第三章 人狼の幼女と人斬りの過去 Ⅳ

 浅草寺参道の脇。

 無数にある路地を一つ一つ確かめながら、善弥ぜんやはクリを探していた。

 足早に歩きながら善弥は考えていた。


(……優しくて怖がりか)


 そんな風に言われたのは、初めてだった。

 優しいとは――どういう事なのだろう。

 こんな風に迷子を探していれば、それで優しい人という事になるのだろうか。人は誰かを優しいと判断するとき、何を基準に判断しているのだろうか。


 人に親切にしている時? 

 穏やかに微笑ほほえんでいる時?

 ではそれが外見だけなら? ――鷹山善弥のように。

 善弥の笑みは、彼が覚えた処世術の一つだ。

 にこやかにしていれば、それだけで人当たりは良くなる。

 善弥が常に人の斬殺方法を思案し、実戦の場を求めていることなど、考えもしないだろう。そんな上っ面だけ人のフリをしているだけの男が、優しい人であるはずがない――と、善弥は思っている。


 怖がりとは――どういう事なのだろう。

 善弥は何を恐れているのだろう。

 自分は何かに怯えているのだろうか?

 死は恐ろしくない。むしろ戦って死ねるなら本望だとさえ思っている。そんな男をリゼは怖がりと言った――その真意は善弥には全く分からない。

 グルグルと思考が空回りする。


 だが空回る思考とは裏腹に、善弥の眼球はクリの姿を探し続けていた。

 歩む足取りは速いまま、留まることを知らない。

 無意識にクリの歩幅と、居なくなった時間帯から、そう遠くまで行っていないだろう事まで計算していた。

 止まることなく善弥が探し続けて十分程。

 ――見つけた。

 人気の少ない路地の先。

 夢遊病者のような覚束ない足取りで、歩くクリの後ろ姿を善弥は捉えた。


「クリちゃん」

「…………」


 善弥が声をかけたが、反応がない。

 急いでそばまで駆け寄る。

 クリの眼はとろんとした寝ぼけまなこのようで、焦点しょうてんが合っていない。虚空こくうをみつめ、誘われるように歩き続けている。


「クリちゃん!」


 善弥がクリの肩に手をかけて言った。

 ようやくクリの足が止まる。


「善弥……さん……?」


 ゆっくりとクリが善弥に顔を向ける。

 ぼんやりとした目の焦点が合い、クリが瞳に善弥がはっきりと映し出される。


「無事でしたか」 

「ふぇ? は、はい……」


 クリは不思議そうに言ってから周囲を見回し、


「え? えええっ⁉ ここは……私、いつの間に」


 驚きに声を上げた。

 自分がフラフラと歩いていた事に気付いていなかったようだ。


「覚えてないですか? クリちゃん、いつの間にか一人で歩いて行っちゃったんですよ」 

「…………」


 クリは頭を押さえて、顔を歪める。


「すみません、私……何だか急に『こっちだ』って呼ばれてるような、そんな気がして……それで気付いたら」

「無意識のうちに一人で歩いていってしまった――と」


 善弥はクリが進もうとしていた路地を見た。

 この先に、クリを呼び寄せる何かがあるのだ。


「取り敢えず、この先に進むのはリゼさんと合流してからにしましょう」

「……その、すみませんでした」


 クリはしょんぼりと頭を下げた。


「勝手に一人で動いて、迷惑かけて……」


 申し訳なさそうに縮こまるクリを見て、善弥は頬を緩めた。


「クリちゃん、顔を上げてください。僕らはクリちゃんの事を心配しましたが、怒ってはいません」  


 善弥は目線を合わせるためしゃがみ込み、クリの頭に手を乗せた。善弥の手の感触に、顔を上げたクリと目が合う。

 何故かは分からない。しかし善弥は、いつもより自然に笑えた気がした。


「クリちゃんが無事で良かったですよ」

「…………!」 


 クリの瞳孔がわずかに広がる。子供特有の勘の良さで、善弥の言葉が本心から来るものであるとクリは察したのだ。


「さ、リゼさんと合流しましょう」


 そう言って立ち上がる善弥を、クリは見上げる。その視線は今までよりも、幾分柔らかい。


「善弥さんって……」

「何ですか?」

「お兄ちゃんみたいですね」

「はい?」


 ひまわりのような笑顔で言われるも、その意図が分からず善弥は首を傾げる。

 善弥に兄弟はいないので、お兄ちゃんみたいだと言われても、それがどういうことなのか良く分からないのだ。

 ただ――不思議と悪い気はしなかった。

 二人は来た道を歩いて、リゼと二手に別れた地点まで戻る。まだクリを探し続けているのか、リゼは戻ってきていなかった。


「善弥さんどうします?」

「辺りをぶらついて、探すしかないですね。クリちゃん、今度ははぐれちゃダメですよ」

「分かりました」 


 クリは善弥の左手を握った。


「これなら、はぐれたりしないですよね」


 クリがニコニコと言う。

 何故だろうか。急にクリが善弥に懐いたようだった。以前よりも距離感が近い気がする。

 そのまま手を繋いで、リゼを探して歩く。

 左の手のひらに感じる小さな温もりに、善弥は胸の内が暖かくなるような不思議な感覚を覚えていた。

 しばらく歩き回って、ようやくリゼを見つけた。

 リゼはかなり動き回ってクリを探していたらしく、少し息が切れている。


「クリちゃん! 見つかったのね!」


 リゼが駆け寄ってくる。


「もう! 心配したのよ」

「その……ご心配おかけしました」


 おずおずとクリが頭を下げる。


「よく言えました」


 善弥が頭を撫でると、クリは嬉しそうに笑う。

 リゼはその様子を見て、おやっと表情を変えた。


「……何かクリちゃんと善弥、仲良くなってない?」


 リゼは善弥にジトっとした視線を向ける。


「クリちゃんと何かあった?」

「特には何も」


 と善弥は答えた。

 リゼはクリに視線を移す。

 クリはニコニコと笑って、善弥の袖にくっついている。


「嘘! 絶対何かあったでしょ!」

「と言われましても」


 善弥には何でクリが急に懐いたのか、全く分からないのだ。


「まあまあ、リゼさん落ち着いて。もうお昼ですし、何か食べに行きましょう」

「はい!」


 善弥の袖に張り付いたまま、クリが元気に返事をする。


「…………」


 リゼはジトっとした目をしたまま数秒停止。その後、何を思ったかクリとは反対側の善弥の袖に張り付いた。


「……どうしたんですか?」

「だって、なんか……クリちゃんだけズルいから」

「?」

「いいから! ご飯食べに行きましょ‼」


 リゼが顔を赤くして叫ぶ。


(さっきから分からない事ばっかりだなぁ……)


 何故リゼの顔が赤くなっているのか、善弥には分からなかった。

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