第五章 起動する要塞 Ⅱ

 善弥は素早く身支度を整える。

 腰に二本の愛刀を差し、残されたリゼの鞄を持って、クリと一緒に落人群を後にした。


「さて、リゼさんを助けると言っても、どう探しましょうか」


 善弥は考え込む。

 昨日の事から、リゼを連れ去ったのはW&S社ではなく、軍人の佐村という事が分かっている。着ていた軍服の意匠から、佐村が属しているのは陸軍だろう。


(となるとリゼさんは陸軍省庁――いや後ろ暗い事をするには都合が悪い)


 ならば陸軍の兵営、あるいは佐村の別宅や私邸、W&S社の工場や関連施設という事もありえる。リゼが連れ去られた当てが多すぎて、全てを調べて回るのは現実的ではない。


(どうすればいい?)


 考え込む善弥に、クリが言った。


「私、リゼさんの行き先、匂いで分かるかもしれません」

「⁉ 本当ですか!」

「はい」


 クリは小さな頭を縦に振る。


「何となくなんですけど、リゼさんの匂いがするなぁって分かるんです。匂いを辿っていけば、リゼさんがどこにいるか分かると思います」

「クリちゃんにそんな事が?」

「なんでか分からないですけど、昨日から急に……」


 クリは少し声の音調を下げた。


「多分、人狼としての能力なんだと思います」

「……なるほど」


 狼の嗅覚――だと考えれば、クリの発言にも納得がいく。

 おそらくだが、クリは元々この人狼としての能力を有していたのではないだろうか。ただ自分に人間離れした身体能力や嗅覚があると自覚していなかったから、それを使えなかっただけで。

 W&S社の実験室での記憶を失っていたから、自分に能力が備わっている事を知らなかったのだ。それが昨日、一時的に理性を失い、人狼としての能力を全開にすることで、身体がその能力を思い出したのだろう。

 善弥はそう推測した。


 クリの目を見る。こげ茶色の瞳が、真っ直ぐこちらを見ている。

 クリは嘘をついたり見栄を張ったりするような女の子ではない。クリは自信があって言っている。匂いでリゼが見つけられると。

 ならばそれを信じてみよう。


「リゼさんの匂いを辿ってください。クリちゃん、頼みましたよ」

「任せてください」


 クリは微かに残ったリゼの匂いを見つけ、先導し始めた。 

 帝都東京の街を、しばらくクリを先頭にして歩き続ける。善弥もクリも、リゼの身を思えば心配でたまらなかったが、その不安を押し殺し、ただ脚を前に進めた。

 落人群から出て、二時間は歩いただろう。クリは泣き言ひとつ言わずに、リゼの匂いを追い続けた。

 そしてついに、


「ここです。リゼさんの匂いはここから出ています」


 と言って立ち止まった。

 クリは真っ直ぐにとある建物を指さす。


「ここは――」


 善弥はクリの指さす方を見た。

 鉄製の高い塀と頑丈な門扉。守衛の脇に掲げられた巨大な札に書かれているのは、日本陸軍にほんりくぐん東京鎮台とうきょうちんだい第一機甲連隊だいいちきこうれんたいと書かれている。陸軍の駐屯地だった。

 際立って近代化の激しい建物だ。

 煉瓦れんがと鉄で出来た頑強な造り。まるで要塞である。


「善弥さん、どうしますか?」


 クリは途方に暮れた様子で聞いた。

 軍の駐屯地、それも近代化を推進する機甲連隊の駐屯地だ。警備は厳重どころの話ではない。リゼがここにいるのは分かったものの、助けに行くのは至難の業だ。

 善弥は駐屯地の規模を思い浮かべる。

 推定される装備、兵員の数――正面突破は不可能に近い。


「忍び込むしかありませんね」

「でもまだ明るいですよ」


 闇に紛れられない。忍び込む難易度は高い。だが、手をこまねいていては、手遅れになる可能性もある。

 善弥は落人群から持ってきた、リゼの鞄を探った。

 中には色々な工具や小型の端末、そしてリゼ謹製の発煙手榴弾が一つ。


(これは……)


