第一章 微笑う人斬り Ⅲ

「ちょ、待って!」


 リゼの足がもつれる。彼女は走るのには向かない、踵の高いブーツを履いていた。


(このままだと追いつかれるな)

「ちょっと失礼します」


 善弥ぜんやはリゼの背と膝裏に手を回して抱き上げた。


「え⁉ な、何⁉」


 急な事に顔を赤らめるリゼ。


「暴れないでください」


 善弥はリゼを抱えたまま、変わらぬ速さで走り続ける。

 細身の身体からは予想もできない膂力と健脚に、リゼは驚いた。

 大通りに出ると辻馬車を見つける。


(あれだ)


 善弥は御者の許可も取らずに、辻馬車に乗り込んだ。

 客を待っていた辻馬車つじばしゃ御者ぎょしゃは、いきなり乗り込んできた善弥たちに驚く。


「な、何だあんたらは?」

「手荒な乗車申し訳ありません。急いでいるんです。すぐに出してもらえますか」

「は? 何を言って――」

「お願いします」


 張り付いた笑顔のまま、善弥が強く言った。

 ことさら声の音調が変わったわけではないのに、言い知れぬ圧力を御者は感じた。

 御者は返事もせずに慌てて手綱を操ると、二頭の馬がいななきをあげて、馬車が走りだす。


「馬車を出したのは良いんだが……そ、それで何処へ行けばいいのかね?」


 御者が振り返って善弥に尋ねる。


「そうですねぇ」


 善弥が後ろを振り返って言う。


「アレから逃げられれば何処でもいいんですけどねぇ」

「まだ追ってきてるの⁉」


 リゼも背後を振り返った。

 馬車の後方を猛スピードで走る影。

 蒸気式自動車だ。

 石炭を燃やす排気煙をもうもうと垂れ流し、蒸気式自動車が追ってくる。

 乗っているのは当然例の黒服たちだ。

 奴らの乗っている蒸気式自動車の方が、善弥たちの乗る辻馬車よりも速い。見る間に距離を詰めてくる。


「伏せて!」


 叫ぶと同時に善弥はリゼを座面に伏せさせた。

 一瞬遅れて発砲音が鳴り響く。

 馬車の窓ガラスが割れた。撃ってきたのだ。


「一体全体何が起きてるんだ⁉」


 御者が半狂乱に叫ぶ。


「すみません。ちょっと悪漢に追われてまして」


 飛び交う弾丸。鳴り続ける銃声。壊れる馬車の外装。

 それらの破壊音と対照的に、牧歌的な声で応じる善弥。

 そうこう言っている間にも、御者のかたわらを弾丸がすり抜けた。


「ヒェッ!」


 恐怖に悲鳴をあげる御者。


「まったく何なんだあんたら! こちとら死ぬのは御免だ! 付き合っていられるか!」


 何を思ったか御者は手綱を放り出して、御者台から飛び降りた。


 その行動に、

「……そんなに嫌だったんですかね?」

 と善弥は首を捻った。


「この状況なら逃げ出したくもなるんじゃない?」


 座面から頭を上げずにリゼが言う。


「馬車から落ちて死ぬ可能性よりも、撃たれて死ぬ可能性の方が高いって思ったんでしょう」

「なるほど」

「納得している場合⁉ このままだと二人まとめてハチの巣になっちゃうわ!」


 馬が走り続けているので、まだ馬車は停止していない。

 だが、手綱を握る人間がいない以上、スピードは落ちるし、いつかは馬も脚を止める。そうなれば終わりだ。


「リゼさんはそのまま姿勢を低くしていてください」

 善弥はそう言って、馬車の扉をあけ身をひるがえすと御者台へ降り立った。

 手綱を握り、馬を操る。

 善弥の手綱捌きで馬の足並みが整い、馬車の走りが安定する。

 だがそれもその場しのぎだ。速力で敵の蒸気式自動車に劣っていることは変わらない。


「リゼさん」

「何⁉」

「馬乗れます?」

「やったことないわ! それが何?」

「いや、逃げる時は一つの馬に二人で乗らないといけないなって」

「?」


 善弥の言葉に首を傾げるリゼ。

 善弥は答えず、左手で手綱を握りつつ、右手で刀を抜いた。白刃が閃いたかと思うと、馬車の前面が切り落とされる。


「な、何⁉」

「こっちへ」


 善弥がリゼを御者台へ招く。


「僕に考えがあります。馬の背に乗ってください」

「は?」

「いいから早く。追いつかれます」

「うぅ……分かったわよ!」


 やけくそ気味にリゼが馬車を引く馬の背に腰掛けた。

 それを見た瞬間に、善弥はまた刀を一閃。

 ながえ(馬車と馬とを繋ぐ棒)を両断した。すぐにリゼの後ろに跨る善弥。

 馬車が切り離され、後方へ流れていく。


「馬車をぶつけるのね!」


 追手の乗る蒸気式自動車と切り離された馬車が激突。馬車は派手に砕け、蒸気式自動車は馬車がぶつかった衝撃で派手に横転した。


「なんとか上手くいったみたいですね」


 善弥がニコリと笑う。


「――いや、待って。何かしらアレ」


 リゼが後方の異変に気付いた。

 横転した蒸気式自動車の後方から、また違うシルエットの影がこちらを目指して駆けてくる。

 善弥も後方を振り返った。


(あれは――馬?)


