
「黎人は何処でそういった知識を習ったの?」
「そういう設定の
「いいえ、正解よ。
「分かりました、やってみます。スゥゥ、ハァァ、スゥゥ、ハァァ―――」
指示通りに瞼を閉じ、深呼吸を繰り返す。これまでも呼吸を繰り返してきたが、深呼吸に切り替えたところで特にこれといって何も感じられない。
第一門を開けるとして、深呼吸だけで開くのならば苦労しないだろう。そうであれば誰しもが魔法を扱い、貴族のお株が奪われてしまう。
「第一門は脊髄の基底部、生殖器と肛門の間にある会陰。深呼吸しながら意識を集中すると、循環するエネルギーが感じられる筈よ」
華蓮のアドバイスに則り会陰付近を意識しながら、感覚を研ぎ澄ます。
瞑想は武芸だと精神修行の一環として取り入れられ、宗教では心身の成長を目的として行われ、医療では心理学の分野で研究されている。そのどれにも該当しない、エネルギーの知覚。
半ば無意識に行う呼吸だが、空気中には窒素、酸素、二酸化炭素とその他諸々の成分が含まれ、その内の酸素を知覚しろと言っているようなものだ。凡人に無理難題を押し付けられても数分、数十分と時間だけが虚しく経過し、やがて集中力が途切れた。
「ダメだ、切っ掛けすら掴めない……」
「うーん、黎人でも難しかったみたいね。私ですら流動を知覚するのに一年も費やしたから、仕方がないわ」
うっかり弱音を吐くと、これが当たり前と言わんばかりに華蓮が頷いた。失敗前提だったらしいが、目で抗議すると華蓮は肩を竦めた。
「黎人は予備知識がある分、敷居が低い。頭では理解してるのに、意識と身体に反映できていないだけよ」
「そりゃまぁ、そうですけど。何かコツを掴むような方法はありませんかね」
「エネルギーは入れるより出す方が楽だから、一度出してしまえばコツを掴めるかも知れないわ。岸辺でやってみましょう」
二人で岸辺に移動すると、華蓮は落ちていた木の棒を拾って地面に何かを書き始めた。火、水、土、風と続き、様々な属性が書かれる。
「黎人は魔法の属性について、何処まで知っているのかしら?」
「魔法の属性となると、これも地域や宗派によって変わりますから何とも言えないですね。五大元素は仏教と道教で微妙に異なりますし、西洋では四元素なんてのもありますから」
「本当、黎人は手が掛からなくて助かるわ。魔法は四女神様が管理する四属性が基本とされ、火、水、土、風の四属性。その他にも派生した属性だったり、単体で独立した特殊属性もある。得意な属性でないと使えない訳ではないけど、得意な属性は習得難易度が下がったり、扱うのが容易な傾向にあるの。黎人は自身の得意な属性は把握してる?」
「魔法を使った経験がないので、分かりませんね」
代わりに得意な属性があり、華蓮が俺と目線を合わせると見つめてきた。己自身ですら自覚できない領域を見透かし、吸い込まれそうな瞳。数秒ほど見つめ合うと、華蓮は「なるほど」と呟いてから風を丸で囲んだ。
「黎人の得意な属性は風、順当といえば順当ね。初歩はこれ、『風よ、吹き抜けろ』」
華蓮が湖に右手を翳すと緑色の魔法陣が展開され、穏やかだった水面に波紋が広がった。
「魔法名すら定義されていない初歩魔法ですか。『風よ、吹き抜けろ』」
右手を翳し、呪文を詠唱したが何も起こらない。それどころか
「呪文を詠唱するだけで発動すると思っていたら、大間違いよ。思い描いた現象を言語化し、不足した想像力を補うのが呪文。要となる想像力が欠けていたら、呪文を詠唱したところで意味がないわ。魔法だけでなくその他の分野でも想像力が要になるから、憶えておきなさい」
「そういう事ですか……『風よ、吹き抜けろ』」
風は空気であり、無色透明だ。アニメや漫画では色や形を与え、風景の変化によって視覚的な表現を行う。状況と魔法の種類で前者と後者を使い分けるとして、今回のように水面を風で揺らすだけであれば、後者を選ぶのが最適だ。
肉体の内側から脱力するような感覚に襲われ、魔法陣が展開すると水面を揺らした。
「どう? エネルギーを出す感覚は掴めた?」
「掴めました、次は入れる感覚を掴むだけです」
「補足説明を受けただけで魔法を発動させたのだから、次は成功するでしょう。今さっきの場所で再度、挑戦してみなさい」
「はい、やってみます」
元の位置に戻って座禅を組み、
