第六章 人の強さ Ⅲ

 天井を蹴って、佐村が飛ぶ。


「ここから先は本気で行くぞ」


 頭上からした声が、いつの間にか背後から聞こえる。

 床を、壁を、天井を。

 存在する平面を全て足場に変えて、佐村は跳躍を繰り返す。


「魔剣が一つだけとは言ってはおらんぞ」


(これは――)


 全方位ぜんほうい三次元殺法さんじげんさっぽう

 跳躍に跳躍を重ね、善弥を包囲する佐村。その複雑ふくざつ怪奇かいきな挙動を善弥も捉え切れない。


(――来る!)


 左斜め後方から斬撃が迫る。

 それを左の小刀で捌く。と、次の瞬間には、


(右膝⁉)


 右下方から切り上げてくる。

 今度は右の大刀を床に突き刺すようにして防ぐ。

 そこから更に、左の脇腹に斬り付けられた。

 防御が一瞬遅れ、浅く脇腹が斬られる。


「ぐっ――!」


 善弥は苦悶に顔を歪める。

 佐村は止まらない。


「魔剣――『刃風剣嵐じんぷうけんらん』」


 それは一つの剣技と言うよりも、戦法と言い換えて言い。一撃で仕留められぬなら、何度でも斬り続ければいいという考えだ。

 縦横無尽に飛び回りならが、斬撃を放ち続ける。


 それは剣戟けんげき嵐。白刃が死の颶風ぐふうとなって吹き荒れる。善弥はその嵐の真っ只中に囚われていた。 


(マズい――!)


 あまりにも多方向から飛んでくる斬撃に、対応しきれない。

 防御に徹し、何とか致命傷こそ避けているものの、徐々に攻撃が当たり始めていた。左の脇腹の他にも、右肩を裂かれた。

 左太股(ふともも)と右のすねからも血が流れている。

 左の二の腕を切っ先が掠めた。今はまだ動くが、いずれ左の小刀を掴んでいることさえ出来なくなるだろう。


 多数の刀傷、先日の戦闘での負傷も相まって、善弥はまさしく満身創痍まんしんそういの状態。四肢から流れ出る血の一滴一滴から、生命力がこぼれ落ちるようだった。

 佐村の剣の餌食えじきになって死ぬか、出血多量で倒れて死ぬか。

 どちらが早いか分からない。


 だがそれでも、善弥は抵抗を止めない。

 浅い打ちを喰らいながら、冷静に敵の攻撃の軌道を読み、虎視眈々こしたんたんと斬り返す隙を伺っている。

 指一本でも動くうちは自分の負けはあり得ぬと、不屈の闘志で身体を支えていた。


 それにこの魔剣の弱点を、善弥は既に見切っている。


「くっ……!」


 善弥がもはや立っているだけでやっとという体になって、ようやく佐村は止まった。

 ――止まらざるを得なかった。


(狙い通り……!)


 血だらけになりながら、善弥はほくそ笑む。

 超高速で跳ね回り、斬り付ける三次元殺法の魔剣技――『刃風剣嵐』

 あれほど高速で動き続ければ、それを支える足腰に相当な負担が来ると、善弥はすぐに見切った。

 いくら機械仕掛けの義足と言えど、強度の限界はある。いつまでも続く嵐など有り得ない。斬撃を凌ぎ続けていれば、いつか動けなくなる――そう判断したのだ。


 問題は佐村の義足の限界が来るまで、善弥がしのぎ切れるかどうかだったが――どうやらここは、善弥の粘り勝ちらしい。

 佐村は舌打ちした。

 これ以上義足を酷使すれば、関節部の部品が壊れる。一定時間休ませねばならない。


「諦めの悪い男だ」


 佐村が憎々し気に言うが、それでも善弥は佐村にまだ一太刀も入れられていない。

 両者の実力差は歴然。

 しかしなお、善弥の闘志はえていなかった。  


「生き恥を晒すのは、剣客の最後には相応しくないと思うがな」

「武士道とは死ぬことと見つけたり――ですか」

「その通り」 


 善弥は鼻を鳴らす。


「なら僕は違います。今死んだら、リゼさんを助けられないので」

「……そんなにこの娘を助けたいか」

「勿論」


 でなければ、ここにいない。

 佐村を睨みつける善弥。

 そんな善弥をあわれむように佐村は見る。


「はじめて貴様と会った時の方が、もっと良い目をしていたぞ」

「……何の事ですか」

「貴様の目には恐れがなかった。悲しみもなかった。怒りもなかった。何もない、どこまでの純粋な目だ。目の前で師を殺されても、それで我を忘れたりはしない。お前は師の容体を確認するよりも先に、俺に斬りかかった」

