明治二刀剣客蒸気奇譚《微笑う人斬りと電脳の少女》

十二田 明日

第一章 微笑う人斬り Ⅰ

 明治9年3月の東京。

 薄気味悪い路地裏に絹を裂くような悲鳴が響くのを、鷹山善弥たかやまぜんやは確かに聞いた。


「……ん?」


 善弥は悲鳴の聞こえた方へ顔を向けた。当世の若者らしい散切ざんぎりの髪が揺れる。顔立ちはいわゆる童顔――細めた目が猫のようで、柔和な印象だ。

 着物袴にワイシャツという格好をしていて、一見すると書生のように見える。だがそんな雰囲気を裏切るように、腰に差した大小の刀がカチャリと硬質な音を立てる。

 穏やかな風貌ふうぼうと腰の刀の無骨さが、どうにもちぐはぐな男だった。


 善弥は悲鳴の聞こえた方へ足を進める。

 下町の入り組んだ路地裏を少し進むと、異様な光景を善弥は見た。

 一人の少女がガラの悪い男たち――恐らくは筋者すじものだろう――四人に取り囲まれている。

 それだけならまだ珍しくはない。

 問題は彼らが取り囲んでいるのが、金髪の少女だった事だ。


 少女が怯えて震えるたびに、頭の両側で束ねられた金色の髪が広がり、陽光を浴びてキラキラと輝く。束ねた根元を黒い金属のような光沢を持つ髪飾りでまとめてあり、それがより一層少女の艶やかな髪を際立たせていた。

 すっと通った鼻梁びりょう、透き通るように白く滑らかな肌や桜色の唇を備えた顔は、恐怖にひきつっていても、なお美しい。

 着ているドレスの落ち着いた色味が、上品な印象に拍車をかけている。

 まるで職人が丹精たんせい込めて作り上げた人形のようだった。


 その美しさに、善弥は一瞬目を奪われた。自分でも気が付かないほど、ほんの一瞬

だけ。気付けば善弥はまた一歩、路地へ踏み入れていた。 


「離して!」


 金髪の美少女が声をあげる。日本語だった。


「へっ、大人しくしろ」


 取り囲んでいる男の一人が、少女の腕を掴み上げる。

 少女は逃げられない。


「離したらあげたらどうですか?」


 善弥は間の抜けた声で言った。


「あ?」


 男たちが振り返る。  


「彼女、離してって言ってるじゃないですか」


 にこやかな顔のまま、善弥はもう一度言う。


「何だてめぇ?」

「ただの通りすがりですよ」


 男たちは首をひねった。

 善弥の言葉には凄むような響きが全くない。

 チラリと善弥の腰――刀に目をやる。


「けっ、おおかたお節介な士族様ってところか」


 一人の男が善弥に歩み寄った。


「もうてめぇら侍の時代は終わってんだよ。てめぇみたいな若侍にビビりゃしねぇ」

「うーん、別に脅してるわけじゃないんですけどね。ただ女ひとりを男四人で取り囲むって、何だか格好悪いなぁ……と」

「――舐めてんじゃねぇぞこのガキぁッ!」


 男が善弥に掴みかかった。 

 掴みかかろうとする手をするりと躱し、逆に善弥が男の腕を掴む。

 体を捌く勢いで、男を引き込みながら足を払った。

 たちまち男の体が宙を舞う。


「なッ⁉」


 男たちが予想だにしていない展開に戸惑う。

 その隙に、善弥は先手を打って動いた。

 少女の腕を掴んでいる男の腕。その手の甲のツボを指圧する。


「ぎゃっ!」


 少女の腕を掴んでいた男は、痛みにうめく。

 そのまま腕をひねり上げて、下へと落とす。

 二人目の男も、あっさりと転がった。

 善弥は残りの二人へと向き直る。位置としては、少女と男たちの間に割って入った形だ。


「野郎!」


 残った二人のうちの一人、背の低い男が懐からドスを抜いた。

 刃渡り十五センチ程の刃物だ。

 ダッ! と地を蹴って、腰だめに構えて突いてくる。

 善弥は刀を抜かなかった。

 ドスの切っ先をそらしつつ、納刀したままの状態で、腰の刀を前に突き出した。

 刀の柄頭をドスを抜いた男の脇腹に叩き込む。


「う……ぐっ!」


 うめき声をあげて倒れる男。


「……こりゃあ驚いたぜ」


 最後に残った男が言った。

 男たちの中では親分格の男なのだろう。

 長身に派手な色の着流しを着ていて、血走った眼で善弥をにらみつけている。喧嘩沙汰で出来たのだろうか、頬に走る斜めの傷が、強面な顔になお一層の箔をつけている。

 筋者らしい太々ふてぶてしい態度と表情が印象的だった。


「ただの優男やさおとこかと思えば、中々やるじゃねぇか」

「僕の実力が分かっているのなら、引いてもらえませんか?」

 

 事もなげに善弥は言った。


「抜けたツラして、好き放題に言いやがる。俺らみてぇのは舐められたら終わりなんでな。そう易々と引き下がれるかよ」

「ヤクザさんも色々大変なんですね」

 

 善弥は顔色一つ変えない。

 あおっているのか。虚仮こけにしているのか。

 全く表情から読めなかった。


(ったく、一体何なんだこのガキは……!)


