第一章:春休みの修行

素敵な出会い

 一時的に活動を停止した心臓が鼓動を打ち始め、止まっていた血流が体内の隅々まで循環する。次第に肉体の機能が回復し、肺が脳に酸素不足と警告を促した。

 警告を受け取った脳は呼吸するように命令し、同時に意識を取り戻させる。


「……ゴホ、ガホッガホ。すぅ、はぁ、すぅ、はぁ。生き返るというのも楽じゃない」


 生命活動を再開し、呼吸を整えてから起き上がる。一歩踏み出すと何かを踏みつけ、足元に視線を下ろした。

 血文字で魔法陣が描かれた紙が足の下敷きになっており、拾い上げると丸めてゴミ箱に捨て、続いて室内を見回す。記憶にある自室とあまり大差ないが、魔法という概念が加わった別世界。本棚には魔法書の類が並び、窓から見える景色は全く見覚えがない。

 ベランダに出て景色を一望すると、なるほどと納得した。


(一軒家に住んでいたが、こっちの俺はマンションに住んでいたのか。押し込められているような、そんな窮屈感を覚える)


 隣にも同じ造りのマンションが建ち並び、前方の奥地に広がるのは庭とプール付きの高級住宅街。庶民は仲良くマンションという名の檻で暮らせと、遠回しに言われているように感じてしまう。

 空を仰ぐとスーツ姿のサラリーマン風の男、買い物袋をぶら下げた主婦まで、多くの人々が空を飛んでいる。巨大な鳥、ドラゴンといった生物に騎乗するか、箒やサーフボードといった道具を使用していたりと飛行方法は様々である。


(おっと、別世界の魅力に圧倒されてる場合じゃない。最優先事項はイアの助言に従い、近場の森に行ってみよう。場所は指定されなかったから、何処でもよさそうだが―――)


 マンション群から高級住宅街に伸びる一本道の周辺一帯は鬱蒼とした森が広がり、まるで侵入を拒む自然の城壁だ。目を凝らすと高級住宅街は薄い膜みたいなものに覆われており、二重の壁で守護されているらしい。


(森は膜の外側だから、侵入しても問題ないだろう。早速行ってみよう)


 玄関でランニングシューズを履いて外に出ると、表札に書かれた番号を憶えてからエレベーターで下に降りる。エレベーターホールやエントランスにオートロックといった最新のセキュリティは導入されておらず、パスワードを知らずとも出入りできるのは有難い。

 正面玄関の前には駐車場が広がり、その先にすぐ森があった。マンション群の中でも外側に位置し、森との行き来も不便がない。

 歩道を歩いて森に近付くと、昼間でも薄暗いので踏み入れたくない不気味さがある。ここで引き返すのはイアの助言を無視することになり、意を決して茂みを掻き分けた。


(素敵な出会いがあると言っていたが、こんな森の中に人なんて居ないだろう。まさか魔物じゃないよな?)


 魔物との遭遇を素敵な出会いとは呼ばないと信じ、森の中を突き進む。念の為に警戒を強めて周囲の状況を確認していたが、それは突然の出来事だった。


「ぼぁ!? いってェェェ! 何だ、目の前に木が現れた!?」


 進行方向に何も無かったのに、いきなり木が現れて激突した。鼻を擦りながら木を触ってみるが、幻覚ではなく本物だ。

 そのまま見上げてみると、十数メートルはあろう立派な木だ。それどころか先程まで歩いていた森とは様相が異なり、別の森にでも迷い込んだみたいだ。


(茂みが無いから歩きやすくなったし、もう少し進んでみよう)


