第四章 心 Ⅲ

「なっ⁉」


 背後からの第三者の声に驚嘆きょうたんした。


「娘の身柄を押さえることが最優先だと言っただろうに」

「え⁉ な、何っ⁉」


 リゼの悲鳴に、善弥は背後を振り返る。

 軍服をまとった男がリゼの傍らに立っていた。


(いつの間に⁉)


 善弥は動揺を隠せなかった。

 いつだ? いつからあの男はあそこに立っていた?

 なんの気配も感じなかった。


「こんな娘っ子一人を捕えるのに、これほど時間をかけたうえ、結局依頼主の手を煩わせるとはな」

「Mr.佐村!」


 レクター博士が叫んだ。

 その様子を見て、軍服姿の男はフンと鼻を鳴らした。


「キャッ!」


 男がリゼの首筋に手刀を打ち込む。意識を失い崩れ落ちるリゼを、軍服の男は荷物でも扱うように小脇に抱える。

 不意に男の姿が消えた――否、消えたと錯覚するほど速く飛び上がったのだ。

 おおよそ4~5メートル程の高さまで、リゼを抱えたままノーモーションで飛び上がった男。明らかに常人ではない。


 男は悠々と善弥を飛び越え、博士の傍らに着地すると、今度は博士も抱えたままさらに跳んだ。

 一歩で8メートル後方まで下がり、善弥と大きく距離を取る。

 リゼと博士、二人分の重量が男の脚にかかり、わずかに軋む金属音を善弥は聞いた。


(絡繰り仕掛けの義足――!)


 先日W&S社の工場で斬り結んだ、戦斧の巨漢と同じだ。四肢を高性能な義肢に変換し、人間離れした身体能力を得ているのだろう。

 それで得心がいった。

 この軍服の男は、善弥が気配を感知できる距離よりも遥か遠くから、空を跳んでリゼの傍に着地したのだろう。膝の溜めを一切使わずに4~5メートルの高さまで跳躍してみせた男だ。

 全力で跳べば、一体どれほどの距離を一足飛びに跳べるのか想像もつかない。

 軍服姿の男は、何故かリゼの頭部――黒い髪飾りを注視し、満足げに頷く。


「娘は手中に収めた。戻るぞ博士、貴様にはまだやってもらうことがある」

「はっ! お任せください、Mr.佐村」

「――待て!」


 善弥は駆けだした。

 だが、すぐに足が止まる。

 軍服姿の男の顔がよく見えたからだ。

 あの男は――


「久しいな。まさか帝都で会うとは思わなかったぞ」

 軍帽の下で、傷の入った精悍な顔が凄味のある笑みを浮かべる。それは忘れられるはずもない――善弥の師を斬り殺した男だった。


「お、まえ……は」


 さしもの善弥も、動揺を隠しきれなかった。

 あの男と遭遇し、師が斬られたあの日あの場所から、遠く離れたこの東京で仇と再開するなど、誰が思おうか。


「お前と出会った佐賀の乱から、かれこれ二年になるか。残党狩りも進んでいるというが、貴様ならば生きていたとしても、まあ驚かんさ」


 善弥は答える事なく、ただ呆然と死の仇――佐村を見やる。


「Mr.佐村! あの男を知っていたのですか?」

「うむ」


 レクター博士の問いに、佐村は頷く。


「奴とは佐賀の戦場で一度立ち会った事がある。二刀を使う若い侍――もしやと思ったが、やはり貴様だったか」

「…………」

「数奇な邂逅かいこうを喜びたいところだが、生憎あいにくと俺はやる事があってな。貴様の相手はしておれん――この娘はもらっていくぞ」

「っ! 待て――」


 善弥が追いすがろうとした刹那せつな


「――遅い」


 博士とリゼをその場に置いて、一足飛びに佐村が間合いを詰めてきた。

7メートルはあった間合いが一瞬でゼロになる。

 佐村は踏み込んだ勢いをそのままに、掌底を善弥の胴に叩き込んだ。予想を遥かに上回る速さに虚を突かれた善弥は、受け流すことも出来ずに吹き飛んだ。


「…………がはっ!」


 肺が痙攣けいれんして息が詰まる。身体に力が入らない。

 クリとの戦闘で負った負傷もあり、善弥の意識が徐々に遠のいていく。


「言ったであろう、貴様の相手をしておれんとな。この娘さえ手に入れば、貴様に用はない」


 そう言い残して、佐村は踵を返した。


「待……て……!」


 薄れゆく意識の中、最後にそう言って善弥の意識は途切れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る