第二章 新時代の魔導書 Ⅰ

 東京郊外。

 のどかな田園風景が続く、街と里山の中間地点にW&S社の工場がある。

 煉瓦れんがとモルタルで固められた高い塀。白煙を噴き上げる煙突が幾つもみえる。その工場を、遠く離れた大樹の上から探る人影が二つ。

 鷹山善弥たかやまぜんやとリーゼリット・アークライトである。


「大きな工場ですねぇ」


 間延びした声で善弥は言う。


「あんな工場がこんな所に出来ているなんて知りませんでした」


 十年前まで木で家を作っていた国家とは思えないほど、それは近代的な建物だった。


「善弥って本当に十七歳なの? 蒸気革命じょうきかくめいから一体何年たったと思ってるのよ」

「この国の文明開化が始まってからまだ十年経ってないんですよ。僕は田舎者なので、そういうのにはうといんです」 


 この国では鉄道網や電信技術による通信網も、まだまだ整備されている途中だ。情報が伝わる速度もまだまだ遅い。

 まして善弥が育ったのは、九州の佐賀だ。先進的な教育など受けていない。

 蒸気革命に関しても、大まかな概要しか知らないのだ。


「確か60年程前に、チャールズ・バベッジ博士が作り出した機械が、技術革新を大幅に加速させたんでしたっけ」 

階差機関ディファレンスエンジンの事ね」


 蒸気で動く世界初の計算機械コンピュータ。それは当時実用化された蒸気機関を、それまでとは比べ物にならない程発展させた。

 以後大英帝国は技術先進国となり、その他国とは一世紀差があるとまで言われた技術力で他国を次々と植民地化。今や世界に名を轟かす覇権国家となった。 


 そしてそんな国からギリギリ植民地化されずにいるのが、この日本なのだ。


「西洋列強との国力差、文明の差を埋めるために、国家の近代化は急務――とは言え、あまりにも近代化を急ぎ過ぎている気もするんですけどね。世間の移り変わりが激しすぎて眼が回りそうですよ」

「眼を回されちゃ困るわね」


 リゼが言う。


「今夜はあそこに忍び込むんだから」


 善弥は昨晩のリゼとの会話を思い出す。

 茶屋の二階に宿を取り、善弥は改めてリゼから詳しい事情を聞いた。


「始まりは、私の父が殺されたところから」

「殺された――」


 父の死を思い出しているのだろうか。

 無表情に感情を押し殺してリゼは言う。


「父は技術者テクノロジスト、その中でも自動人形の回路を作る工学者エンジニアだったの。私の家の離れには工房があって、父はそこに籠って研究に明け暮れていた」


 その工房で、リゼの父は殺されていた。


「背後から銃で撃たれて、父は死んでいたわ。工房の中も荒らされていて滅茶苦茶だった」


 だが警察を呼び、調べてもらった結果、奇妙な事が分かった。


「高価な実験機器や資材、調度品みたいな物は何も取られていなかったの。ただ唯一父が残したはずの『手記しゅき』だけが無くなっていた」

「『手記』?」


 善弥が口を挟む。


「手記って、つまりは覚書おぼえがきのことですよね?」

「――ああ、違うの。表向きは『手記』って言ってるけど、実際には本の形にまとめられたプログラムコードなのよ」

「それは人を殺してでも手に入れたくなるほど価値のある物なんですか?」

「ええ」


 リゼは頷いた。


「現行の自動人形には、まだまだ無駄が多いの。父はその無駄をなくす研究していて、その成果をプログラムとして『手記』に残した。『手記』を解読してそのプログラムをインストールするだけで、自動人形の性能は飛躍的に向上するでしょうね」