「…………」

「見事だったぞ。あれこそ俺のつくる新しい日本に相応しい」

「新しい日本?」

「強い日本国だ。国力の全てを軍事力に集中させ、この国を西洋列強に劣らぬ国にする。和平協定? 通商条約? 下らぬ、下らぬ! 国家の安寧には血と鉄、すなわち兵と砲が不可欠なのだ!」

「……その為の要塞ですか」

「そうだ!」


 佐村はうたう、自らの野望と理想を。


「要塞も、機械兵も、人狼も! 全ては国内の戦力を底上げするために開発させた。全てはこのために」

「…………」


 それが佐村の理想か。

 善弥は笑った。

 いつもの穏やかな笑顔とは違う。挑みかかるような、蔑みを込めた笑み。


「下らない」


 一言吐き捨てるようにそう言った。


「戦うだけが能の者ばかりが増えて、それで何になるというんですか。それは確かに強い国なのかもしれない。おかしがたい精強な国家を作るのかもしれない。だが、そんなものに守る価値はあるんですか?」


 敵に打ち勝つことを目的として、他者を悼むことのない国。それは悪鬼羅刹あっきらせつの住まう修羅道をこの世に具現ぐげんすることではないのか。

 そんな国に何の価値がある?


「強くなければ――強い者の集まりでなければ、国は守れぬ」

「貴方は間違っている。残酷である事と強くある事は違う」


 他者をいたむ心を持つ人の強さを、善弥は知っている。

 誰よりも過酷な運命を課せられて、なお人を思いやる気持ちを失くさなかった少女の――リゼの強さを鷹山善弥は誰よりもよく知っている。

 彼女の強さには、こんな男の語る強い国なんかよりも、余程価値がある。

 この命を懸けて守るに値する価値が。


「貴方は知らないんだ。人が人を想うという強さを」

「ほう?」


 善弥の言葉を心底馬鹿にしたように佐村は言う。


「何とも甘い戯れ言だ――ならば貴様の言うその強さで持って、俺を倒して見せるがいい」


 バネを溜めるように腰を落とす佐村。次の一撃で勝負を決する腹積もりだ。

 それを見て善弥も覚悟を決める。

 ここで善弥が敗れれば、リゼを助ける者はいない。

 敗北は許されない。

 絶対に負けるわけにはいかない。


(絶対に――リゼさんは絶対に助ける!)


「お前はここで倒す――必ず!」


 善弥は叫んだ。


「貴様はここで殺す――行くぞ鷹山善弥!」


 佐村は吠えた。

 善弥はもう既にたいも同然。防御も回避も出来ないだろう。出来るとすれば相打ち狙いの後の先カウンタのみ。

 ――ならば後の先を合わせられない程速く一太刀を見舞う。

 佐村は刀身を水平にして切っ先を善弥に向ける――突きの構えをとった。


 対する善弥は構えなかった。

 両腕をダラリと下げて、ただ立っている。構えをとることさえ難しい状況だった。  

 身体にほとんど力が入らない。

 なので身体を支える力は最小限に抑える。その分、全神経を集中させる。佐村の動きを見逃すまいと、善弥の眼光が鋭さを増す。

 幽鬼のように二刀をダラリとさげて立つ善弥の姿は、意図せずして天下無双を謳われた古の剣豪の肖像画に酷似していた。


 両者の間で闘気が際限なく膨れ上がり――――そして弾けた。

 吸い込まれるように、佐村が動く。

 バネを溜めた脚で、全力で床を蹴る。

 弾丸のような速度で佐村は突進。突進の勢いのままに突きを繰り出す。

 鋼鉄さえ貫く神速の突き。


 善弥は避けない。もう脚がほとんど動かないからだ。

 防御はしない。受けたところで、防御ごと串刺しにされると分かっていた。

 故に善弥は前へと一歩踏み込んだ。

 生死の間境でなお一歩踏み込み、佐村の突きを迎え撃つ。刹那のうちに腕が二刀を操り、交差した白刃が閃く。

 

 ガキィン――!


