楽しいケーキ作り~首に生クリームがついた場合~
食後にはほんのりと暖かい、ダージリンのセカンドフラッシュを飲んだ。
「おいしい……」
ダージリンの味はいつもの紅茶といった感じで、なんとなく落ち着く。渋みがなくて、すっきりしていて、ほんのり甘くて。全身を温める、不思議な感覚がして。
「ツカサ。重かっただろうに紅茶まで用意してくれてありがとう」
普段はダイニングキッチンで食事をするし、ツカサは食後に紅茶を淹れようと提案してくる。それが今回はわざわざ俺の部屋まで食事と一緒にティーセットを運んできてくれた。
「それなんだけど、最近の祐護さんは俺が淹れた紅茶を飲むより、俺が紅茶を淹れる姿を見るのが好きになってきてるみたいだからさ」
どんぶりを持ち、レンゲを握るツカサが、したり顔で語る。横顔を盗み見ていたことにもおそらく気づかれているのだろう。今度からは盗み見ることのないように、自分を律しなくては。
「だから目の前で紅茶を注いであげたら、祐護さんも元気出るかなって」
俺が懊悩する横で、ツカサは照れ笑いして、明るい声でそんなことを簡単に言ってくる。どちらかといえば、俺の体調を回復させたのはおじやの方だった。ツカサが俺のために紅茶を淹れてくれる姿は、むしろ……。
(むしろ、そわそわさせてきた)
正直な気持ちを思考が享受する。しかしそれを素直に口にするほど、今の俺は愚直でもなかった。
ツカサの誕生日と俺の不調を考慮して、今日は二人とも家事をおやすみすることが決まった。
そんなわけで今、俺とツカサはダイニングテーブルの前で椅子を隣り合わせにして、生クリームを泡立てている。座っている俺がテーブル上のボウルを両手で固定して、立ったままのツカサがハンドミキサーでかき混ぜる。
(そういえばアスターぬいぐるみのラッピングを考えてなかったな。やっぱり袋かな。ふわふわの布のやつとか。)
今の俺とツカサの間に会話はない。強めの緊張と、ハンドミキサーの激しい回転があるだけだ。
(色は……緑が好きだよな、ツカサは。それにしても、色々と予想外のことがあったとはいえ、本当に今回は段取りが悪……)
「ひゃっ!!」
冷たくて柔らかいものが首にとんできた。少しずつ溶けて首筋をなぞるように垂れてきて、背筋がぞわぞわする。
「あ、や、ぁ……!」
我慢できずに、情けない声を漏らしてしまう。くすぐったくて、同時に得体の知れない不快感があって、首への刺激だけはどうしても苦手だ。早く拭い去りたい。
けれどボウルから両手を離すわけにはいかない。今の不調ぶりを思うと、片手だけでボウルを掴むのはどうしても不安だ。まだハンドミキサーは回ったままだし、ボウルに入っているのはツカサの誕生日ケーキの材料なのだ。自分の不快感よりも、そちらを守ることを優先したかった。
「ごめん、祐護さん!生クリーム飛ばしちゃった」
ツカサを見上げる。ツカサがハンドミキサーの電源を切ってから、人差し指を俺の首に伸ばしてきた。
「取るからじっとしててくれよ」
最近のツカサは目を細めて、俺を慈しむように微笑む。そのたびに引き込まれるような、気圧されるような不思議な感覚がして戸惑う。
「いっ、いいから!俺は首を拭くついでにイチゴ切っておくから、残りはツカサ一人でやって!あと少しって感じだし、大丈夫でしょ!」
ボウルから両手を離して、椅子が前後に揺れるほど勢いよく立ち上がる。ダイニングテーブルから離れて、シンクの近くに吊したタオルで首筋の不快感をゴシゴシと拭った。
(家族にクリームを指で拭われるくらいで何を動揺しているんだ、俺は!)
タオルを離してまな板の上の包丁を手に取った瞬間、俺が指を切ったときのツカサの発言が脳裏によみがえった。
(『指、なめてあげるから、動かないで』)
真剣に俺を案じる表情が、俺に優しく触れた手の温度が、俺をからかいつつも心配する声が。その時のツカサのすべてが、俺の全身で再生される。
ガコッ!
「いぃっつぅ!!!」
手から力が抜けて、包丁がまな板に落ちた。落とす直前に包丁を掴むべく動かした左手の指が二本切れ、血がにじんだ。痛い。それ以上に恥ずかしい。
(昨日は一本切って、今日は二本切るって……)
手本になるべき人間のはずなのに、そうなろうとしているはずなのに、何をしているんだ、俺は。
背後でハンドミキサーを置く音と、椅子を動かす音がした。程なくして、少し急ぐ足音。
(来ないでくれ、ツカサ!)
意味もなく、ぎゅっと目をつむる。そうしている間に、ツカサの足音は俺の隣に到達した。
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