第三章 人狼の幼女と人斬りの過去 Ⅱ
更に数日間、ホテルに滞在した。
幼女の体調はすっかり良くなって、歩き回れるようにもなっていた。
「それじゃお散歩に行きましょう」
ホテルで外出用の身支度を整えながら、リゼが言った。
「は、はい」
答えたのは幼女だ。
衣服は新しい物をリゼが買い与えて、新品になっている。
着物は明るい橙色の布地に、花びらの刺繍が入っている。ぼさぼさだった髪は整えられ、健康的な小麦色の肌に虐待の痕はない。
頭部の獣耳は、帽子を被って隠してある。
幼女の姿を見て、リゼが頷く。
「う~ん、クリちゃん可愛いわね」
クリちゃんというのは、幼女の名前だ。
もちろん本名ではないが、ずっと呼び名がないままだと不便だという事で、仮に名前を付ける事にした。
リゼがハンナやエミリーといった西洋式の名前しか思いつかなかったので、善弥が
「(栗毛だから)クリちゃん、とかどうですか」
という提案し、幼女もそれに応じた。安直な命名だが、おそらく西洋の耳馴染みのない名前よりは良いと思ったのだろう。
「あ、その、ありがとうございます」
おずおずと答えるクリ。
少し恥ずかしそうに答える姿は、小動物的な庇護欲をそそる可愛らしさがある。
「か――可愛い!」
抑えきれないとばかりに、リゼがクリに抱きついた。
抱きついて頬ずりをするリゼ。クリはされるがまま。
「この子本当に可愛いわ! ずーっと抱き締めたくなっちゃう!」
「……リゼさん、ちょっと苦しいです」
クリはむずがるが、まんざらでもなさそうだ。
「善弥もそう思うでしょ!」
クリを胸に抱きながら、善弥に言うリゼ。
善弥は苦笑しながら応じる。
「たしかにクリちゃんは可愛いと思いますけど、リゼさんそのくらいで。あんまりクリちゃんを困らせちゃダメですよ」
「何よ大人ぶっちゃって、私はクリちゃんを困らせてなんてないわよ。ね! クリちゃん、ね!」
「あ、あはは……」
「それが困らせてるんですよ」
善弥がリゼをクリから引き剥がす。
「そろそろ出かけましょう、早めに出かけた方が色々周れますから」
三人揃ってホテルを出た。
今日の目的は、東京の各地を回ること。
発端は善弥の思いつきである。
「……人狼化実験の犠牲になった人達は、どこから連れて来られたんでしょうね?」
ふと疑問に思い、善弥がそう言った。
「どこってそれは……」
リゼは返答に詰まった。
そうだ。
人は何もないところから突然現れたりしない。実験の被験体にされた人達は、必ずそれ以前にどこかに存在していたはずなのだ。
ではどこから?
「一般人を無作為に誘拐すれば、すぐに警察が動くはず――でもまだW&S社の凶行は明るみになっていない」
「多分ですが東京各地の
「落人群?」
「職にあぶれた人達が身を寄せ合って生きている、街の吹き溜まりみたいなものですかね」
「スラムみたいなものかしら」
と独りごちるリゼ。
「落人群には公的機関の目が届きません。あそこからなら、人を何人か攫(さら)っても警察や軍は動かないでしょう」
「可能性は高そうね」
「――そこでなんですが」
善弥が切り出した。
「落人群に網を張るというのはどうでしょうか」
「どういうこと?」
「もし奴らが今後も実験を続ける気なら、必ず実験体になる人間を攫いにくるはずです。そしてその時に居合わせることが出来れば、連れ去られる人たちに紛れて工場に潜入できるんじゃないかと」
「それは……一理あるわね」
リゼは頷く。
「それに――」
善弥が付け足す。
「おそらくクリちゃんも落人群から攫われたはず」
「……そうね」
「なら幾つかの落人群を見て回って、見覚えのある場所があれば、クリちゃんも少しは記憶が戻るかな……と思いまして」
「そうね!」
リゼが大きく頷く。
「脳は視覚からの刺激によって活性化することが多いの。たしかに色々見てみるうちに、記憶が戻るかもしれないわね」
リゼは少しだけ寂しそうに目線を下げて言う。
「クリちゃんって私たちが勝手に名前を付けちゃったけど、やっぱり自分の本当の名前を思い出した方が良いわよね」
「……そうですね」
そんな会話の結果、三人は東京の街を散策することにしたのだ。
落人群を回るだけでなく、クリに色々な景色を見せようというのは、リゼの意見だ。
