第二章 新時代の魔導書 Ⅱ

 十二時を回った。

 街から少し離れた工場の周辺は、街灯の明かりもなく暗闇くらやみが広がっている。

 工場からやや離れた雑木林に潜んでいた善弥ぜんやとリゼは、行動を開始することにした。

 暗闇の中を二人はつまずくこともなく、真っ直ぐに工場へ向かう。


「よくこんな真っ暗な中でも普通に歩けるわね」


 リゼが感心したように、かたわらの善弥を見る。


「昔『闇稽古やみげいこ』といって、夜中に山で立ち会う修行をしたことがありまして。それ以来夜目が利くんですよ」

「日本の侍はそんな訓練までするの?」

「剣術を生業なりわいにする者はそうでした。闇討ち対策です」


 江戸の中頃から竹刀による試合稽古が隆盛りゅうせいを極め、剣術と言えば道場で立ち会う事をもっぱらとする向きがあった。

 だが、剣術とは武術だ。

 襲い掛かってくる者が正々堂々と仕掛けてくる事など、まず実戦ではあり得ない。ならば夜間にいきなり襲われた時の為の備えをするのは、剣術使いとして当然だった。


「善弥はやっぱり凄いわね」

「むしろ僕は、その眼鏡を作ったリゼさんの方が凄いと思いますけど」


 リゼは善弥のような訓練をしていない。

 にもかかわらず、闇夜を善弥と一緒に平然と動けているのは、掛けているゴーグルのお陰だった。

 一見飛空士がつけるような普通のゴーグル。実は暗視機能のついていて、わずかな光源を増幅し、夜間でも物がはっきりと見える。

 リゼの作った発明品の一つだという。


「これくらい、たいした発明じゃないわ。既存(きそん)の技術を組み合わせただけだもの」


 それが出来るだけでも、相当凄いと善弥は思うのだが、リゼの基準ではたいした事はないらしい。

 小声で話すうちに、工場の塀の近くまで来ていた。後ろ暗さを隠すかのように、工場の塀は高い。五メートル程の高さで、善弥の健脚で飛び上がっても、乗り越えるのは不可能だ。