 だが動きが馬とは何か違う。


蒸気馬スチームホースだわ!」

「蒸気馬?」 


 善弥の問いにリゼが説明する。

 蒸気馬は自動人形の一種。

 文字通り蒸気機関で動く、鋼鉄の馬。乗り手が手綱型の操縦桿を握ることで、様々な地形――車では走れないような悪路を走破できる代物だ。


「でも凄い高価だから、あまり普及していないの。まさか日本で蒸気馬を見るなんて」


 善弥は目をらす。

 蒸気馬の背には先ほどの男たち同じ、黒いスーツを着た西洋人の巨漢が乗っていた。

 上腕の太さがリゼの腰ほどもあり、裾や袖が筋肉ではち切れんばかりに膨れている。見るものに畏怖を抱かせる野獣のような男だ。


「アレも追手と考えていいですか?」

「そうみたい。ああもう、ホントにしつこいわね!」


 リゼが叫ぶ間にも、蒸気馬は少しずつ距離を詰めてくる。

 蒸気馬は普通の馬より小回りこそ利かないものの、馬力が強く直線的な速さは大きく勝る。

 普通に走っている分には、あの蒸気馬はけない。

 善弥は横道に入った。小回りを活かして撒こうと試みる。


 ――だが追手を振り切れない。


「上手いな」


 善弥は思わず呟いた。

 追手の操舵は実に巧みで、蒸気馬は的確に善弥たちのすぐ後をつけてくる。


「感心してる場合⁉」

「これは失敬」


 緊張感のない善弥をリゼはたしなめるが、善弥はどこ吹く風だった。


「どうする⁉」

「そうですねぇ」


 善弥は少しだけ考える素振りをしてから、手綱をリゼに押し付けた。


「取り敢えず少しの間だけ、手綱を握っていてください」

「ちょっと⁉」


 戸惑うリゼをよそに、善弥は馬の上で反転。背後に向き直る。

 追手の巨漢と目が合った。

 無機質な冷たい目がそこにある。敵を殺すことに躊躇を覚えず、仕事として人を殺せる。そういった類の人間がする目。

 自分と同じような目だ――と善弥は思った。  

 蒸気馬が迫ってくる。

 善弥は馬の背を蹴って跳んだ。


「ムッ⁉」


 追手の巨漢が目を見開く。

 善弥は蒸気馬の上へ飛び上がり、勢いのままに大刀で巨漢に向かって斬り付けた。

 巨漢は咄嗟とっさに身体を捻って、善弥の斬撃をかわした。

 善弥は蒸気馬の頭へ着地するや否や、巨漢が反撃に出るよりも早く背後へ跳んでリゼの乗る馬の背へ戻る。

 巨漢が鼻を鳴らす。


「面白い攻撃だったが、仕留め損なったな!」

「いいえ――僕の勝ちです」

 

 言うが早いか、直ぐに巨漢の乗る蒸気馬に異変が現れた。

 急にガクガクと挙動がおかしくなる。


「ぐっ――クソ‼」


 巨漢がそう叫ぶのと、蒸気馬が倒れるのと、一体どちらが早かっただろう。

 ついに蒸気馬の挙動が完全におかしくなり、バランスを保つことができず、蒸気馬は派手に倒れた。

 巨漢は落馬し、地面をゴロゴロと転がる。


「ふぅ……ようやく撒けましたね」


 一息つく善弥。

 リゼは呆気に取られた表情で、善弥を見た。


「今、何をしたの?」

「ん? ああ。右手で斬り付けた時に、左手で小銭を蒸気馬の関節部に投げ込んだんですよ。もったいないとは思いましたが、他に投げつけるような物がなかったので」

「……!」

「蒸気馬は自動人形の一種――つまり歯車仕掛けで動いているんでしょう? なら異物が混入すれば、まともに動かなくなると思ったんですよ」


 リゼは改めて驚きの表情で善弥を見る。

 そも蒸気馬は移動用の自動人形だ。簡単に壊れるようでは、使い物にならない。そのため、関節部も異物が混入しづらい構造になるよう設計されている。

 唯一狙えるのは前足の付け根、その背中側にある肩甲骨の部分。脚を動かす構造の問題で、そこだけは関節部の隙間が大きくなり易い。

 だが、そこは乗り手の陰に隠れている。


 ――だから一度斬り付けたのだ。

 相手に身を捻って躱させることで、その隙間を露出させるために。

 善弥がどれだけ蒸気馬のことを理解した上で動いたのかは分からない。だが、あのわずかな時間で蒸気馬の弱点を見切り、的確にそこを突いて見せたのはまぎれもなく事実である。


 剣術や体術だけではない。

 その場の場で最善手を選ぶ判断力、そしてそれらを実行に移す技術と決断力。

 どれをとっても並みはずれている。


(一体何なのこの人?)


 リゼは知らず知らずのうちに善弥を見つめていた。

 善弥はリゼの視線に気付くと微笑む。

 修羅場をくぐり抜けたばかりとは思えないほど、穏やかな顔で。


「もう少し走って完全に撒きましょう。しっかり掴まっていてください」


 二人を乗せた馬が、速度を上げた。

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