「ここ最近、部屋に籠って調べ物ばっかりだったから、何だか気分が良いわ」
スキップしそうな勢いで、リゼが楽しそうに言う。
どちらかというと、クリよりもリゼの方が楽しんでいるようにも見える。
「リゼさん、あんまりはしゃがないで下さい。人目を引きます」
善弥がたしなめる。
こうして往来を歩くと、善弥たち一行は目立っていた。
シャツの上から着物と袴という書生スタイルにも関わらず、腰に刀を差している善弥。
橙色の着物にベレー帽を被ったクリ。
そしてシックな洋風のドレスを来たリゼ。
何ともちぐはぐな面子だ。その三人が揃って歩けば、帝都東京では浮くだろう。更にはしゃいで歩くリゼが、金髪碧眼の美少女なので余計目立つ。
善弥は改めて日の下でリゼを見た。
透き通るように白い肌と金糸のような艶やか髪。果実のように潤んだ唇が、カラカラと心地よい笑い声を紡ぐ。
コルセットでタイトに締められた細い腰と、反比例するように豊かな胸。
まるで芸術家が作り上げた作品のようで、思わず善弥は一瞬見惚れた。
「リゼお姉ちゃん、待ってくださいって善弥さんも言ってますよ」
クリもそう言いながらリゼを追いかける。
「ごめん、ごめん」
リゼは謝るが、それでも浮かれた様子は変わらない。
「さ、行きましょ。まずは浅草ね」
停留所で少し待ち、乗り合い馬車に乗り込んだ。
大きな二階建ての馬車で、馬も三頭立ての大型車だ。社内の階段を登り、二階の座席に座った。
二階は屋根がなく、落下防止用の手すりがついているだけの造りになっている。雨の日は最悪だが、今日のように晴れた日は解放感が最高だった。
座席は二人掛けの物が、両側に五列ある。
クリとリゼが一番前の座席に並んで座り、善弥は一つ後の座席に一人で座った。
乗合馬車が動き出し、東京の街を二階建ての馬車が走る。
流れる街並みにリゼとクリは釘付けだ。
「あっ! あれ何かしら⁉」
「どれ⁉ どれのことですか⁉」
真新しい建物や乗り物を見るたびに、リゼとクリははしゃいで言葉を交わす。
その姿を後ろから見ていると、まるで仲の良い姉妹のようだ。顔立ちも、肌の色も、髪の色も違うのに。
それはきっと、彼女たちが純粋だからなのだろうと善弥は思う。
初めて見る新しいものを眼にして興味や関心を覚える。そしてその感覚を他者と分かち合う、共感することができる。その感度や方向性が、きっと二人は近いのだろう。
何となく、座席以上の隔たりを善弥は感じた。
「ねぇ! あの大きな門は何? 凄く大きな
不意にリゼが振り返って善弥に聞いた。
善弥は視線を前方に合わせる。大きな山門に巨大な提灯。そして左右に祭られた風神雷神像。
「見えましたね。あれが目的地の浅草、浅草寺の雷門ですよ」
乗合馬車から下りて、山門へ向かう。
山門に吊るされた巨大な提灯に向かって近づく。
雷門――浅草を代表する観光名所の一つであり、ランドマークと言っていいだろう。
「これが雷門! 日本に来る前に読んだ本にも書かれていたけど、本当に大きいのね!」
リゼは嬉しそうだ。
善弥はそんなリゼを見て苦笑しながら、クリに尋ねる。
「クリちゃん、ここに見覚えはありますか?」
「ん……その、ちょっと分からないです。何か思い出すような感じはしません」
「そうですか」
これ程特徴的な建築物を見ていたら、何か覚えていても良さそうなものだ。なのに何も思い出されないという事は、ここは外れかも知れない。
(浅草には落人群が幾つかあったと聞いてたけど……当てが外れたか)
「その……すみません」
謝るクリに善弥は笑顔で言う。
「クリちゃんが謝る事はないですよ」
「…………」
「ここが連れ去られる前にクリちゃんがいた所じゃないって分かっただけでも、それは成果です。また違うとこを探せばいいだけです」
それに――と言って、善弥はリゼを見た。
「リゼさんも観光が楽しいようですし、一緒に楽しんでください」
「でも……」
「クリちゃんが暗い顔をしているよりも、楽しそうにしている方が、リゼさんも嬉しいはずですよ。ね?」
「――はい」
そう言って、ようやくクリの表情が明るくなった。
「ねぇねぇ、三人で記念写真撮りましょう!」
気付けばリゼが何やら折り畳み式の三脚に、レンズの付いた金属製の箱――携帯型カメラを取り付けている。
善弥また苦笑した。