 以前の俺ならば、臆病風に吹かれて慌てて引き返していただろう。けれどもイアに貰った勇気のお蔭か、戻るという選択肢すら出てこない。

 再度足を前に出そうとしたところで、何者かに声を掛けられた。


「止まりなさい、迂闊に動くと迷子になるわよ」


「ん……?」


 透き通るような声が聞こえた方向に首を向けると、一人の女性が立っていた。

 色鮮やかな藍色の長髪を簪で結い、蓮華のような桃色の瞳。淡い菫色の道士服に身を包み、浮世離れした雰囲気を纏う美しい女性だ。

 その美貌は異性を惑わせ、狂わせる類の毒である。迂闊に彼女の誘いに乗ろうものなら、手の平の上で踊らされるのが末路だ。


「イアの助言に従って来たのですが、何か聞いてませんか?」


 深い森を彷徨い、見目麗しい女性と出会した。御伽噺や怪談で語られる出来事が現実で起き、これが偶然とは思えない。

 女性は予め俺が訪れるのを聞き及び、イアの仕業だと推測した。


「十年ちょっと前に女の子が迷い込んで以来だから、貴方がイア様の友人ね。私は華蓮かれん、イア様に貴方の指導を頼まれた者よ。宜しくね」


「やっぱりイアの仕業でしたか。俺は宮内みやうち黎人れいとです、宜しくお願いします」


 握手を求められたので右手を差し出し、軽い握手を交わす。女性らしい柔らかく、傷一つない小さな手だ。

 武術の達人、剣術の達人といった武人の気配が微塵もせず、服装は魔法使いにそぐわない。恰好とイアの知り合いという観点から、当てずっぽうで華蓮の正体を口にした。


「華蓮さんは仙女ですか?」


「あら、どうしてそう思ったの?」


「手はタコがなく、武人と名乗るには難しい。服装も道士服ですから、魔法使いではない。イアの知り合いとなれば神に近い存在となり、残るのは仙女ぐらいなので」


「イア様が仰っていた通り、聡明な子みたいね。そうよ、私は三千年を生きる仙女。此処は私の修行場なのよ」


 天を飛び、水上を歩き、霞を食べて生きるとされる仙人。その一人が華蓮であり、この森は彼女の修行場だったのだ。

 イアもとんでもない人物を紹介してくれたものだが、そうなると疑問が残る。


「俺の指導を頼まれたとのことですが、華蓮さんに何もメリットが無いのでは?」


 イアの頼みと言えども、華蓮には拒否権が与えられただろう。引き受けたからには華蓮の意思があり、理由がさっぱり分からなかった。


「んー……強いて言えば、暇潰し?」


「はぐらかさないで下さい、仙人が暇潰しで指導を行うなんてありえません」


「黎人に冗談は通じないわね……分かったわ、向こうで話しましょう。付いてきて」


 華蓮の案内を受け、暫く歩くと小さな畑がある人の手が入った場所に出た。傍に巨木をくり抜いた幻想的な家があり、華蓮の家だろう。

 招待されて入ると室内は素朴な内装の部屋になっており、天井から吊るされたロープにカーテンの如く薬草が干されている。電子機器の類は一切置かれておらず、現代社会から隔絶された空間だった。


「お茶を淹れるから、そこに座って」


「はぁ、ありがとうございます」


 華蓮が指を振ると部屋の隅に置かれた椅子が浮かび、ダイニングテーブルの前に移動した。普段は来客がないので、華蓮の椅子しか置かれていなかったのだ。

 席に座って少し待つと、独りでに熱いお茶が注がれた湯呑が俺の前まで飛んで来た。匂いを嗅ぐとこれまで飲んできたお茶と異なり、ハーブに似た香りが鼻腔を通り抜ける。


「こういうお茶、初めて飲みます」


「口に合えばいいけど、どうかしら」


 火傷に気を付けて少量を口に含むと、どことなく薬みたいな独特の後味が残るお茶だ。喉元を過ぎると熱いのに清涼感があり、個人的には飲みやすい。


「飲みやすいお茶ですね、これは何のお茶ですか?」


「此処でしか成育できない薬草を煎じたお茶よ、気に入ってくれたのならよかったわ」


 向かいの席に座った華蓮もお茶を飲み、一息つくと本題に入る。


「さて、早速本題に移りましょう。黎人の指導役を引き受けた理由は二つ。一つが黎人に精霊術師としての素質があり、精霊の森に出入りできるから」


「精霊の森? まさか此処が?」


「そう、そのまさかよ。精霊の森は物質界と精霊界の狭間にあり、世界各地の森と繋がっているわ。そして私が行う修行に好条件なの」


 世界各地の森と繋がり、限られた人間のみが入場を許可される精霊の森。人の目を気にせず修行に打ち込めるのは俺にとっても好都合で、華蓮にとっても好都合らしい。

 修行方法が特殊なのか、はたまた外界では禁じられている内容なのか。そういった疑問点はあるが、その時になれば説明してくれるだろう。


「というより、俺に精霊術師の素養があると言いました? 精霊術師の修行をさせるつもりですか?」


「いいえ、私が指導するのは仙術。氣を用いた魔法みたいなものね」


(それもそうか、仙人なら仙術を指導するよな……)


