第三章 人狼の幼女と人斬りの過去 Ⅲ

 今も鮮明に思い出す、二年前の記憶。

 遠く故郷の佐賀でのことだ。


 佐賀の乱――明治に世が移り変わってから起きた、最初の大規模な不平士族の反乱。善弥ぜんやは師であり育ての親、鉄人流師範、鷹山兼継たかやまかねつぐと共に反乱軍の切り込み部隊として参戦していた。


 と言っても、善弥に思想的な意志はなかった。

 反乱を起こした指導者、江藤新平えとうしんぺい島義勇しまぎゆうの考えに賛同したわけではない。ただ師が反乱軍に参入したので、それに付き従っただけ。

 だから善弥は決して志士ではない。

 人斬り働きが達者なので重宝された――本当にただそれだけだったのだ。


 熾烈を極めた佐賀の乱、その幾多の戦闘で人を斬り続け、ついには『双翼そうよく』などという通り名で政府軍から恐れられるようになっていった。

 大局を見れば、政府軍に趨勢は傾いていったが、局所的な戦闘では反乱軍も善戦していたのだ。


 その輝かしい日々を善弥は今でも覚えている。

 大義が何なのか、よくは知らない。しかし大義を掲げ、戦い続けること。戦場に身を投じるたびに感じる高揚感と、勝利の度に喜ぶ味方――そして師。

 時代の中心地であった京や江戸から遠く離れた佐賀の田舎で、ただひたすらに剣術に打ち込んでいた善弥には、その日々は何にもまして心地よいものだった。


 だが、それも長くは続かなかった。

 次第にであるが、趨勢は政府軍に傾きつつあった。

 そしてある日の戦闘で、師が――育ての親が斬られたのだ。


「――師匠」


 敵味方入り乱れる白兵戦はくへいせん

 自分が斬り倒したむくろの向こうに、同じように斬り殺された師を見た。

 右肩から背中へかけて斬られ、動きが鈍ったところに止めの一刀を浴びて、師は倒れていた。

 そして師を見下ろす、軍刀を構えた軍人が一人。

 状況を察すると同時に、善弥は動き出していた。


 涙は流れない。取り乱すこともしない。

 善弥は倒れる師に駆け寄るも先に、仇である軍人に斬りかかった。右の大刀、左の小刀、左右から連続の袈裟斬り。


「ほう?」


 師を斬り倒した軍人は、一の太刀を軽く払いのけ、二の太刀を一歩引いて躱した。無駄のない動きだった。


「その二刀に同じ太刀筋――同門、いや師弟か」


 軍人はわずか一合で善弥と兼継が師弟であると見抜いていた。

 実力者ほど相手の力量や剣技を見抜くのに長ける。その言動だけで、軍人が達人であると知れる。


「さっきの男も中々の腕前だったが、貴様も相当にできるな?」

「…………」


 善弥は答えない。

 ただ冷たい目で軍人を観察する。この男は師を倒した男だ、生半可な腕ではない。倒すなら全神経を集中して、少しの隙も見逃してはいけない。


 善弥は無表情のまま、半眼で相手をぼうっと見て調息ちょうそくを繰り返す。毛ほどの隙も見逃さず、捉えて斬り捨てる必殺の気位きぐらいを練る。

 鉄人流極意水鏡てつじんりゅうごくいみずかがみ――明鏡止水の境地に意図的に入る技術だ。

 今の善弥は敵の隙を映し出す鏡。

 隙を見せた瞬間、善弥の身体は思考よりも先に敵を断つ。


「フッ――中々楽しませてくれる」


 対する軍人は、そううそぶくだけの余裕を見せてニヤリと笑った。

 静かに軍人が軍刀を構えなおす。

 左半身になり、右斜め上へ切っ先を突き出すように構える独特な八相の構え。九州一円に広く流布した、タイ捨流剣術の構えだ。


 タイ捨流は剣技と突きや蹴りなどの体術、奇襲的な跳躍動作を併せ持つ、荒々しい実戦剣術――刀だけに気を取られれば、たちまち不覚を取るだろう。

 知らず知らずのうちに善弥の緊張が高まる。

 両者の闘気が充満し、空気が張り裂けようとした。

 その時だった。


「撤退! 撤退!」

「撤退せよ! 繰り返す! 撤退せよ!」


 大声で政府軍の伝令兵が叫ぶ。

 戦況がひと段落したと見て、一時撤退を政府軍の指揮官は決めたのだろう。

 男は興が覚めたと言わんばかりに構えを解いた。


「勝負はお預けだな」

「…………」


 善弥は動かなかった――否、動けなかった。

 構えを解いてなお、この男には隙が無い。不用意に斬り込めば、即座に返し技を喰らうだろう。故に切り込めない――勝負は預けると男は口にしたが、戦わずして敗れた。

 少なくとも善弥はそう感じた。

 だが、それでも。

 たとえそれが虚勢であったとしても、善弥は男に斬り込む隙を探す続けることを止めなかった。


「面白い男だ」


 軍人はニヤリと凄味のある笑みを浮かべて言った。