 轟音。

 佐村は踏み込んだ体勢で止まり、善弥は後方へと吹き飛んでいた。

 だが、


「ぐ――ふぅあっ!」


 佐村は血を吐いて膝をつく。

 佐村の胸に、善弥の大刀が突き刺さっていた。

 全力で突き出した軍刀は刀身の半ばで折れており、折れた刀身が乾いた音を立てて近くの床に転がっている。 


「っはぁ――っはぁ――」 


 吹き飛ばされた善弥は、突かれた左胸を抑えながら上体を起こした。息は乱れているが、血は流れていない。ただ衝撃であばらにヒビが入ったようだ。

 呼吸のたびにズキズキと肺が痛む。


「今……のは……」

「――鉄人流秘剣『刀合截とうごうさい』」


 呆然とする佐村に答えるように、善弥は呟いた。

 俗に日本刀は折れず曲がらずと言われる。

 だがそれは、正しく使った時のみであるというのが実際だ。特に刃は強固であるものの、側面から力をかけられると脆いという性質を日本刀は持っている。


 秘剣『刀合截』はその性質を突いた技だ。

 交差させた二刀で挟みこむように斬り付けることで、敵の刀を折りつつ切っ先を敵に届かせる。攻防一体の絶技。


 善弥はこの秘剣で佐村の軍刀を斬り折り、そして振りぬいた大刀の切っ先に、佐村が自分から突っ込んできた。

 かくて善弥の大刀は深々と佐村の胸郭きょうかくえぐったのである。

 だがそれでも佐村の勢いは止まらず、折れた軍刀で善弥を突いたのだ。折れた軍刀で突かれ、善弥は後方へとまた吹っ飛ばされた。

 それが先の一瞬での出来事だった。


「はぁ――はぁ――」


 善弥は乱れる息を懸命にこらえた。

 結果として上手くいったが、際どい――あまりにも際どい、紙一重の勝負だった。

 この技はただ繰り出しても成功しない。人間と同じように、刀にも急所ウィークポイントが存在する。刀身にある急所の一点を見切り、正確に当てなくては成功しないのだ。


 超高速で振るわれる敵の剣に正確に当てようと思えば、そのタイミングは零コンマ数秒を争う、極めてシビアなタイミングとなる。

 土壇場で発揮される極限の集中力があって、初めて成功する技なのだ――肉体的な疲労よりも精神的な疲労感が強い。

 今になって嫌な汗がどっと出た。


「くっ……相打ちには持ち込めたかと……思ったがな」


 佐村は歯噛みして善弥を見る。

 いくら刀身が折られたと言っても、細長い鉄の棒だ。高速で突き込めば、容易く人体に突き刺さる。

 しかし善弥は肋骨ろっこつに損傷があるものの、致命傷には至っていない。

 何故だ? ――佐村は訝しんだ。


「助けられましたね……」


 善弥は右手を懐に入れた。

 懐から金属製のケース――御守り代わりに拝借した写真を取り出す。金属製のケースはひしゃげていた。このケースに軍刀が当たったお陰で、善弥は胸を貫かれずに済んだのだ。


「時の運に恵まれなかった……か」


 佐村は自嘲気味に苦笑する。 


「まさか……身体の一部を機械にしてまで、強さを求めたこの俺が……敗れるとは」

「貴方が人の強さを甘くみたからですよ」

「人の……強さ……」


 呆然と呟く佐村に、善弥は頷いた。


「もし僕が以前のままなら、貴方には勝てなかった」


 戦うだけが生き甲斐だと嘯き、死に場所を求めていたままだったら、佐村の剣の前にひれ伏していたかもしれない。

 もっと早く諦めて、斬られていたかもしれない。

 戦って死ぬのなら本望だ――と。


「僕が最後まで立っていられたのは、リゼさんがいてくれたから。彼女に言われた一言があったからだ」


 こんな人を殺すしか能がない男を、リゼは一人の人間として認めてくれた。

 あなたは優しい人なのだと言ってくれた。

 それは他人から見れば、ほんの些細な事かもしれないけれど、善弥の身体を支えるには十分すぎるほどだった。 

 たった一人のたった一言で。

 誰かを思う気持ち一つで。

 人は強くなれるのだと――リゼが教えてくれたのだ。


「よもや俺が……そんなものに……」   


 それが佐村の最後の言葉。

 強さに魅了され、武力で日本を支配するという野望を抱いた野心家は、ついに倒れた。

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