 リゼが鞄から新しい発明品を取り出す。

 拳銃――というよりも短いマスケット銃のような形状をしていて、銃口からはいかりのような鉤爪が覗いている。


「それが例の」

「ええ、ワイヤーガンよ」


 銃身と握りの間あたりから、小さなボンベのようなカートリッジをセットする。

 リゼは狙いを定めて引き金を引く。

 ボシュッとくぐもった小さい音がして、鉤爪が射出される。鉤爪は塀にがっちりと食い込み、鉤爪から銃口に向けてワイヤーが伸びる。


「上手くいったわ」

「これも凄い発明品ですね」

「それがそうでもないのよ。ぶっちゃけ失敗作」

「そうなんですか?」


 潜入工作にはうってつけの優れた発明品であるように思うが。


「これ音が響かないように、火薬じゃなく蒸気式のカートリッジにして、消音器しょうおんきまで付けたんだけど――」


 だろうなと善弥は思う。

 さっきのワイヤーの射出音は非常に小さかった。火薬式の銃を改造しても、あれ程の消音性能は出せないだろう。


「――そこまでが限界で、巻き取り機能を付けられなかったのよ」

「ん……それはつまり」


 人力でこのワイヤーを伝って、垂直な壁面を登らなくてはいけないということか。


「私一人だとこの塀を超えられなかったから、善弥がいてくれて本当に良かったわ」

「本当に一人のままだったらどうするつもりだったんですか」


 善弥は呆れ顔をした。

 リゼは工学、科学に優れた頭の良い娘ではあるが、こういう方面の頭は足りていないようだった。

 リゼが使っているという実験用の革手袋を借りて、ワイヤーを握る善弥。

 善弥の首と肩にリゼの腕がまわる。背中にリゼの体温を感じながら、善弥は萬力まんりきのような握力でワイヤーをたぐった。


 リゼを背負ったまま、壁面をよじ登る。

 5メートル程の塀を、ひと一人背負って善弥は易々やすやすと乗り越えた。今度は塀の内側に向けてワイヤーを垂らして下る。


「潜入成功ね」


 塀の中には背の高い建物が幾つも並んでいる。目指す研究棟はこの中のどれかだ。

 やや疲れた善弥にリゼが言う。


「ここからは私に任せて」


 今度はリゼが先導した。

 暗視ゴーグルと自身の記憶力を頼りに、先を進むリゼ。

 近くの建物を目指す。煉瓦造りの壁の所々に、ガラス窓がある。

 その中の一つを選び、リゼが近づく。

 窓のガラスを音が出ないように慎重に切り取り、建物内に潜入する。


 どうやらここは、物置の一つのようだ。忍び込んだ先で、いきなりここの警備員と鉢合わせするような事がなくて、ホッと胸をなでおろす善弥。

 不満そうなジトッとした眼で、リゼは善弥を見る。


「何か私のことあなどってない?」

「……そんなことはありませんよ」

「何で即答しないのよ」


 唇を尖らせるリゼ。


「まぁ良いわ、このまま私が先導するからついてきて」


 リゼは物置部屋のドアに張り付き、廊下の音を確認してから、慎重にドアを開けて廊下に出る。

 ここからは巡回中じゅんかいちゅうの警備員に見つからないようにしつつ、目的の研究棟まで進まねばならない。工場内を警備員が行き来しているが、その網目あみめうように、リゼは進む。

 気づけばあっという間に、研究棟まで来ていた。


「凄いですね」


 警備員の巡回ルート。建物の構造。

 全て覚えているというのは、本当だったようだ。


御見おみそれしました」

「やっぱり侮ってたんじゃない」


 言いながらリゼは進む。

 そしてとうとう目当ての研究室の前まで来た。


「ここが……」

「ええ、ここに『手記』がある」


 大きく頑丈な扉に、機械式の鍵が施されている。


「事前調査の通り、ここだけはかなり警備が厳重みたいね。限られた人間が持つ、カードキーじゃないと入れない仕組みだわ」

「開けられます?」

「もちろんよ」


 リゼが手早く工具を取り出すと、カードキーを差し込む機械の周辺、壁を調べ始めた。


「当たり《ビンゴ》」


 壁の一部分が外れるようになっていて、そこに基盤やコードが繋がっている。

 リゼは自前の端末を基盤に接続。

 小さなキーボードをリゼの細い指がリズミカルに叩く。しばらくリゼの端末から打鍵の音だけが響く。

 数分で研究室の扉が開いた。


「お見事」

「さあ、入りましょう」


 研究室の中に入る。

 明かりがついていないので暗い。だが、何も見えない訳でもない。

 壁一面に幾つものモニターがついていて、それが煌々こうこうと光っている。モニターには数字が並び、グラフと思わしき棒線が複雑な軌跡を描いていた。


「解析用のコンピュータだわ。それも最新機種がこんなに」


 リゼも驚いている。

 そしてそのコンピュータ群の向こう。

 とある装置にセットされたそれを、二人は目撃した。


「アレだわ」

「――あれが『手記』」


 いくつものコードが繋がれた機械の上に、それは鎮座していた。

 一般的なサイズの書籍と同じくらいの大きさ。

 薄い金属のプレートに不規則に穴が空いている――パンチカードだ。それらが革張りの本の背表紙でまとめられている。


 機械は『手記』を一ページ一ページめくり、そのページの穴の位置から情報を読み取る。

 ただの情報、司令手順の組み合わせに過ぎないはずのソレは、まるで怪しげな魔力を秘めた魔導書のようなおもむきをしていた。


「ついに見つけた……」


 リゼの声が振るえる。

 ぼうっとした声で、灯に群がる虫のようなフラフラとした足取りで、リゼは『手記』に引き寄せられる。

 不意に善弥の第六感が危機を告げた。


「リゼさん待って!」

「え?」


 一瞬遅かった。

 リゼが『手記』に向かって手を伸ばそうとしたその瞬間、警報が鳴り響いた。

 驚いて動きが止まるリゼを、善弥が素早く引き寄せた。ほぼ同時に頑丈な鉄柵を幾重にも組み合わせた防壁が天井から落ちてきて、『手記』を隔離する。


「ああ⁉」

「――どうやら気付かれたみたいですね」


 非常に不味い状況だ。


「取り敢えず逃げましょう」

「そんな!」


 リゼが反対する。


「せっかくここまで来たのに!」

「あの鉄柵を見たでしょう、こうなったらもう手出し出来ません」

「それは……」

「ここで見切りを付けて逃げ出しても、生きていればまた機会はあります。でも、捕まって殺されたら、もう二度と『手記』を破壊することは出来ません」

「…………」

「どうか引き際を見誤らないで」

「……分かったわ」


 リゼが頷く。


「逃げますよ」


 善弥はリゼの手を引いて、研究室から飛び出した。

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