 若干の薄気味悪さを感じながら、親分格の男は懐に手を突っ込む。

 抜いた得物はドスではなく、拳銃だった。

 六連発のリボルバー式拳銃。


「いくらてめぇの腕が立とうが、こいつの前では形無しだろ?」


 善弥に狼狽うろたえるような素振りはなかった。

 ただ、

「うーん」

 と困ったような顔をする。


「出来れば刀を抜きたくはないし、この辺りで流血沙汰は起こしたくないんですけどね」

「あん?」

「――命の取り合いをする覚悟、あります?」


 一瞬、その場の気温が低くなったようだった。


「はっ! 上等――」


 親分格の男は引き金を躊躇なく引いた――否、引いたつもりだった。

 しかし発砲音はしない。

 ボトッと音を立てて、男の右手首が拳銃を握りしめて足下に転がっていた。


「ぁぁ……ぐぁぁぁあ!」


 気付けば刀を抜き放った善弥が、男のすぐそばに立っていた。

 親分格の男は信じられなかった。

 善弥との距離は、5メートルは離れていた。それを一瞬で――それこそ指が引き金を引くよりも速く、善弥は抜き打ちで親分格の男の右腕を切り落としていたのだ。

 あざやかな居合の業である。


「うぐぅ……」


 親分格の男は、右腕を押さえて膝をついた。傷口からぽたぽたと血が流れる。


「命までは取りません。早く逃げていいですよ」


 親分格の男は無言で歯噛みし、善弥を睨む。


「あれ? どうしたんですか? 早く止血しないと、本当に死んでしまいますよ」


 筋者の男たちは、いよいよもって寒気を感じた。

 善弥は心底不思議そうな顔をして、微笑んでいる。

 穏やかな、聞き分けのない幼子に話しかけるような、そんな笑顔で。

 不気味だった。

 あまりにも無垢むくな笑みと、何の迷いも逡巡しゅんじゅんもなく、白刃を振るって人の腕を切り落とせる冷酷さ。

 それらが渾然一体となっている鷹山善弥という存在に、男たちは恐怖した。


「に、逃げろ!」

「うあああぁぁ!」

「ば、バケモンだ!」


 蜘蛛の子を散らすように、男たちは逃げて行った。


「化け物だなんて、失礼な人達だなぁ」


 間延びした声で呟く善弥。

 懐から懐紙を取り出し、刀に付着した血糊を綺麗にぬぐうと、パチリと鞘に納める。


「大丈夫ですか」


 善弥は少女に向き直った。

 少女は善弥の背後でへたり込んでいた。


「……あ、ありがとう」


 か細い声で礼を言う少女。

 腰が抜けてしまったのだろうか。ガクガクと足が震えている。

 善弥が手を差し出すと、少女はビクッと肩を竦ませた。


「…………」

(怖がらせちゃったか)


 善弥は内心でひとりごちる。

 善弥には人の気持ちが分からない。昔からそうだ。

 目の前で平然と人の腕を切り落とした男に手を差し出されても、感謝より先に恐怖が勝つ――それがイマイチ分からないのだ。


 もしかしたら、もっと他にやりようがあったのかもしれない。

(さて、どうしたもんか……)

 怯えたままの少女の前で、善弥が困り果てていたその時。


 ぐうぅぅぅう――と間の抜けた音がした。


「へ?」

「……あ」


 少女は呆気にとられた顔をし、善弥は恥ずかしそうに頭を掻く。

 間の抜けた音の正体は、善弥の腹の音だった。


「いや~お恥ずかしい。昨日から何も食べていなかったところで、動き回ったものだから、ついお腹が……」

「――プッ」


 緊張が解れたのだろうか。少女はこらえ切れないという風に吹き出した。

 カラカラとさっきまでの怯えが嘘のように笑う。


「フフッ……あなた変わってるわね」

「よく言われます」

「さっきはごめんなさい。突然の事で、ちょっと戸惑っちゃって」


 少女は善弥の手を取って立ち上がる。


「さっきはありがとう。助けてくれて」


 にこやかに微笑む少女。その笑みはまるで絵画のように美しい。


「何かお礼がしたいわ」

「礼に及びませんよ――と言いたいところですが」


 善弥は気の抜けた笑顔のまま言う。


「お腹と背中がくっつきそうでして。何かおごってもらえませんかね」

「日本には『武士は食わねど高楊枝』って言葉があるんじゃなかった?」

「『腹が減っては戦はできぬ』とも言いますよ」

「貴方って本当に変わってるわね」


 少女は可笑しそうに笑った。


「いいわ、お礼にご馳走してあげる。行きましょう」

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