第5回

 トントンと、学長室をノックする。

「どうぞ」

「失礼します」

 ドアを開けて入ってきたのは、10歳ぐらいの女の子だ。

「呼び立てて悪かったわね。黒井さん」

「いえ。なんのご用でしょうか?」

「こちら、今日入学の樋口冴さん」

黒井くろい 乃亜のあです。はじめまして」

「こちらこそ、はじめまして」

「今日から同室になるから、寮と食堂を案内してあげて」

「わかりました」

「冴さん。これから明日の朝まで自由時間です。明日からさっそく、授業を受けてもらいます。受けるクラスは今夜中に決めておくから、明日の朝食が終わったら、学長室に来てください」

「わかりました」

 二人は、学長室を後にする。

「「失礼します」」


 廊下を歩きながら、黒井乃亜に話しかける。

「どうぞよろしくお願いします。黒井さん」

「乃亜でいいです。こちらこそ、よろしくお願いします」

「乃亜ちゃんは、何年生?」

「小学校4年生です」

「それじゃあ、10歳だ」

「はい」

「すごいね。子供なのに魔法の力に目覚めて」

「別に、すごくないです」

「そんなことないよ。私は16歳だよ」

「…」

「乃亜ちゃんは、いつからここにいるの?」

「一週間前」

「私より先輩だね」

「…」

 うかない表情の乃亜。

「どうかした?」

「別に。なんでもないです」

「そう」

 寮の部屋に着く。

 ドアを開けると、窓を中心にして左右対象に、ベッドとチェスト、クローゼットが配置されている。

 ふたつあるベッド。

「乃亜ちゃんはどっちのベッド?」

「左」

「それじゃあ、私が右のを使うね。えっと、クローゼットは…」

「ベッドの右にあるチェストとクローゼット使って下さい」

「OK ありがとう」

 乃亜は、ノートを机に広げ、魔法授業の内容を書き留め始めた。

 冴は、荷物をチェストやクローゼットに分けてしまいながら、後ろ肩越しに乃亜のノートを盗み見た。

「なんですか?」

「いや、どんな授業受けてるのかな~って」

「別に、たいした授業じゃないです」

「火の魔法?」

「…」

 パタンと本を閉じると、タオルや下着をまとめだした。

「どうしたの?」

「夕食の前に、お風呂に入ります」

「じゃあ、私も一緒に行く」




 浴場は、大理石で造られ、広く天井が高い。

「すごい。テルマエ・ロマエに出てくるローマ時代の浴場みたい」

「実際、その頃の建築を真似たらしいです」


 カランで髪を洗い、タオルでまとめる。乃亜は一足先に、湯船へ向かう。冴も乃亜の隣に身を沈める。

「ここって女湯だよね」

「はい」

「男湯も同じ感じなのかな?」

「見たことはありませんが、普通の銭湯らしいです」

「そうなんだ。小さいのかな」

「男性は生徒の20%程度ですから」

「女の人が圧倒的に多いよね」

「魔法の力は、女性の方が開眼しやすいそうです」

「ふ~ん。乃亜ちゃん詳しいね」


 湯から上がり、身体を洗い始める。

「乃亜ちゃん、背中、流してあげる」

「結構です」

「恥ずかしい?」

 冴がタオルで、乃亜の背を流そうとしたとき、その手を弾いた。

「止めてください!」

「ご、ごめん」



 それから、乃亜は露骨に不機嫌な顔をしていて、冴は声を掛けられなかった。部屋に戻っても、機嫌は直らない。


 コンコン!


 ノックする音。

 乃亜は応答しない。


 コンコンコン!


「はい!」

 冴がドアを開ける。そこにはふたりの女性が立っている。

「こんばんは」

「こんばんは~」

「こ、こんばんは」

「あなたが今日から来た編入生?」

「はい。樋口冴です」

「あたしは隣の部屋の、大空おおぞら 由樹ゆき

「私は由樹と同室の、高梨たかなし 瑠璃るりです。よろしくね」

「聞いたよ~。この学校創立以来、最高の天才の娘がやって来たって」

「え? なんのことですか?」

「また、しらばっくれちゃって。あなたのお母さん。楠木彩」

「魔法の記録を塗り替えたって」

「そうなんですか」

「すごかったらしいよ。学校の先生を負かしたとか」

「飛び級で、半年で卒業したとか」

「母は小さい頃に亡くなったので」

「そうか、ごめんね」

「いえ、大丈夫です」

「冴ちゃん、お風呂は?」

「入りました」

「夕食は?」

「これからです」

「それじゃあ、あたし達と一緒に行かない?」

「是非」

「じゃあ、行こうか」

「ちょっと待ってください」

 冴は、乃亜に声を掛けた。

「乃亜ちゃん。一緒に夕食行かない?」

「結構です」

「そう」

 冴は乃亜を部屋に残し、食堂へ向かった。


 三人でテーブルを囲み、改め自己紹介。

「大空由樹。20歳。大学生です」

「この学校に来るきっかけって、なんだったんですか?」

「通学の電車でさ、あれをこすり付ける痴漢がいてね、頭にきて痴漢のあそこを鷲掴わしづかみにしたら、燃えた」

「燃えた!?」

「ビビったね~。あたしも痴漢も周りの人も」

「なにが燃えたんですか?」

「そりゃあ決まってるでしょう。陰毛」

「えっ!?」

「あれ? 冴ちゃん。ちょっと顔、紅いよ」

「そそそそ、それでどうなったんですか?」

「電車は緊急停止。警察もそうだけど、消防車まで出動する大事になった」

「はあ」

「あたしは警察で、放火を疑われた。痴漢が軽い火傷してね。傷害になりそうだったんだけど、目撃者多かったし、監視カメラの映像もあって、そもそもあたし、タバコ吸わないから発火物持ってなかったし」

