ひとりぽっちのダービーのあと

 ゴール板の遙か向こうでようやくダービー馬キャロルアスターは失速し、停止し、ついには倒れるように寝転んだ。

 

「アスター!?」

 

 俺とツカサが駆け寄ると、アスターは大きな呼吸を繰り返しながら、大量の汗を流していた。青鹿毛のつややかな馬体がより一層輝いて見えた。

 

「ここに、兄ちゃん、いなかった……」


 神話の如き走りの先にも、求める兄はいなかったと知らされる。ツカサは汗が泡立っているアスターの首を抱いて、労るようにゆっくりと撫でた。ツカサの瞳は潤んで、泣き出す寸前だった。


「おれ、もっと、他のところに、兄ちゃん、探しに、行きたい!」


 ツカサの慈しみを跳ね返すほどの力強さを持って、息を切らしながらもアスターが叫んだ。細められたアスターの目元からこぼれる雫が汗なのか涙なのか、俺には判別できなかった。


「もういない、かもしれないのに?」


 対照的にツカサの声は震えて、今にも消えそうだった。


「そんなの、わかんないよ!わかるまで、探す!」


 この場でスペースが可能性を一番信じているのは明らかにツカサだった。神話の先に兄を見つけられなくても、アスターは希望を抱き続けている。そして俺は、そんなアスターに代償行動のようにまだ希望を託している。


 アスターはツカサの腕を解くように立ち上がり、確かな足取りで芝のコースを地下馬道へ向かって歩いていく。ツカサはデコボコの芝の上に座って、アスターの後ろ姿を眺めて震えていた。


「……俺たちも行こう」


 俺はツカサの手首を柔らかく掴んで上に引っ張り、立ち上がるよう促した。ツカサは俺を見上げて左目から一筋の涙を流した。


 泣かないで、という言葉が喉の奥でつっかえた。俺は言葉の代わりにツカサの前にしゃがんで人差し指で涙を拭う。次は右目からも涙が流れた。そちらも拭うが、止まる気配がない。

 

 俺は立ち上がって、ツカサに背を向けてもう一度しゃがんだ。ツカサは何も言わずに俺の背中に身体を預けて、耳元で静かに泣いた。俺の首を抱く腕の力が強くて、少し苦しい。けれど。

 

(今の俺がツカサにしてやれることなんて、それに耐える程度しかないんじゃないかな)


 そう思うから、何も口にせず足場を選定して、ツカサを危険な目に遭わせないようしっかり背負うことだけに集中した。地下馬道に入ったあたりで、ツカサが「おろして」と言い、俺の首に抱きつく力を緩めた。しゃがんでおろすと、ツカサはふらふらとした足取りで泣きながら歩き出した。

 

「ツカサ、無理するなよ」


「……祐護さんに負担ばっかかけてんのも、情けなくて嫌だから」


 先を行くツカサが鼻をすすって強がる。俺はツカサの隣に駆け寄って、二人で並んで地下馬道を歩いた。

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