「仇をとりたければ、何時でも来るがいい」


 そう言い残して凄腕の軍人、師の仇は去っていった。

 仇の軍人と政府軍が撤退してから、善弥はようやく兼継の元へ駆け付けた。


「善弥……か?」


 既に兼継は息絶える寸前だった。


「はい師匠、善弥はここに」


 兼継のそばで善弥が答えた。


「お前に……最後、まで……たいした事を……してやれんで、すまぬ……」

「師匠は僕に剣を――鉄人流を授けてくださいました。感謝してもしきれません」

「だが、それだけ……だったろう……」

「?」

わしはお前に剣を教えた……お前にしてやれたのは……それだけだ」


 それだけ?

 師から教わった鉄人流剣術は、善弥の全てと言っていい。

 兼継は全てを善弥に与えてくれた、それ以上の何があるというのだろう。


 儂はお前を――そう言って兼継は善弥を見た。


「剣そのものに……してしまった……お前を人に……してやれなかった……」 

「…………」


 善弥は神妙な顔で聞いていた。


「善弥、お前は……この先、好きに生きろ……人として、自分で生き方を選べ……お前ならそれが……でき――」


 それが師の最期の言葉。

 最後まで善弥の瞳から、涙は零れなかった。

 それからかもしれない。

 善弥は生きる標を見失っていた。自分が何の為に生き、何故生きているのかが分からなくなってしまった。


 それから佐賀の乱が鎮圧され、善弥はお尋ね者になった。

 もはや真っ当には生きてはいけない。自死を選ばなかったのは、師に生きろと命じられたからという理由以外にない。

 それから軍警の目をくらますため、各地を放浪した。

 その先々で荒事に首を突っ込んでは、戦いの高揚感に身を投じてきた。その時だけは、ぽっかりと開いた胸の穴が、塞がれた気がした。

 そんな生活を送りながら、流れ流れて東京に来た。


 そしてリゼに出会った。




「前にも言った通り、僕はリゼさんといれば戦いの場に事欠かないと思ってあなたを助けた。言ってみればただの打算です」


 強敵と斬り合っていたい。

 いつ死ぬかも分からない鉄火場てっかばで、たぎ血潮ちしおを感じていたい。身を焦がすたかぶりをもっと――。


「僕は気が付けば人をどう斬り殺すか、そればかり考えてえしまう」


 二年前のあの時も、自分を育て上げてくれた親の死よりも、その仇を斬り殺す事を優先した。

 人を殺す事ばかりを考え、大切な人が死んでも涙も出ない。


「人でなし以外の何者でもないでしょう?」

「…………」


 リゼは善弥の横顔を見つめた。

 善弥は微笑ほほえんだままだ。その張り付いた微笑の奥に、深い深い影がある。リゼにはそんな風に見えた。 


 不意にリゼが言った。


「なーんだ。善弥って、結構怖がりなのね」

「――は?」


 思いもよらない事を言われて、善弥は戸惑った。


「僕が怖がり?」

「ええ、そうよ」


 自信たっぷりに答えるリゼ。

 善弥は首を傾げる。

 今まで何度も修羅場を踏んできた。死を恐れて、身が竦んだことなど一度もない。 

 そんな善弥が怖がり?


「善弥は人でなしなんかじゃない。ただ優しくて怖がりなだけよ」

「それは――」


 一体どういう意味だろうか。

 善弥が問いかけようとした、その時だった。


「――クリちゃんは?」


 リゼが言った。

 善弥もハッとなって周囲を見る。

 さっきまで近くにいたはずの、クリがいない。


「いつから……?」

「わ、私話すのに夢中で全然気が付かなかった」


 リゼが申し訳なさそうに言う。

 気付かなかったのは善弥も同じだ。その事に気付いて、善弥は驚いた。

 善弥は普段から周囲の警戒を怠らない。何をしていても、どこか薄っすらと神経を尖らせて、警戒する癖が身体に染み付いている。

 なのにクリが居なくなることに気付かなかった。

 それ程までに、善弥もまたリゼとの会話に集中していた。善弥にとってさっきの会話は、それ程重要なものだったのだ。


 いや、今それはいい。

 優先すべきはクリの行方である。

 リゼは顔色を変えて心配している。


「まさかさらわれたとか――」

「それはないと思います。人を無理矢理連れ去ろうとすれば、さすがに気付いていたはずです」


 善弥は冷静に否定した。


「人混みではぐれてしまったみたいですね。探しましょう」

「分かったわ! 善弥は向こうをお願い。私はこっちを探してくるから!」


 善弥とリゼは二手に別れた。

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