「はあ」

「結局、(魔)マルマ案件ってことで、この学校に連れてこられました」

「すごい」


「それじゃ次。私ね。高梨瑠璃。28歳。2歳の長男がいます」

「え!? お母さんなんですか?」

「はい。お母さんです」

「お子さんは、今、どうしてるんですか?」

「旦那と家族に預けてます」

「ご理解のあるご家族ですね」

「魔法のことを正直に打ち明けたからね」

「そんなことして、いいんですか?」

「打ち明けないと、家庭を空けるなんてできないでしょう」

「家族からなにか言われませんでしたか?」

「そこは納得してもらった」

「魔法が発現した時はどうだったんですか?」

「私の時は、子どもを乗せた自転車が倒れそうになって、距離的に届かないのはわかってたんだけど、手を伸ばして、止まれ! って思ったら、止まったんだよね」

「すごい」

「お子さんを助けたんですね」

「そのときはほっとしたけど、けっこうおっちょこちょいで、モノをよく落っこどすの。それが、空中で制止するなんてことが続いて、さすがに怖くなって、そういう専門の探偵事務所があるっていうから相談に行きました」

「それ、我家の稼業です」

「樋口探偵事務所」

「父が元、魔法捜査官だったので」

「お父さんの口添えで、この学校に来ました」


 食事をすすめながら、話を続ける。


「おふたりは、ここに来てどのくらいたつんですか?」

「半年ぐらいかな」

「高梨さんも?」

「瑠璃ちゃんと同じくらいだよ」

「魔法はどのくらい上達しましたか?」

「箒で飛べるようにはなった」

「なったね」

「すごいですね」

「イヤイヤ、箒で飛ぶなんて、誰でもできるようになる」

「難しいのは、精神系だね」

「精神系?」

「相手の感覚を狂わせて、幻覚を見せたり、幻聴を聞かせたり、眠らせたり」

「危険だから、慎重にやるんだけど」

「慎重すぎると効かない」

「難しいね」

「怖いしね」

「冴ちゃんは、回復魔法ができるんだって?」

「はい」

「それ、魔法の中で、一番難しい奴だよ」

「SSRだね」

「皆さん、私が来ること知ってましたよね」

「うん」

「知ってた」

「どうして知ってたんですか?」

「入学生と卒業生の情報は、掲示板に張り出されるから」

「伝説の、楠木彩の娘が来るとなれば」

「期待もするでしょう」

「お母さんってどんな人だったの?」

「どんな人? う~ん。私もあまりよく覚えてないんですけど、優しかったり、厳しかったり、普通の母だったと思います」

「やっぱり、魔法教えてもらった?」

「実は、魔法を使っているところ、よく覚えてないんです」

「そっか~」

「伝説を聞きたかったけど」

「亡くなったのが、6歳の時だったので」

「辛いこと訊いちゃってごめんね」

「いえ、別に、そんなことないです」



 食事を終え、部屋に戻る。

「それじゃ、お休み」

「おやすみ~」

「おやすみなさい」

 二人とは部屋の前で別れ、冴は自分の部屋に入る。

 乃亜が勉強している。

「乃亜ちゃん、夕食は?」

「…」

 返事はない。


 間が持たない。


 冴も、学校の教科を広げ、予習を始めた。




 夜も更け、寝ようと思った。

「乃亜ちゃん。そろそろ寝ない?」

「はい。そうですね」

 部屋の電気を消して、ふたりはベッドへ横になった。

 初めての夜。冴はなかなか寝付けない。

「あたし、ネグレクトだったんです」

 突然、乃亜が話し出した。

「え?」

「小さい頃から、不思議な力があって、そのせいでいじめられて。親も、問題児扱いで、放置されてました。この学校があると知って、問題児を手放せると、体良く家を出されました」

「小さい頃から魔法が使えたんだ。すごい」

「全然、すごくないです。むしろ、煩わしいし、なんの役にもたたないし、こんな力、欲しくなかった」

「辛かった?」

「あたしに、気を使わなくていいです」

「もし、力になれることがあったら、協力するよ」

「ありません。あたしのことは、放っておいてください」


 乃亜ちゃん。複雑な家庭の事情があるんだ。それが乃亜ちゃんの心を閉ざしてしまっている。乃亜ちゃんの心を、癒やすことはできないだろうか。



 乃亜ちゃんのことを考えながら、冴は眠りに落ちた。

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