第一章 微笑う人斬り Ⅱ
二人が向かったのは、流行りの牛鍋屋。
文明開化以降、肉を食べる食文化が一般化してきており、中でも牛鍋(すき焼き)は庶民のご馳走だった。
「良く食べるわね」
「そうですか?」
善弥の前には特大に盛られたご飯と肉の皿。
この笑顔の青年は、柔和な顔に似合わず図々しい性格をしているようで、店に入ってから既に何度もおかわりを繰り返していた。
細身の身体からは想像もできないほど、善弥は肉と米を詰め込んでいる。
「言ったでしょう、何も食べてなかったんですよ」
『空イタオ皿ハ、オ下ゲシテヨロシイデショウカ?』
横合いから声をかけられた。肉声ではなく電子音で。
給仕の恰好をした
人の姿を模したおり、簡単な作業や受け答えができる。
内燃機関とゼンマイやバネで動くこの自動人形は、大英帝国で発明され、日本にも広く流入している。
「構いませんよ」
善弥は空いた皿を自動人形の持つお盆に乗せた。
カチャカチャと歯車が嚙み合う音がして、自動人形が皿を持って厨房へと戻っていく。
肉を食い、自動人形が給仕をする――時代の移り変わりを強く感じる光景だ。
「まぁこっちは危ないところを助けてもらったから、これくらいなら構わないけど」
「ありがとうございます……ええっと」
善弥が口ごもる。
「そう言えばまだ名乗ってなかったわね。私はリーゼリット・アークライト。大英帝国から来たの。あなたは?」
「僕は鷹山善弥っていいます」
「タカヤマゼンヤ――善弥ね」
金髪の少女、リーゼリットはたどたどしい発音から、すぐに流暢な発音で善弥の名前を呼ぶ。
そうだ。あまりにも自然に話していたから忘れていたが――
「リーゼリットさんは随分と日本語が上手なんですね」
「父が学者で小さいころから色んな学問の勉強をしたの。その時に日本語も習ったから」
なんて事のないようにリーゼリット。
「それとリーゼリットって言いづらいでしょ? リゼでいいわ」
「それじゃリゼさん」
善弥は言い直す。
「何でわざわざ日本へ?」
「別に。ちょっと観光よ」
「一人で、ですか?」
「……そうよ」
リゼは顔を逸らした。
「女性の一人旅はまだまだ危険だと思いますけど」
「それは……まぁそうね」
それこそさっきまで筋者の男たちに絡まれていたのだ。
近代化著しい日本であるが、明治9年――御一新から十年と経っていない。国の転換期、技術進歩の過渡期にあるこの国の治安は、まだまだ良いとは言えない。
むしろ激しい世の移り変わりに乗り遅れた者たちの心は荒み、徳川家が君臨していた幕末以上に陰惨な出来事も増えているように感じる。
「誰かこの国にお知り合いや頼れる
「いいでしょう別に。私はこの国でやらなくちゃいけない事があるの!」
大きなお世話だと言わんばかりに、リゼが声をあげる。何やら事情がありそうだ。善弥が重ねて疑問を口にしようとした。
と、その時だった。
店の戸が開き、人相の悪い男たちが入ってくる。
肌の色が白く、彫りが深い――皆西洋人の男性だ。黒い紳士服を着ていて、胸にはW&Sの意匠が入ったバッジを付けている。
物々しい雰囲気だった。
「ッ――!」
黒服の男たちを見て、リゼが息を呑んだ。サッと血の気が引いて顔色が変わる。
それを善弥は見逃さなかった。
「……単刀直入に聞きます。追われてるんですか、リゼさん?」
「……ええ」
入口で店員と押し問答をしながら、黒服の男たちは店内を舐めるように見回す。
リゼを見つけ、店員を押しのけて、こちらのテーブルに向かってくる。
「捕まりたくないですよね」
「当たり前でしょ」
「じゃあ」
右手で脇に置いた大刀を掴む。左手は手ぬぐいを添えて、鍋を持つ。
(もったいないが仕方ない)
「逃げましょう」
男たちが善弥とリゼの前まで来た。
その瞬間、善弥は鍋の中身を男たちに向かって投げつけた。
煮えたぎった鍋の中身が、先頭にいた男にかかかる。
先頭にいた男は悲鳴を上げた。
他の男たちも善弥の思わぬ行動に面食らう。
その隙をついて、善弥は鞘に納まったままの大刀で、瞬時に男たちを殴り倒した。
鈍い音がして男たちが倒れる。頬を張られ、歯が折れた者もいるかもしれない。
「行きましょう」
善弥はリゼの手を掴むと、店の入口から外へと走りだした。
「(クソッ! 追え!)」
「(逃がすな!)」
「(あの野郎ぶっ殺してやる!)」
後方で男たちが口々に何やら叫んでいる。英語なので善弥には何と言っているか分からないが、怒っている事だけは分かる。
店の外にも黒服の仲間と思わしき男たちが控えていた。
(いざという時の為に、後詰めもいたのか。本気で捕まえにきてるなぁ)
後詰め男たちが何事かと店から飛び出てきた二人を見るが、何か行動を起こすよりも早く善弥が動く。
鞘入りの大刀で脳天に一発。
男の一人が仰向けに転がる。
「リゼさん走って」
善弥はリゼの手を引いて走った。
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