第一章 微笑う人斬り Ⅴ

 善弥とリゼが友誼を交わしていた頃。

 東京の郊外にあるW&S社の工場、その応接室で密会を交わす者たちがいた。

 豪奢な調度品で飾り付けられた応接室には、商談用のテーブルを挟んで皮張りのソファが二つ。


 片方のソファには明治政府陸軍の軍服を着た、将校と思わしき男が腰掛けている。

 年齢は三十代半ばだろうか。

 精悍せいかんな顔立ちで、野心的な眼の光が印象的だ。

 鍛え上げられた肉体には、一部の無駄もない。屈強な軍人であることが、見ただけで分かる。


 もう片方のソファには、スーツの上に白衣を着た学者風の男が座っており、そしてその背後に、善弥を追いかけた巨漢がひかえていた。

 学者風の男はおそらく還暦間近。白い肌にはしわと染みが浮かんでいる。

 眼鏡を掛けていて、レンズの奥には怪しい光を宿した瞳が爛々らんらんと輝いていた。


「――ガゼル」


 学者風の男が、背後の巨漢に言った。


「例の娘はどうなったのかね?」

「はっ」


 巨漢――ガゼルが答える。


「申し訳ございません。同行していた若い男と一緒に逃げられました」

「フン」


 それを聞いた軍人が鼻を鳴らす。


「不満そうですな、Mr.佐村さむら?」

「当たり前だ」


 佐村と呼ばれた軍人は憮然ぶぜんとして言う。


「今回の計画には、あの娘の持つ『電脳でんのう』が必要不可欠だ。えさとなる情報をいておびせたというのに、捕まえ損ねるとは……」


 佐村は煽るように呆れ顔を見せた。


「貴様の部下はカカシか? レクター博士」

「これは手厳しい」


 ねっとりと絡みつくような口調で、学者風の男――レクター博士は答える。


「そう責めないで頂きたい。こちらとしても予想外でね。アークライトの小娘に、日本で頼れるような伝手つてはないと思っていたんだが……まさかすぐに協力者を得るとはねぇ。まったく当てが外れたものだ」

「フン」


 佐村はまた鼻を鳴らす。


「協力者と言っても、若造が一人くっついていただけなのだろうが」

「…………」


 ガゼルは答えない。佐村がガゼルを睨みつける。


「それともその若造、余程の使い手だったのか?」

「はい――滅法めっぽう腕の立つサムライでした」


 ガゼルが言葉少なに答えた。

 さむらい――と小さく呟く佐村。少し興味を覚えたようだった。


「その若い男、どのように娘を連れて逃げおおせたのか、詳しく聞かせろ」

「隙をついてW&S社の私兵を殴り倒し、銃撃を受けながらも辻馬車に乗り込んで逃走。蒸気式自動車で追跡したところ、馬車を切り離して蒸気式自動車に衝突させ半壊――私も蒸気馬で追跡しましたが、蒸気馬を壊され振り切られました」


 ふむ――と言って佐村は腕を組んだ。


「その男の容姿や特徴、歳の頃は?」

「おおよそ十代半ば。黒髪の散切り、書生風の服装に大小の刀を差していました」

「……」


 佐村は考え込む。


(維新から九年……十代半ばということは、生まれ年は徳川の世の終わり……)


 その侍は幕末の修羅場を潜り抜けた猛者ではない。

 だが話を聞くかぎり、娘と一緒にいたという若い男はかなりの剣客であるようだ。 

 この文明開化が進む明治の世に、旧時代の絶技を振るう若い剣客。

 佐村の脳裏に一人の男の姿が浮かんだ。


(まさかな……)


 あの男と出会ったのは、遠く離れた九州の佐賀だ。

 帝都東京で会うはずもない――佐村はかぶった。


「Mr.佐村。そのサムライに心当たりが?」

「いや」


 佐村は話題を変えることにした。


「それで――娘をどうやってとらえる気だ?」

「何、そう慌てることもないでしょう」

 

 レクター博士がニヤリと蛇のような笑みを浮かべる。


「あの娘の狙いはここにある。待ち構えていればいい。必ずあの娘は来る」

「また逃亡を幇助ほうじょした、若い侍とやらが出てきたらどうするつもりだ?」


 レクター博士がガゼルを見やる。


「お前は私の作った傑作けっさくだ――やれるな、ガゼル?」

「お任せください。サムライの刀ごとへし折って見せましょう」


 今日不覚ふかくをとったのは、不慣れな馬上戦――それも蒸気馬の弱点を突かれただけだ。真正面から戦えば必ず勝てるという自信が、ガゼルにはあった。

 ガゼルが誇示こじするように腕を掲げる。


 ガチャッ――丸太のように太いガゼルの腕からは、歯車の動く音がした。

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