リゼはとことん観光モードになっている。当初の目的を覚えているのだろうか。
「ほらほら二人ともこっち!」
「は、はい!」
「今行きます」
テンションの高いリゼに言われるがまま、クリと善弥はカメラの前に移動する。
カメラを覗き込み、何度も画角を確認するリゼ。
「二人とももうちょっと右――あ、クリちゃんはそこで止まって。善弥は少しだけ左に戻って……そうそう、そこ! そこで動かない!」
クリを前にして、クリの左斜め後ろに善弥が立つ。
リゼはクリと善弥の位置を確認すると、タイマーをセットしてダッと駆けた。クリの右斜め後にリゼが立つ。
「レンズの方を見て、ニッコリ笑って!」
リゼが言い終わると同時にフラッシュが焚かれた。
「ちょっと待ってね、今出来栄えを確認するから」
カメラから撮ったばかりの写真が現像され、吐き出される。リゼはそれを手に取って眺めた。
「――うんうん、いい出来じゃない」
「リゼさん! 私もみたいです‼」
「いいわよ。ほら」
「うわぁ!」
クリは写真を受け取ると目をキラキラと輝かせた。
「善弥さんも見てみてください」
クリから差し出された写真を受け取って、善弥も見た。
山門の巨大な赤提灯と青い空を背景に、善弥たち三人が写っている。『手記』だとか人狼だとか、
善弥も笑っている。
しかし、二人の笑みとは何か違っている気がした。
それを口にして雰囲気を悪くするのは本意ではなかったので、善弥は写真について何も言わずに話題を変えた。
「さて――記念撮影も終わったことですし、本堂にお参りしに行きましょうか」
「はい!」
クリが元気に返事をする。
リゼのカメラを片付けた後、参道を通って本堂へ向かって歩きはじめた。
両脇に屋台が立ち並び、土産物や料理が並んでいる。その光景が物珍しいのだろうか。クリは興味津々といった風だった。
クリを見守りながら、少し後方で善弥はリゼと並んで歩く。
歩きながら不意にリゼが言った。
「ありがとう」
「何がです?」
善弥にはリゼが何について礼を言ったのか分からなかった。
「クリちゃんの顔、さっきより明るくなってる。貴方が何か言ってくれたんでしょう?」
「ええ、まあ」
「良かった。あの子の暗い顔、あまり見たくなかったから……やっぱり善弥は優しいのね」
「……そうですかね」
「何でそこで言い渋るの?」
リゼが尋ねた。
それは善弥の核心をつく言葉だった。
「前から気になってた。何故か善弥は、自分から人らしくない素振りを取ろうとしている気がする」
「何のことですかね」
「さっきもそう。善弥はちゃんとクリちゃんを気遣っているし、あの子のことを心配したりしてる。なのにそれを認めようとしない」
「僕はただの人でなしですよ」
善弥は首を振った。
善弥にとって生き甲斐、生きる意味とは即ち戦う事。
殺し合う事――それだけだ。
リゼが何を言っているのか、善弥にはよく分からなかった。
「あなたは優しい人よ」
「いいえ。僕は優しいどころか、人ですらない」
善弥にしては珍しく、強い口調で否定した。
「僕は――剣だ」
「どういう意味?」
「僕に人の心はありません。志や信念もない。ただ人を斬り殺すだけが取り柄――そんなものはただの凶器」
人間とは呼べないでしょう? ――と当然のように善弥は言った。
「何でそんな風に言うの?」
「そうだからとしか言いようがありませんね」
「何か……そう思うような事があったんじゃないの?」
「…………」
「聞かせて」
リゼの事情は色々と聞いている。ならば善弥も少しは身の上を話すべきかもしれない――そんな風に思うほど、善弥は知らず知らずのうちにリゼに心許すようになっていた。
その事を善弥はまだ自覚していない。
静かに口を開いた。
「リゼさんはお父様が亡くなられた時、悲しかったですか? 涙を流したことは?」
「どうしたの急に」
「二年前です」
僕の育ての親であり剣の師が、目の前で殺されたのは――いつもの微笑のまま、善弥はそう言った。
「その時僕は、悲しむことができなかった。涙も出なかった、取り乱すこともなかった。ただ仇を殺す――それを最優先に考えていた」
――遠い目をして善弥は淡々と語った。己の過去を。
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