後ろめたい喜びと、君想う傷

「祐護さん、どうした!?……って、また指切ってるし!」


 観念して声のした方に顔を向けて目を開く。最初に見えたのは驚いた表情のツカサだった。それは驚くだろう、一人の人間が昨日、今日で指を合計三本も切ったのだから。

 

「祐護さん、じっとしてて良いよ。消毒液とバンドエイド、今出すから」


 あまりの事態にツカサも余裕をなくしたのか、まともな方向へ話が進んでいく。ツカサは食器棚の引き出しから消毒液とバンドエイドを持ってきて、ワークトップに置いた。

 

「祐護さん、切った指、貸してくれ」


 ツカサが俺に手を差し出す。指を舐めると言い出したときと同じように、至って真剣な表情だった。


「……舐めたりしない?」


 じっと、ツカサの目を見る。強い警戒心を前面に出して、わずかに混じった異質な感情をその背面に隠しながら発言する。

 

「今そういうことすると祐護さんの更なるドジを誘発しそうだからやめとく」


 ツカサからは至極まともな返答がきた。


 何やら失礼なことも言われているが、実際滅多にやらないようなミスなのであまり強く言い返せない。今日はこれ以上、喧嘩に発展しそうなことは言いたくないという考えも頭にあった。


「ドジとかではないよ!ち、ちょっと色々考えてただけだから!」

 

 ツカサのごく普通の家族らしい言葉に一抹の寂しさを覚えながらも、自分がドジであることだけは否定する。

 

「言い訳はいいから指出して。消毒するから」


 ツカサが俺の手を取って、シンクの上で切り傷に消毒液を多めにかけていく。消毒液はツカサの指まで濡らして、シンクに流れていった。

 

「いっつぅ……!」


 ツカサは涙目になった俺を見て、うっすらと嗜虐的な笑みを浮かべる。

 

「痛くされたくなかったら、刃物の扱いにしっかり気をつけろよな!」

 

 幼い頃は俺がちょっとケガをするだけで泣きかけていた子が、今はこれだ。それでも俺への関心の籠もった言葉に、ほんの少しだけ、奇妙な、後ろめたいような喜びを感じる。

 

 続けてツカサは切ってしまった人差し指と中指それぞれに、実に器用に丁寧にバンドエイドを巻いていった。自分で巻いたときとは大違いの完成度だ。歪みや貼り直しが一切ない。


 ツカサは最後に俺の両目の端に浮かぶ涙を親指で拭ってから、消毒液とバンドエイドを片付けていった。擦られた両目の端が、必要以上の熱を持った。

 

「ってか祐護さん、もしかして、指、舐めてほしくて切った?」


 引き出しを閉めつつ、いつも通りのからかいを繰り出してきた。先ほど感じた後ろめたさを伴う喜びが、ティースプーン一杯分、増量する。


「ばっ、バカ!そんなわけ!」


(……そんな、わけ。そん、な、わけ……)


 そんなわけない、とはっきり言い切りたかった。けれどツカサに俺の指を舐めるのかを確認したときに、俺はわずかに、ほんのわずかにからかわれることに期待してしまっていた。


 自ら、後ろめたい喜びを得ようとしていた。

 

(そんなの、家族じゃない。さっきのツカサの言葉は、家族として正しかった、正解だった)

 

 それなのにツカサの真っ当な対応に、ほんの少しの寂しさを感じてしまった。

 

「……とにかく、指がどうこうはいいよ。手当てしてくれてありがとう、ツカサ」

 

 真っ当な家族として、真っ当なお礼を言う。ごく普通の家族の有り様の中に、自分を納める。

 

(なんでそれが寂しいんだよ)


 バンドエイドだらけの指をじっと見る。その向こうにあるのはすべて、ツカサのことで上の空になった自分の不注意でできた傷だ。

 

(何をやっているんだよ。何を求めているんだよ、俺は)


 シンクの前に移動したツカサが、俺の血がついた包丁を洗っていく。

 

「祐護さんは部屋で休んでなよ。その状態の人に料理を手伝わせるのはちょっと、アレだし」


 そう言われても俺は部屋に帰れなかった。なにができるとははっきり言えない。それでもツカサの誕生日ケーキをツカサ一人で作らせるのは嫌だった。

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