九年前からの刺客と、約束
「好きだよなって言われて黙んなよ!」
叫ぶツカサの顔がみるみる赤く染まっていく。
「くっそ!また照れてきた……」
ツカサがしゃがんで、ソファの背もたれの裏に隠れた。俺だって恥ずかしいのだが、俺には隠れる場所がない。今の状態ならばツカサから隠れていると言えなくもないが。
「あー、もういい!」
ツカサが叫びながら、勢いよく立ち上がる。
そして勢いはそこで止まった。頬を染めながら恥じらうように目を細めて。瞳をゆっくりと左右にうろつかせて。アスタリスクに来た頃のツカサを彷彿とさせる奥ゆかしさだ。頬が緩みそうになるが、気を引き締める。
「言いづらいことでもあるの?」
単刀直入に聞く。昨夜のことを考えると、言いづらいことほど早めに聞いておくべきだ。逃がさない方が良い。
俺の言葉を受けて、ツカサはふうっと重い息を吐いた。それからややあって、片手をペインターパンツのポケットに突っ込み、親指と人差し指でつまめる、小さな何かを取り出した。
「……これ、覚えてるか。九年前のだけど」
ツカサが俺の眼前に、切符に似た形状の紙切れを差し出した。紙切れにはお世辞にも上手いとは言えない字でこう書かれている。
「『なんでもいうことをきく』……」
これは俺の字だ。確か、ツカサがアスタリスクに来てから最初の誕生日に渡したもののはずだ。この頃のツカサはまだ自己主張が苦手で、欲しいものをはっきり言ってくれなかった。何を聞いてもついさっきのようにもじもじとして、俯いて頬を染めるだけで。
(これだったらなにか言ってくれるかなと思って渡したんだよな……)
ツカサは十枚綴りのそれを一枚だけ使って『ゆうごさん、あたま、なでてください』とお願いしてきた。
「コレ、有効期限、無いよな?だから、今日使う」
今更コレを出されることになるなんて、あの頃は夢にも思っていなかった。ツカサならそれ以上は使わないだろうと考えて、それきり存在を忘れていた。そんな誕生日プレゼントが、九年の時を経て俺の前に再び現れた。
ツカサはすっかり黄ばんでしまっている紙切れを俺の胸に置いて、自分のシャツの裾を強く掴んだ。なにか恐ろしいものに耐えるようにぎゅっと目を閉じて、それから口を開いた。
「……祐護さん、今日は一緒に風呂に入ろう。朝みたいに迫ったりしないから、お願い!」
大きな声に反してツカサ自体は弱々しく、守るべき存在のように小さく見えた。
「お願い……!」
ツカサと一緒に風呂に入らなくなったのも、一緒に寝なくなったのと同様に三年前からだ。小学校を卒業する頃だし、もうそろそろ一人で風呂に入ったり寝るべきだろうとツカサに言い聞かせて、それで終わらせた。ツカサもその頃には今のような溌剌とした性格になっていたので、少しは抵抗したが最終的には折れた。
その頃の俺はすでに、一緒に風呂に入ることにも、一緒に寝ることにも特別な意味があることを理解していた。それら二つをやめたのは、ツカサがそういったことを知ったときのための配慮でもあった。
そして現在のツカサは、それらの特別な意味をなんとなく理解し、学んでいる最中のようだ。
(それなのに、目の前のツカサの言動からは俺に対する欲が一切見えない……)
その時が来たら、今朝のように暴走することもあるかもしれない、けれど。
「わかった、今日は一緒に入ろう」
「入ってくれるの?」
心細そうに眉尻を下げて、目を開いたツカサが俺の表情を伺う。
「九年前のものでも、約束は約束だから」
俺も約束を守る。だからツカサも約束を守ってくれると信じて、俺は彼のお願いを聞き入れることにした。
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