第五章 起動する要塞 Ⅲ

 善弥たちが塀を乗り越える算段を立てていたその頃。

 駐屯地の最奥にある隔離施設――その一室に、リゼは捉えられていた。

 W&S社の研究室に似ている。壁一面に取り付けられたモニターや計器、そしてそれらの計器と制御装置に接続している手術台のような台座。


 そこにリゼは座らせられていた。

 腰、手首、足首、そして頸部の六ヵ所をベルトで固定され、身動きが取れない状態。少しやつれた表情で、ぼんやりと視線を漂わせている。

 部屋にはリゼの他に佐村とレクター博士、博士の護衛としてガゼルの三人。

 レクター博士はリゼの座る台座と接続した機器を調整している。


「ふむ、これで準備完了ですな」

「――うむ」


 レクター博士の声に、佐村が頷く。


「ここまで来るのに、随分とかかってしまった。だが――」


 佐村の顔が野心に歪む。


「これで私の野望は完遂する」

「……一体何をしようというの?」


 たまらず尋ねるリゼに、佐村は得意げに答える。


「俺一個人による革命、そしてこの国の支配と統治だ」

「ッ⁉」


 佐村の返答にリゼは息を呑んだ。

 あまりにも話の規模が大きすぎたからだ。


「何を言っているの……そんな事、出来るわけない。不可能よ」 

「その不可能を可能にする力こそ、新時代の技術――お前や『手記』なのではないか?」


 佐村がこれ見よがしに皮張りの本――否、リゼの父の遺品『手記』を掲げる。


「かのバベッジ博士の発明、階差機関による技術革命から数十年。技術の進歩は凄まじいものだった。この数十年で一体どれだけの不可能な難事が、可能な現象に成り下がった?」

「…………」

「常識では不可能なことも、この『手記』と小娘――お前を組み合わせれば、可能になる」


 リゼは押し黙った。

 そしてガクガクと震える。

 恐ろしかった。佐村がしようとしている事もそうだが、自分の正体が何であるか、それを佐村たちに知られている事が怖かった。

 アレを使われたら自分がどうなるのか、考えるだに恐ろしい。


「止めて! お願い! 止め――」

五月蠅うるさい」


 暴れるリゼを佐村は容赦なく殴りつけた。

 頬を張られた痛みが、リゼの頭を真っ白にさせる。殴られた頬がじわっと熱くなり、口の中に血の味が広がった。

 リゼの胸に恐怖と絶望が広がる。


「博士、やれ」

「はっ」


 レクター博士がリゼの頭部――黒い髪飾りと装置の端子を繋げる。

 その瞬間にリゼの意識は闇へ落ち、リゼは人から物に変わってしまった。

 計器類が一斉に動く。

 計器だけではない、建物全体も大きく動き始めた。

 佐村は愉快そうに発令する。

多脚機動要塞たきゃくきどうようさい摩利支天まりしてん』――起動せよ!」   




 クリと善弥が兵舎に入った直後だった。

 地響きのような音がして、建物が大きく揺れ始めたのだ。


「じ、地震⁉」

「いやこれは――」


 クリが兵舎の壁に捕まり、善弥はバランスを取りながら兵舎の窓から外を見た。

 周りの建物に異変はない。揺れているのはこの建物、兵舎だけだ。揺れがさらに強くなった。横揺れではなく縦揺れ。

 いや、


「浮かんでいる?」


 外に見える景色が、どんどん下方へと流れていく。

 ついには窓から他の建物が見えなくなった、東京の曇り空だけが窓から見える。

 一体何がどうなっているのか。

 善弥とクリは窓に張り付いて、外を見た。


「これは……」

「ウソ⁉」


 善弥にもクリにも、見えた光景が信じられなかった。

 駐屯地の兵舎から、巨大な脚が生えている。蜘蛛の脚のような形状をした、鋼鉄製の巨大な脚――それがいくつも生えているのだ。

 その脚が地上30メートル程の高さまで、兵舎を押し上げて、立っている。

 それは鋼鉄製の異形の怪物。

 あまりにも現実離れした光景に、二人はしばし言葉を失った。

 と、その時、放送が流れた。 


『我は陸軍少将にして憂国の士、佐村征十郎さむらせいじゅうろうである!』

「佐村⁉」


 戸惑う善弥をよそに、放送は流れ続ける。


『西欧列強に対抗すべく、我らが日本国は強い国にならなくてはならない! しかし現行の明治政府の執政しっせいは、あまりにも諸外国に対して脆弱である! このままでは維新の甲斐なく、この国は列強諸国の植民地支配をまぬがれぬだろう。諸君ら、このままで良いと思うか? ――否、断じて否! この国の未来と自由、尊厳を我々は守らねばならない!』


 これは声明文だ。

 彼は自らの行いの意味と正当性を訴えている。


『私は日本国を守る。それが可能であると、この多脚機動要塞『摩利支天』を持って証明し、明治政府に国家の執政を私に預けるよう要求する! これは日本国が、他国に侵略されない強い国になる為の第一歩である!』


 放送で流れる佐村の声には、熱が込められていた。

 聞くものを熱狂に巻き込むような、中毒性を持った熱。


「これはまた……大それた事を」


 善弥は揶揄やゆするように言ったが、それでも流れる冷や汗を止められなかった。

 あの男ならやりかねないと、そう思ってしまう自分がいる。佐賀の乱でも経験した事だ。時代が動く時、いつだって一人の英雄が立ち上がり、その熱が伝播して波となる。

 そしてその大きな波が時代となっていく。


 佐村はこの明治という時代に、一石を投じた。

 突如現れた巨大な歩く要塞による示威行為。これに成すすべもなく首都の軍が破れるような事が起きれば、明治政府の権威は失墜。世論が一気に傾いたとしてもおかしくはない。

 より強い国家に――それに民衆が同調すれば、間違いなく佐村を頂点においた政治体制が作られるようになるだろう。

 ――いや、そんな事はどうでもいい。

 問題はリゼだ。

 事の全容は依然として分からないが、この動く要塞にリゼが関係している事は間違いない。でなければ、あれほど佐村がリゼに固執する理由がない。

 早くリゼを助けなければ。


「先を急ぎましょう」


 善弥とクリはまた走りだした。


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