第六章 人の強さ Ⅳ

 善弥はボロボロの身体に鞭打って立ち上がった。

 佐村の身体に突き刺さった愛刀を抜き取り、杖替わりにして部屋の中央へ向かう。

 台座に座るリゼの拘束を解いて、繋がれたコードを電極から外した。

 善弥は優しく呼びかける。


「リゼさん……しっかりしてください」

「…………ん」


 人形のように血の気の引いたリゼの顔に、徐々に血色が戻る。

 リゼがゆっくりとまぶたを開けた。


「善弥……?」

「目が覚めましたか」


 胸の奥から熱い何かが溢れそうになる。


「ここって……私……」


 リゼはとろんとした目で周りを見回す。段々とリゼの目の焦点が合ってきた。

 我に返ったリゼがせきを切ったようにまくし立てる。


「そうだ、私! 連れ去れて! それで――」

「もう大丈夫ですよ。あなたを狙う者はもういません」

「…………」

「無事でよかったです」 


 キョロキョロと当たりを見回しながら、慌てふためくリゼに善弥は明るく笑いかけた。


「善弥――」


 リゼは善弥に答えようとして、目を見開いた。


「――ていうか善弥、血だらけじゃない!」

「いや~すみません。ちょっと助けに来るのに手間取りまして……まあたいしたことはありませんよ」


 満身創痍まんしんそういの姿に不釣り合いなほど間延びした――のほほんとした声で答えて、善弥が頭を掻く。

 それだけで、リゼは多くを察した。

 この男は恩着せがましく、自らの功績を語ったりしない。

 死にそうになるような目にあいながら、何てことのないように。当たり前に誰かに手を差し伸べる。

 そんな男なのだ、この鷹山善弥という男は。


「――バカ! バカバカバカ‼ そんなにボロボロになって、たいしたことない訳ないでしょ! 死にそうになってるじゃない‼」

「……リゼさん?」 


 怒鳴りながらポカポカと善弥を殴ったと思えば、背に手を回しリゼは善弥を抱きしめた。ぐっと善弥の胸に頭を押し付けるリゼ。


「死にそうになってまで、何で笑ってるのよ……あなたが死んだら……悲しいじゃない」

「そうですね、それは僕も同じです」


 善弥は静かに言った。


「リゼさんがいなくなったら、僕は悲しい。昔ならそうは思わなかった、でも今はそう思うんです」

「善弥……」

「だからちょっと無茶しちゃいました。すみません」

「何でそこで謝るのよ」


 ホントにそういうとこズレてるんだから――と言って、リゼは顔を上げた。

 善弥の文字通り目と鼻の先に、リゼの顔がある。

 リゼの瞳が熱を帯びて、善弥を見る。


 二人の視線が交差した。

 善弥の目は暖かい慈愛に満ちていた。リゼはその瞳に吸い込まれるような気がして、自然にリゼの顔が善弥の顔に近づく。

 互いの吐息が分かるほど近く。

 もう少しで、互いの唇が触れる――


「――善弥さん! 無事ですか⁉」

「ッ――――‼」


 制御室の扉が開いて、クリが顔を出した。

 リゼが慌てて善弥から離れる。


「ク、クリちゃん⁉」

「リゼさん! 無事だったんですね!」


 安堵の表情を見せ、近づいてくるクリ。


「さっき凄い音がして心配だったんですけど、リゼさんの声が聞こえたんで、それでもう大丈夫なのかなって」

「はい、もう心配いりませんよ」

「…………」


 善弥はいたって普通に返事を返すが、リゼは俯いて何も言えないでいた。


「? リゼさんホントに大丈夫なんですか?」

「な、何、クリちゃん⁉ 私なら別に何ともないわよ!」

「え? でも――」


 クリは首を傾げた。


「リゼさん熱でもあるみたいに、顔真っ赤ですよ?」

「――――――ッ!」


 リゼは声にならない悲鳴を上げて、耳まで赤くなった。  

 赤くなった顔を隠すように、両手で覆うリゼ。

 そんなリゼを不思議そうな顔で見るクリ。


「善弥さん、何かあったんですか?」

「それは――」


 善弥が口を開いた瞬間に、リゼがバネ仕掛けの人形のように顔を上げた。

 全力で善弥の口を塞ぐリゼ。

 羞恥しゅうちにプルプルと震えながら、物凄い目力で訴えかけてくる――余計なことはしゃべるな、と。

 気圧された善弥はコクコクと頷いた。


「――特に何もありませんでしたよ」

「そそそ、そうよクリちゃん! ほ、本当に、本当に全然何にもなかったから‼」


 回らない口でまくし立てるリゼ。

 そんなリゼを訝しげにクリは見ていた。

 ――と、急に部屋が大きく揺れた。


「な、何ですかこれ⁉」


 怯えてクリが善弥にしがみつく。


「マズいわね……」


 ようやく落ち着きを取り戻したリゼが、冷や汗をかく。


「この要塞のコントロールが利かなくなったんだわ」

「どういう事ですか?」