「……ええっと」


 科学に疎い善弥では、イマイチその凄さが分からない。

 リゼは少し考えてから説明する。


「思い出してみて。今日見た牛鍋のお店の自動人形って動きはぎこちないし、できる事って簡単な受け答えと食器の上げ下げだけよね」

「そうですね」


 現行の自動人形にできる事は限られている。性能的には、あれが限界だ。


「もし自動人形が、普通の人間と同じようにスムーズに動いて、自律的に判断して動けるようになったらどうなると思う?」

「それは……」


 それなら疎い善弥でも分かる。

 もしそれが『手記』によって可能になれば、『手記』は莫大な価値を生むだろう。


「それだけならまだ良いわ。もし人間並みに動ける自動人形が可能になれば、機械兵マシン・ソルジャーが実用化されるようになるでしょうね」


 機械兵――自動人形の兵士か。


「今はまだ機械兵の実用化に成功した国はない。現行の自動人形は、パターン化した行動以外は行動速度が遅すぎて、木偶の棒にしかならないから。でももし、普通の兵士と同じように戦える自動人形が現れたらどうなるか……」


 善弥は考える。

 歯車とゼンマイで出来た鋼鉄の兵士。

 それが実用化されるという事は、生産力さえ高ければ、国民の数が少なくても大きな兵力を得られるということ。

 どれだけ強力な軍艦や戦車があったとしても、それを動かすのは人間であり、兵員の数を増やすというのは、いつになっても重要なことに変わりはないのだ。


大国たいこくであれ小国しょうこくであれ、どこかの国が機械兵を実用化する技術を手に入れれば、世界の勢力図は一変するでしょうね」

「…………」


 善弥はようやく理解した。リゼの父が残したという『手記』は、文明化の時代における魔導の書なのだ。

 善弥は疑問をていす。


「しかしそんな凄い物を手に入れたのなら、とっくに利用されているんじゃないですか?」

「それについては大丈夫。『手記』は何重にも施された暗号で記されているの。高性能コンピュータで時間をかけて解析かいせきしないと、『手記』を組み込んで利用することはできないわ」


 リゼが話を進める。


「私は、父を殺した者は必ずこの『手記』の価値を理解していて、かつ父が新しいプログラムの構築を成功させたと知っている者だと考え、そして調べた」


 その結果浮かび上がったのがW&S社。

 大英帝国に本社を構える世界的な重工業企業。

 リゼはそこから更に独力で調査を進め、主犯格はW&S社の技術顧問、アルバート・レクター博士であること。そして博士が私設部隊を用いて極東きょくとうおもむいたこと。

 そして『手記』が日本に作られた、W&S社の工場。その実験棟にあるということを突き止めたのだった。


「よくそこまで調べましたね」


 善弥は感心した風に呟く。


「ちょっとしたハッキングよ」

「はっきんぐ?」

「コンピュータを使って、別のコンピュータの中身を無理矢理覗き見た――って言ったら分かるかしら」

「そんな事も出来るんですか?」

「まぁね、私も一応工学者エンジニアの端くれだから」


 エヘンと可愛らしく胸を張るリゼ。

 ――この時、リゼはとある事を説明から省いた。

 冷静に考えれば、いくら工学者の娘で頭が良いと言っても、一人の少女が世界的な企業の内部情報を調査し突き止めるなど、出来るわけがないのだ。

 しかし善弥はその手の知識に疎かったため、そこに疑問を覚えなかった。


「レクター博士には何か計画があって、その為に『手記』を使うはず。私はそれを阻止したい」


 だから――リゼは力強く宣言する。


「『手記』を破壊する。それが私の目的なの」

「……しかし、いいんですか? その『手記』を破壊して。お父さんの遺品(いひん)でしょう」

「ええ」


 複雑な顔でリゼは頷く。


「父の構築したアレは、今の人類には早すぎる。無くなってしまった方がいい。私はね、科学は人を幸福にする為に存在すると思ってる。でも、今の世界は『手記』を軍事利用の為にしかもちいないでしょうね」

「……」

「そうなれば、『手記』のせいで不幸になる人が増える――私はそれが嫌なの」



 昨夜のリゼの横顔を、善弥は思い出していた。

 リゼの言ってることは、ともすれば理想論のように思える。だが彼女はその理想の為に命を危険に晒している。


 それは向こう見ずだが、勇敢ゆうかんな行為だと善弥は思う。

 善弥はあまり戦う理由に頓着とんちゃくしない。

 ただ戦えればいいと思っている。

 だが今はリゼの為に戦うことに関して、今までとは違う感慨かんがいいだき始めていた。


「それじゃ、夜を待って侵入しましょうか」

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