第五章 起動する要塞 Ⅰ

 深い闇の中で自問自答を繰り返す。

 自分は何のために生きている?

 何の為に戦う?

 師が討たれたあの日から、善弥は心にできた穴を埋めるため――否、穴から目を背けて生きてきた。


 戦いの高揚感に浸っていれば、それを忘れられる気がした。

 でもそれは間違いだった――今の善弥にはそれが分かる。

 それを教えてくれた少女はいる。

 あの誇り高い技術者の少女の為に、善弥は何ができるだろうか。


(――僕は)


 そこで目が覚めた。

 薄暗い空間で善弥は目を覚ました。

 背中が少し痛い。

 むしろを引いただけの固い床に寝かされていたらしい。ゆっくりと周囲を見回し、状況を確認する。

 四方を粗末な板を継ぎ合わせた壁が塞ぎ、天井には小さな穴がいくつも開いている。


 身体を起こすと鈍い痛みが走った。

 見ればボロ布を継ぎ合わせた包帯で止血してある。

 善弥の寝ていた莚の近くには、大小の愛刀とリゼの鞄が置いてあった。


(誰かが手当をしてくれた……誰が?)

「善弥さん!」


 小屋の戸が開いて、ころころと鈴を鳴らすような声がした。


「目が覚めたんですね! 良かった!」


 栗毛の頭が、善弥に抱きついた。


「クリちゃん……」


 善弥はクリの頭を撫でた。手のひらに柔らかい髪の毛の感触と、クリの体温が伝わってくる。生きている、クリも自分も。


「ここは……?」

落人群らくにんむらの小屋の一つに間借りしてます」


 善弥の問いにクリはそう答えた。

 クリが言うには、落人群に来て頭痛がしてからの記憶がないらしい。ふと目が覚めれば落人群の片隅で倒れている善弥を見つけた。リゼはいなくなっていて、人狼の死体が転がっている。

 クリは恐怖にかられながらも、善弥を小屋へ運んで手当してくれたのだという。


「ありがとう、クリちゃん」


 善弥は改めて礼を言い、クリの頭を撫でた。

 しかし、クリは浮かない顔だ。


「リゼさんは……どうなったんですか?」

「――さらわれました。佐村という軍人に」


 善弥は正直に言った。

 ここで変に取り繕っても仕方ない。それにクリは敏(さと)い子であると、これまでの事で善弥も理解していた。


「どうして軍人に?」

「分かりません。どうやらW&S社の技術者と、個人的な付き合いがあるようですが」


 W&S社は大英帝国資本の会社だ。

 政府軍の軍人が大っぴらに取引しているとは思えない。


「どちらにせよ、リゼさんの身が危ないのは確かでしょう」


 佐村の口ぶりから察するに、彼個人の目的に、リゼ――リーゼリット・アークライトが不可欠な要素なのだろう。佐村がリゼに何を求めているのかは分からない。

 だが、どの道ろくなものではないだろう。


「……ごめん……なさい」


 不意にクリが俯き、涙を零した。


「クリちゃんが謝ることは何も――」

「私が善弥さんを傷つけたんでしょ!」


 クリは大粒の涙を零して言った。


「見たんです、手当するとき善弥さんの傷を。胸に大きく引っ掻いたような傷が出来てました、細くて長い傷が連なって交差してる――その傷の幅が私の指と同じでした。私の手にも、血がついてた……」

「…………」

「私が――狼と混じった、化け物になった私が! 善弥さんを襲ったから、善弥さんは怪我してるし、リゼさんは連れ去られちゃったんでしょう――!」


 そう言って、クリは俯きポタポタと涙を流した。

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 私なんかが――。

 そう言い続けて、クリは泣いた。


 善弥はそんなクリを見て、どんな言葉をかけるべきか考える。

 今までの善弥なら、何も思わなかった――否、何も思っていないと自分に言い聞かせて、泣いている誰かの気持ちを慮ることをしなかっただろう。

 でも今は違う。

 善弥を優しい人だと、言ってくれた人がいたから。


「こら」


 ポカリ――と、善弥は軽くクリの頭を小突いた。


「……?」


 急なことに、クリは呆気に取られて顔を上げる。


「自分のことを化け物なんて言っちゃいけませんよ」


 自然と口から言葉が出た。彼女ならきっとこう言うだろうと。


「正直に言います。確かにクリちゃんは、我を失って暴れました。僕に傷を負わせたのはクリちゃんです」


 でも。


「それでもリゼさんは言いました。クリちゃんを斬らないでと。リゼさんは自分の命がかかった状況でも、あなたの命を優先した」

「……なんで」

「それは分かりません」


 リゼが善弥から見ても、過剰にクリを気にかけるのか、疑問はあるが分からない。 

 ただ言えることがある。


「そんな風にクリちゃんを想っている――心配している人がいます。だから自分のことを化け物だなんて言わないでください。それはあなたを大切に思っている人を悲しませる行為です。もしクリちゃんがリゼさんに対して恩義を感じているのなら、もうしちゃダメですよ――いいですか?」

「……はい」


 クリはコクンと頷いた。

 泣きじゃくった眼は赤くなっていたけれど、もう涙は出ていない。

 クリが落ち着きを取り戻したのを確認してから、改めて言う。


「僕はこれからリゼさんを助けに行きます――手伝ってくれますか?」

「はい!」


 今度は力強く、クリは頷いた。

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