第一章 微笑う人斬り Ⅳ

 黒服たちをいてから、どれくらい走っただろうか。

 東京の都心から外れ、田畑の見える街道まで二人は来ていた。

 このあたりでいいだろうと馬から降りる。

 乗り捨てた馬はしばらく動かないが、いずれ腹を空かせて辻馬車業者の元へ帰るだろう。


「馬に乗るのは久しぶりなので、少し疲れました」 


 善弥が大きく伸びをする。

 くらのない状態で馬に乗るのは、中々に疲れる。


「私も……ちょっと疲れたわ」 


 リゼも大きく身体を伸ばした。


「少しあそこで休憩しましょうか」 


 善弥が街道沿いに建っている茶屋を指さした。

 リゼは無言で頷く。

 少し歩いて茶屋の軒先に腰を下ろし、頼んだお茶を飲んで、ようやく人心地ひとごこちついた。


「……中々、危ない旅行をされているみたいですね。リゼさんは」

「……」


 リゼは答えない。

 両手で握りしめた湯呑を、ジッと覗き込んでいた。

 煎茶にリゼの浮かない表情が映っている。


「日本に来た理由、観光なんかじゃないんでしょう?」


 回りくどい前置きをせずに善弥は聞いた。

 リゼは俯いたまま、善弥と目を合わそうとしない。


「何か余程の理由があるんでしょうね。たった一人海を越えて、命の危険にさらしてでも達成したい目的が」

「……それを聞いてどうするの」


 悩まし気な表情のまま、リゼは顔を上げた。


「ただの好奇心なら止めて……これ以上、あなたを私の事情に巻き込めないわ」

「なんだ。そんな事を気にしていたんですか」


 飄々ひょうひょうと善弥が言う。


「それならもう手遅れですよ」

「――え?」


 リゼの問いに善弥が答える。


「さっきの逃走劇で、僕は顔を隠していませんでしたから……完全にリゼさんの仲間だと、追ってきた連中には思われているでしょうね」

「……あ」

「今更無関係なんて通用しません。今後奴らが僕を見つけたら、問答無用で襲ってくるんじゃないですかね。だから、巻き込むとか巻き込まないなんて問答は、もう過ぎているんですよ」


 もう引き返せるような状況ではないのだ。


「だから教えてほしいんです。何の為に、日本に来たのか」

「ごめんなさい」


 リゼは謝った。


「成り行きとはいえ、貴方を私の事情に巻き込んでしまった事には変わりはない。きっとこれからも危険な目に合う……お詫びのしようもないわ」

「いいですよ。別に」


 何ということもなく善弥は言った。


「分かった上で、助けましたから」

「え?」

「だってリゼさんは、見ていて危なっかしいですからね。放っておけませんでした」

「善弥……」


 リゼは顔を赤らめた。高鳴る胸を、鎮めるように押さえる。

 しかしそれも、善弥の


「それに僕としてもこういう状況は好都合ですし」


 という発言ですぐに頬から赤みが引いた。

 リゼはたじろいだ。

 善弥の表情はさっきから何も変わっていない。穏やかな微笑を浮かべたままだ。

 それが何故、こんなにも禍々まがまがしいのか。


「……どういう事?」

「言葉通りの意味ですよ」


 淡々と善弥は言う。


「僕は生まれてこの方、剣術等の武芸十八般――人のあやめ方ばかりを修練してきまして……何というか、戦っていないと生きている気がしないんですよ」


 穏やかに微笑む白皙はくせきの美青年が口にするとは思えないほど、それは殺伐さつばつとした独白どくはくだった。


「初めてあった時に予感を感じ、牛鍋屋で悪漢に追われていると知った時、それは確信に変わりました」


 リゼさん――と言って、善弥はリゼを真正面から見据える。


「――あなたといれば、戦いの場に事欠かない、と」

「…………」


 リゼは押し黙った。

 善弥に得体の知れない不気味さを感じたからだ。

 この男、羊の皮を被った狼――否、菩薩ぼさつの顔をした修羅しゅらかもしれない。


「だから巻き込んだなんて言って負い目に思わなくても結構ですよ。むしろこれは対等な取引、需要と供給が合致しただけだと思ってください」


 善弥は戦いたい。

 リゼは目的を達成したいが、そのために襲い掛かる敵を退ける武力がいる。

 互いの目的が合致しただけだと、善弥はそう言っているのだ。

 リゼは戸惑った。

 

 鷹山善弥たかやまぜんや――この男は得体の知れない男だ。

 リゼの脳裏に幾つもの映像がよぎる。

 筋者の腕を切り落とす善弥、大丈夫ですかと手を差し伸べる善弥、悪漢を殴り倒す善弥、リゼを抱えて走る善弥。

 彼はずっと微笑を浮かべていた。

 まるで喜怒哀楽の楽しか持ち合わせていないかのように。


 彼の言っていることは本当なのだろう。

 善弥はきっと、人を斬り殺すその時さえも笑みを浮かべたままだろう。

 だが、窮地に陥ったリゼを助けたのは、間違いなく善弥だ。


「…………そうね」


 リゼは苦悩の末に、自分を助けてくれた善弥を信じることにした。


「お言葉に甘えて、負い目には思わない。巻き込んですまないとも思わない」


 リゼは手を差し出した。善弥は首を傾げる。


「? 何ですか?」

「貴方は知らない? 握手って言って、西洋では友好の証に互いの手を握るの」

「西洋式の挨拶ですか」


 慣れない様子で善弥はリゼの手を取り、リゼは力強く握り返す。


「改めて言うわ。私はリーゼリット・アークライト。私の目的を果たすために、あなたの力を貸して」

「士族、鷹山善弥。あなたが闘争の中にある限り、死力を尽くしましょう」

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