彼は待ってない

 全身に砂を浴びた俺たちは、交代でシャワーを浴びた。


 その前後にもツカサは馬の話しかしなかった。


 それを聞く度、喉が塞がるような感覚がして俺は困惑した。




 ムクロジの森を巡回してきた馬は、今は大人しくムクロジの下に座っている。


「おれはキャロルアスターっていうの。スペース兄ちゃんからはアスターってよばれてる」


 アスターはツカサが持っているバケツに口を突っ込んで、ごくごくと水を飲んだ。最初に要求されたのはビールだった。


 馬の体はアルコールの分解が早いらしいが、未成年のツカサの前で出すわけにはいかないので却下した。


「スペース兄ちゃんはキャロルスペースっていうの。ジューショー勝ってるけど、しらない?」


「ジューショーって何?」


「重い賞。競馬の特別な競争のこと」


 ツカサがバケツをおろして、感情を殺して説明する。


 ツカサは動物は好きだが、金銭の関わることは苦手だ。恐怖していると言った方が正しいかもしれない。


「わかったよ、ありがとう」


 隣に立つツカサに努めて微笑むと、ぎこちない微笑みが返ってきた。


「ねぇ、このおうちに、スペース兄ちゃんいないの!?」


「馬のお客さんはアスターが初めてだよ」


 アスタリスクは動物どころか昆虫もいない世界だ。肉などの食材は地下の黒板で入手できるため、家畜などを育てる必要もない。


 『あの人』曰く、人間以外の来訪者はこれまでにいなかったらしい。


「兄ちゃん、どこに行ったんだよ。こないだ急に出てきて、一緒に走ったのに……」


 アスターが急に尻尾を持ち上げる。


「走ってたらまた出てきてくれるかも!おれ、もう一回兄ちゃん探してくる!」


「いきなり全力は出さないで、ゆっくり速度を上げようね」


 アスターに注意すると、こんどは尻尾を左右に振った。


「キシュみたいなこと言うなよ!もー!」


 言うことをきく気はなさそうだ。アスターが立ち上がる。俺とツカサは早歩きで玄関へ逃げた。


「『閉じろ』」


 玄関ドアが緑の光を発し、ひとりでに閉まり始める。


 アスターは俺たちの行方など気にも留めず、土煙を上げて再びムクロジの森へ消えた。


 それとほぼ同時に『閉じろ』の命令が完了した。今回は砂埃を浴びずに済んだが、問題はそこではない。


 俺は震えるツカサの背に手を置いて、いたわるようにゆっくりとなでた。


「大丈夫、ここではお金は一切必要ないから」


 目を細めてうなずきはするが、ツカサの震えは止まらない。


 素早さを伴う轟音が遠くで翻って、玄関に向けて駆けてくる。


「バナナちょうだいバナナ!スペース兄ちゃん、バナナ好きなんだ!バナナがないからおれの前に出てこないのかも!?」


「ははっ、祐護さん知ってるか?馬って甘いものが好きなんだぜ」


 重くて分厚い玄関ドア越しでも聞こえるアスターの大声に、ツカサが腹を抱えて笑う。


 アスターの要求で笑顔になるツカサに胃が張るような感覚を覚えた。


「じゃあツカサはアスターの相手しててよ。俺はバナナ取ってくるから」

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