華蓮は魔法だけでなく、その他の分野でも想像力が要だと述べた。先程は具体的なイメージを固めるどころか何も想像せず、これが失敗の原因だろう。
今度は色と形を与え、意味を付与し、手順を決め、意識に刷り込む。
(常にエネルギーがありとあらゆる場所を満たすのならば、さながら此処は水中だ。エネルギーを呼吸で取り込むとなると、魚がエラに水を通過させて酸素を取り込むのと大差ない)
己の内で構築された定義が反映され、自然な形で体内のエネルギーを知覚する。これまで無意識に行っていた行為を認識しただけで、己自身を識るとは正にこの事なのだろう。
しかし、これは前提条件だ。エネルギーの流れを眺めるだけでは
(体内に取り込んだエネルギーを辿ると、一ヶ所から何処かに流れ込んでいる。これが第一門っぽいが、不思議な感覚だ)
血管やリンパ腺、臓器を経路にせず、独自の経路を流れるエネルギーが第一門を通り過ぎると、手元から離れたように追えなくなってしまう。自身の内側に未知の世界と繋がる出入口があるみたいで、
第一門はエネルギーを僅かに流入させているが、流入できなかったエネルギーはそのまま体外に排出されてしまい、効率を考えると酷い有り様である。
(エネルギーを逃さず、
これもまた、特別な事ではない。人間に本来備わっている機能を回復させる作業であって、元の形に復元するだけだ。
第一門以外の排出部分を塞ぐことで無駄を減らし、エネルギーの勢いを頼りに第一門をこじ開ける。段々と循環するエネルギーが増加し、下半身から熱が発せられ、整合性を取るべく肉体の情報が書き換えられた。
肉体がもう一つの身体に引き寄せられる形で変容したが、未知への恐怖は湧いてこない。本質に近付いたのであって、虚の皮を一枚脱ぎ捨てたのだ。
肉体情報の上書きが完了した直後、勝手に瞼が開く。瞼を閉じている感覚があるというのに、異なる次元を覗き視た。
燃え上がるような焔に包まれた世界にて、自身の肉体も業火と成る。されど身を焦がす熱はなく、これまで抱えていた不安感が焼却され、足りなかった部分が肉付けされた。
(赤い、紅い、朱い……だけど心地が良い、人肌のような温もりに安心感がある。そうか、今までの感覚は全て此方側の肉体から得ていた情報であって、
この世界の肉体はエネルギーを鮮明に、より明確に感じ取れるが、第一門の先で瞑想中の肉体からは何も感じ取れない。瞑想中に感覚を切り替えていたらしく、第一門の先こそ現世だったのである。
現世に意識を向けたのが悪かったのか、瞑想中の肉体に引っ張られる形で異次元から帰還を余儀なくされた。戻ると同時に華蓮が拍手を鳴らし、第一歩を踏み出したのを祝ってくれる。
「おめでとう、これで第一門が開いたわ。イア様と波長を合わせただけあって、あまり時間を要さなかったわね」
「ありがとうございます、華蓮さん。お蔭様で人間に眠る神秘という可能性を認識できましたが、どれくらい時間が掛かりました?」
精霊の森は昼夜の概念がなく、四六時中明るい。第一門を開門するまでにどれくらいの時間を要したのかと問うと、予想外の返答だった。
「黎人が瞑想を始めてから八時間ぐらいかしら、外はすっかり暗くなってしまったわ」
「八時間……? 冗談ですよね?」
「こんな冗談を言ってどうするの……あまり遅いと親御さんが心配するから、そろそろ帰りなさい。こっちの道を真っ直ぐ進めば、元の場所に帰れるわ」
「はい、ありがとうございました。また明日来ます」
「ええ、待っているわ」
感謝の意を伝えてから華蓮が指差した方角に全力疾走すると、とんでもない速力に吃驚してしまう。大地を踏みしめる力強い脚力は全盛期を遥かに超えており、第一門を全開にした恩恵だ。
地を蹴る度に、まともに足を着けないで生きてきたのだと悟る。根付いていなければ心は浮つき、遷ろうのが常である。
(第一門でこれだけ変化するのなら、第二門から第七門まで開いたらどうなるんだ? このまま地道に続ければきっと、第七門に辿り着けるという確信がある。これからが楽しみだ)
生きる意味を見失ってから、ずっと下を向いて生きてきた。夢と希望を抱かず、非情な現実のみが待ち受けていると思い込んでいた。
だがしかし、今はそんな事を微塵も思わない。未知なる可能性に胸を躍らせ、次なる目標を見据えながら大地を踏み締めた。
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