 精霊術についても興味はあるが、華蓮は仙人なのだ。自身の専門である仙術を指導するのが理に適い、首を振って一度精霊術は置いておく。

 しかし、懸念が生じた。仙術を教わるとして、後から魔法や精霊術といった異なる力を扱えるのか否か。


「華蓮さんに仙術の指導を受けるのは嬉しいですが、魔法や精霊術は使えなくなったり?」


「面白い冗談ね、どれが先でも問題ないわ。まさか魔法、精霊術、仙術が異なる力だとでも思っているの?」


「え、違うんですか?」


 魔法、精霊術、仙術。どれも異なるエネルギーを消費し、様々な現象を起こす。現象自体はどれも似通っているが、別物として分類分けされるのが一般的だ。

 この解釈は誤りらしく、華蓮が右手の人差し指、中指、薬指を立てると、それぞれの指先に小さな炎が灯った。


「人差し指は魔力マナが燃料の炎、中指は精霊術と同じ原理の炎、薬指は氣に火の気質を与えた炎。他にも生命力プラーナ、アストラル・ライト、チャクラ、霊気と呼ばれるエネルギーがあり、どれも地域や宗派等の異なる観点から定義付けた根幹は同一のエネルギー。術者により性質から作用まで七変化するの、奥深いでしょう?」


「根幹の部分が共通なら、どれが先でも後でも関係ない。それこそ根幹の部分を鍛えられるのであれば、総合的な能力の向上にも繋がりますね」


「……はぁぁぁぁ」


 華蓮は瞼を何度か開閉し、俯いて大きなため息を吐いた。機嫌を損ねたのかとお茶を飲んで見守ると、華蓮が急に頭を上げた。


「黎人みたいな子供ですら私の解釈を理解できるのに、真仙の四ジジ……四人が否定し、挙句の果てに私を邪仙認定までしたのよ!? 本当に個別で存在していたら、今頃人間は複数のエネルギーを調整できず破裂しているわ!」


 魔力マナ生命力プラーナ、アストラル・ライト、チャクラ、霊気、氣。それぞれが個別のエネルギーとして存在し、全てを吸収しようものなら、調整が追い付かずパンクする。仮に調整を行えるのであれば、人類全員が超人の仲間入りだ。

 どれも遥か昔から伝承し、継承されてきた力なのだ。華蓮の理論は根底から覆しかねず、誰も認めたくなかったのだろう。


「俺は伝統的な歴史よりも、純然たる真実を選びます。華蓮さんの理論を信じますよ」


 華蓮を励ますと、彼女は心穏やかな微笑みを浮かべた。


「やっぱり、イア様が仰っていた通りの子ね。二つ目の理由になるけど、イア様が黎人は私の理解者になると教えて下さったの」


(凝り固まった思想は無いし、華蓮さんの理論は筋が通っているから納得したのに……どんだけ冷遇されてきたんだ)


 理解者ではなく、合理的な内容に賛同した一人に過ぎない。小説ライトノベルで得た前知識があれど、指摘するような矛盾点が無かった。


「それでどう? 私の指導を受けるか、まだ返事を貰っていないわ」


「無論、受けますよ。華蓮さんの指導なら、独学で学ぶよりも効率が良さそうですから」


「それなら良かったわ、改めて宜しくね」


「此方こそ、宜しくお願いします。先生……いいや、師匠とお呼びした方がいいですかね?」


「イア様の友人となれば、今まで通りでいいわよ」


 再度華蓮と握手を交わし、師弟関係が結ばれる。普通の師弟関係とは少々異なるが、師に相応しい人物と出逢えたのはイアのお蔭だ。

 心の内でイアに感謝しつつ、残ったお茶を飲み干した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る