かじられたリンゴ
アスターの帰りを待つ間に、ツカサが紅茶を淹れる。
「アスターがリンゴ好きだって言ってたから、今日はリンゴの香りな」
俺はツカサの隣で包丁を握って、リンゴのうさぎを作っていく係だ。
(ここに来た頃は包丁を見ただけで泣いてたんだよな、俺……)
あの頃はなぜか包丁がすごく怖かった。『あの人』も俺に本を渡すか、アニメや特撮などのDVDを見せている間に料理するなど、俺を包丁に近づかせないように気を配ってくれていた。
(紅茶を淹れるツカサを盗み見ながら包丁を扱えるようになったのも、成長なんだろうか)
チラリとツカサの横顔を盗み見る。ティーポットの蓋を閉じたツカサと目が合った。
「いっ!つうっ!!」
左手の親指にまっすぐな熱が走る。視線を落とすとそこから血が滲んでいた。
「何やってんの祐護さん!?」
(紅茶を淹れる姿を盗み見てたらこうなったとか絶対言いたくないんだけど……)
急いで包丁を置く俺を見て心配そうに眉尻を下げるツカサが、俺の手を掬った。
「指、なめてあげるから、動かないで」
割れ物でも触るように俺の手を扱いながら、至って真剣な表情で見上げてくる。
「何言ってるんだよ、まずは消毒だろ!?」
ツカサの表情に一切迷いがなくて、自分が間違っているのかと錯覚しかけた。
「そーゆー恋愛漫画が書斎にあったから参考にしたんだけど」
「それ、未成年が見ていいやつなのか!?」
「十五禁だから大丈夫だぜ!」
「だからって実践しようとするなよ!」
ツカサの手の中から自分の手を引き抜く。ツカサに任せちゃいけない。自分で消毒液とバンドエイドを探して正しい手当てをしなくては。
「消毒液とバンドエイドは食器棚の引き出しにあるはずだけど」
「わかってるなら最初からそっちにしてくれ!」
食器棚の引き出しを引っ張る。ツカサの言うとおり、消毒液とバンドエイドの箱が鎮座していた。
「祐護さん、座って。俺が手当てしてあげるから」
「また今度ね」
「何それ!ちょっと祐護さん!」
食器棚に向き合ったまま、自分で傷に消毒液をかけて、バンドエイドを巻き付ける。
「……祐護さんの意地悪」
拗ねた口調のツカサが紅茶の元へ戻る。リンゴのうさぎを一匹、ひょいっと摘まみあげてかじり始めた。
(先月の『少しずつもらっていく』といい、ツカサが俺のわからない方向に成長していってる気がする……)
ここに来たばかりの頃は俺がちょっとケガをするだけで泣きそうになっていたツカサが、今はこれだ。
見守るべきか、注意すべきか、その判断はまだできそうにない。
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