 浅草の雷門で撮った写真が、金属製のケースに入れられて保管されていた。写真の中の笑った三人を見る。あれからまだ一日しか経っていない。

 なのに随分と昔に感じられる。

 善弥は無言で発煙手榴弾とケースに入った写真を懐へ入れた。

 次に塀を見上げた。高さは5メートル程。


(ふむ……)


 善弥は顎をつまんで考える。


「クリちゃん、今全力を出して、どれくらい高く跳べると思いますか」

「へ? ええと、そうですね、4メートルくらいなら跳び上がれると思います」


 クリは質問の意図が分からず、戸惑いがちに答える。


「なるほど、なら行けますね」


 善弥はそう独りごちた。


「駐屯地に忍び込みますよ」

「どうやってですか」

「もちろん、塀を乗り越えて」


 善弥は懐から発煙手榴弾を取り出した。

 これでどうやって、塀を乗り越えるのだろう。クリは首を捻った。


「まあ見ててください」


 ニヤリと笑う善弥。作戦を耳打ちするとクリはコクンと頷いた。

 善弥は懐から手ぬぐいを取り出し、二つ折りにして発煙手榴弾を包む。そして手ぬぐいの端を持つと、ヒュンヒュンと音を立てて振り回す。

 投石器の要領で、発煙手榴弾を門番の前まで投げた。


「な、何だ?」


 門番が言うが早いか、発煙手榴弾が破裂した。

 白煙がもうもうと立ち昇る。


「何だ? 敵襲か⁉」

「異常事態発生! 兵員、集まれ!」


 すぐに正門周辺が騒然となり、わらわらと兵士が集まってくる。

 その様子を確認してから、善弥は走った。


「行きますよクリちゃん」

「はい!」


 善弥のすぐ後ろをクリは走る。

 塀の前まで駆け寄ると、善弥は塀に背をつけるように反転。

 手を組んで足場をつくる。

 善弥が手を組んでつくった足場を、クリの小さな足が踏んだ。


「はっ!」


 その瞬間に善弥は脚と背を全力で張り、クリを上空へと押し上げた。さらにクリも全力で善弥の手を蹴って跳んだ。

 二人の力を合わせた大跳躍。

 クリはやすやすと塀の上へと降り立った。


「善弥さん、大丈夫です! 上手く行きました」

「では手筈通りに」


 クリが頷いて袖から、細長くて丈夫な紐を取り出した。

 善弥の愛刀の下げ緒だ。

 クリは下げ緒の一端を塀の出っ張りへと結ぶと、もう一端を塀の下へと下ろした。下げ緒の長さは、大体2メートル。

 塀の上部から垂れた下げ緒に向かって、今度は善弥も跳んだ。

 一度塀を蹴っての跳躍。

 さすがに5メートルも上空までは跳べないが、3メートル上空までなら、何とか手が届く。善弥は下げ緒の端を掴むと、そのまま手繰って塀の上まで登った。


「やりましたね善弥さん!」

「ええ。でもこれからが本番ですよ」


 普通ならこんな方法で侵入するのは無理だ。塀をよじ登っている間に見つかってしまう。だが今は正門へ発煙手榴弾を投げ込んだことで、兵隊がそこへ集中している。

 つまり他が手薄になっている。

 いわゆる陽動作戦というやつだ。上手くいった。


「でも陽動の効果はすぐに切れます。急いでリゼさんを探して、さっさと逃げましょう」

「分かりました」


 頷くクリ。

 善弥とクリは塀から飛び降りる。着地と同時に受け身を取れば、この程度の高さから飛び降りても、善弥とクリに問題はない。


「こっちです! ついて来てください!」


 クリが匂いを元に走りだす。

 善弥はそれを全速力で追いかけた。

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