「私がこの要塞のコントロールを、一手に引き受けていた。その私が制御装置から抜けたのよ。今まで通りに動くわけがないわ!」


 考えてみれば当たり前の話ではある。

 新時代の魔導書である『手記』に施された暗号を、生きた超高性能電算機スーパーコンピュータであるリゼが解析し、通常の装置に適応させていた。

 リゼという超高性能な計算装置兼アダプターがなければ、この要塞の制御は成立しないのだ。


「補助用の計算装置や制御装置はいくつも搭載されているけど、全てを使ってもこの要塞の複雑な機動システムは上手く動かせない」

「さっきの揺れはそれですか」


 要塞の脚が上手く連動できず、姿勢制御が出来なくなっているのだろう。


「今はまだバランスを崩してないけど、この要塞が倒れたら大変なことになる」

「大変なこと?」


 重たい物――質量がある物が高い位置から落下する。それだけで非常に大きな破壊力を生む。ましてそれが要塞と呼べるほどの体積と重量になれば、その衝撃は如何ほどか想像もできなかった。


「超高出力の動力炉を、この要塞は搭載してる――転倒の衝撃で動力炉が壊れたら、この要塞は爆発するわ!」

「い、急いで逃げないと!」


 クリは慌てる。

 だが、逃げるといっても簡単ではない。

 この要塞は移動用の脚のため、8階建ての高層建築と同じくらいの高さがあるのだ。飛び降りて逃げるのはまず不可能。

 しかも、解決すべき問題はそれだけではない。


「ただ逃げるだけじゃダメ! この要塞を何とかしないと、街一つが吹き飛ぶ!」

「そんなのどうすれば⁉」


 傷の痛み耐えながら、善弥は全力で頭を働かせる。


(何か……何かあるはずだ……!)


 死線を超え、やっとリゼを救い出したのだ。こんな所で死んでたまるものか。

 かつてないほどの速さで、善弥は思考を巡らせる。

 要塞が爆発すれば街が吹き飛び、燃え上がる――それは避けなければならない。


(燃え上がるものを止めるには……水?)


 それも大量の水がいる。 


(大量の水……水……水)


 善弥の脳裏に電流が走る。


(――――川?)


「沈めるというのはどうでしょう」


 善弥が口を挟んだ。


「現在位置は分かりますか」

「ちょっと待って、今モニターに出す!」


 リゼが近くの壁に接続された端末を操作した。

 モニターの一つに、要塞の現在位置が表示される。


「ここです」


 善弥がモニターの一点を指さした。

 地図上に表示された隅田川を。


「何とかここまで要塞を動かして、川に沈めるんです。ここなら仮に要塞が爆発しても、大きな被害にはならないかと」


 それに――と言って、善弥は指を動かして隅田川を繋ぐ橋を示す。


「川に踏み入れた状態であれば、この橋に飛び移れます」

「それだわ!」


 リゼが制御端末を物凄い速さで操作する。


「川に向かって進路を変更しておいたわ。あとは橋に飛び移るだけ――でも橋に飛び移るチャンスは一度しかないわ。失敗すれば死ぬ」


 それでもやるしかない。やらなければ確実に死ぬのだから。


「『手記』はどうします?」 


 制御装置に接続された『手記』を見る善弥。


「……このままでいいわ。この要塞が爆発するなら、放っておいても『手記』は無くなる」

「良いんですか?」

「もちろん。私の目的は『手記』の回収じゃなくて、破棄だから」


 リゼはそう言って一瞬遠い目をして、『手記』を見た。これで見納めになる。

 この魔導の書に、一体どれだけの人間が狂わされてきたのだろうか。


「時間がありません、行きましょう」 


 三人は制御室を出て、要塞の外郭まで走る。

 不格好な動きで歩く要塞は酷く揺れ、要塞の外郭まで走るのも一苦労だ。善弥は意識が朦朧もうろうとし、出血で足を滑らせる。


「善弥しっかり!」

「善弥さん、頑張ってください!」


 フラつく善弥を、リゼとクリが両側から支えた。

 力の入らない足で、善弥は懸命に走る。

 外郭まで来ると、もう目の前に隅田川が迫っていた。橋が見える。


「今よ!」


 善弥たちは橋へ向かって跳んだ。

 橋の上に何とか着地する三人。

 善弥は背後を振り返った。要塞が川に沈んでいく。数秒後、轟音が鳴り響いた。

 爆発と共に水柱が上がり、水飛沫を大量に浴びて、ずぶ濡れになる三人。

 しばらく三人は放心状態で要塞の沈んだ隅田川を見ていたが、やがて誰ともなく顔を見合わせる。自然と笑みがこぼれた。


「ふふ、お互い酷い恰好してるわね」

「えへへ、みんなボロボロです」

「ですねぇ――でも」


 善弥は言った。


「みんな生きてます」


 まだ生きてる。

 生きてこうして話せている。

 善弥はそれがたまらなく嬉しかった。

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