第六章 人の強さ Ⅰ

「善弥さんここです!」


 要塞の中を、クリと善弥は全速力で駆ける。

 やがて二人は制御室の前まで来ていた。


「この部屋です。ここからリゼさんの匂いがします」


 クリの言葉に善弥は頷き、じっと制御室の扉を睨んだ。


「……この部屋には僕だけで入ります。クリちゃんは部屋の外で待っていてください」

「そんな!」


 一緒に行くと言わんばかりのクリに、善弥は困ったように笑う。


「ここから先は戦場になります。クリちゃんは連れていけません」


 善弥は今一度制御室の扉をにらんだ。

 クリほど鼻が利かなくても分かる。この部屋からは血の匂いがする。そしてあふれ出る殺気を感じる。

 待ち受けているのは間違いなく佐村だ。

 あの男を前にして、クリを巻き込まずに戦うのは難しい。


「外の方が安全です。クリちゃんはいつでも逃げられるようにして、待っていてください」

「…………」


 不安そうに見上げるクリの頭に、善弥は手を置いた。


「大丈夫。リゼさんを連れて、必ずこの部屋から出てきます。約束です」


 それは気休めの言葉でしかなかったけれど。

 それでも善弥はそれを口にした。


「はい、待ってます!」


 クリが元気よく頷いた。

 それを見て、善弥も肝が据わった。必ずリゼは助ける。そして生きて戻る、この子を悲しませない為に。

 一度懐に手を入れた。

 御守り代わりに持ってきた写真を強く握りしめる。


(この写真の笑顔を、絶対に取り戻す――!)


 決意を固め、善弥は制御室の扉を開けた。

 



 制御室に入るとまず血の匂いが鼻についた。

 広い部屋だ。

 壁一面の計器とモニター。

 死体が二つ転がっている。一つは胴体を真っ二つにされた初老の男――レクター博士の死体。もう一つは鋼の義手をした筋骨隆々の巨漢――ガゼルの死体。胴体と泣き別れしたガゼルの首が転がっていた。


 そして死体の向こう。

 部屋の中央に備え付けられた台座に拘束されたリゼと、その隣に立つ佐村征十郎さむらせいじゅうろうを見つけた。


「リゼさん!」


 善弥が叫んだ。

 叫ばずにはいられなかった。


「…………」


 リゼは答えない。

 善弥は一歩近づこうとして、驚愕に足が止まる。

 リゼの頭部の両側でまとめられていた髪が、今は後ろ上方に引き上げられ、台座に固定されている。

 そのせいでリゼの側頭部の地肌が顕わになっている。


「何……だ、これは……⁉」


 善弥は衝撃を受けた。

 リゼがいつもしていた黒い髪飾り――その根元が

 黒く光沢を持った髪飾りに見えていたそれは、

 髪飾りだと思った電極に今はコードが繋がれ、壁の計器や電算機に接続されている。

 

 善弥に科学の知識も、医術の知識もない。

 リゼが今どんな状況にあるのか、あんな物が頭に突き刺さって、生きているのかも分からない。

 ただ叫ぶしかなかった。


「リゼさん無事ですか! 返事をしてください‼」


 善弥の呼びかけに、リゼは反応しない。機械に繋がれてピクリとも動かない今のリゼは、まるで何かの部品になってしまったかのよう。


「無駄だ。お前の声など届いていない」


 善弥の取り乱しようをあざけるように、ぴしゃりと佐村が言い放った。


「この制御回路と接続している間は、この娘に意識はない」

「…………」

「娘を助けたくば、俺を倒すしかないぞ鷹山善弥。俺の野望の為にも、この娘は必要だからな」


 佐村は軍刀の鯉口を切った。

 善弥も左手で鍔元を押さえつつ言った。


「リゼさんは――彼女は何なんだ」

「なんだ? 知らずに守っていたのか?」


 呆れたように佐村は言う。


「この娘はな、世界に一つしかない『電脳でんのう』――ブレインマシンインターフェースの持ち主なのだ」

「『電脳』?」


 聞きなれない言葉だ。


「技術の進歩は、人間の理解をより深めた。人が思考を巡らす際、脳が電気信号をやり取りしているということが分かった時、とある技術者が閃いたのだという。人間の脳も計算機械コンピュータになる――とな」

「…………」

「そしてその技術者は、ごく身近な人間を実験材料に選んだ」


 佐村がニヤリと笑い、善弥は驚愕に顔を歪める。


「まさか――!」

「そうだ! この娘に電極を突き刺し、生きた装置にしたのだよ! 他ならなぬ、この娘の実の父がな!」

「…………」


 善弥は言葉が出なかった。

 思い出すのは、殺された父の遺品を取り戻したいと言っていたリゼ。

 科学は人を幸福にする為にあると、力強く言い張っていたリゼ。


 そのリゼこそが誰よりも父に虐げられ、科学の犠牲になっていたのだ。

 クリに対して入れ込むのも、善弥に人らしくいてほしいと言ったのも、全てはこれが大元にあったのだろう。

 誰よりも彼女が科学の犠牲になっていたから。

 誰よりも人間性をないがしろされ、道具として扱われてきたから。

 彼女は科学の悪用を許さないし、たとえ怪物に改造されたとしても――人の心が分からない人斬りであったとしても、彼女はどこまでも人として向き合ってくれるのだ。


 善弥は己の言動を猛烈に悔いていた。

 自分は人でなし。人としては生きられない? ――甘ったれるな。

 善弥は逃げていただけだ。

 心にふたをして、目を背けていただけ。

 すぐそばで、こんなにも華奢な少女が、懸命に現実と戦い続けていた。それに気付けなかった。


 ぎゅっと固く拳を握ってから、握り拳を解く。

 恥じているのなら。

 少しでもリゼの力になりたいと思うのなら。

 是が非でもリゼを助け出さなくてはいけない。

 これ以上、彼女を道具扱いして、人間性を剥奪するような真似を許す訳にはいかない。


 大きく息を吸ってから、丹田に力を込め、肩の力を抜く。

 りきみがあれば剣は遅くなる。

 調息により精神状態を整え、臨戦態勢に切り替える。

 鯉口を切って、腰の大小にそれぞれ手をかける。

 急激に制御室の室温が下がったかと錯覚するほど、善弥と佐村の放つ殺気が濃度を増し、空気が張り詰める。


「行くぞ」


 佐村の軍刀。

 善弥の二刀。

 三つの刃が白光を描き、交錯した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る