ただ君が居てくれるだけで

おっさん野球帽は家賃滞納により、長年住んでいたアパートを強制退去させられた。


家を追い出され、特にやる事もないので、取り敢えずおっさん伊達メガネの家に遊びに行く事にした。

おとさん伊達メガネはおっさん野球帽がアパートを追い出された事は知らなかったので、

ただ遊びに来ただけと思い、快く自宅に招き入れた。


「お前が家に遊びに来て、もう20時間経つぞ。俺もそろそろ寝たいから。帰ってくれないか。」

「寝てくれて構わないぞ、俺は気にしないから。俺も眠たくなったら勝手にここで寝るから。」

「そうか、分かった。鍵は開けっ放いでいいから、帰りたくなったらいつでも帰っていいからな。」


それから三ヶ月の時が経った。

「あれから三ヶ月経ったけどまだ帰らないのか?いい加減、帰ってくれ!」

おっさん伊達メガネはこの三ヶ月間の共同生活で、かつて経験した事が無い強いストレスを感じていた。

買っていた食べ物は勝手に食べるは、部屋は汚されるは、トイレは流さないは、排水溝はおっさん野球帽の抜け毛で詰まるは・・・

おっさん野球帽に対して、不満な所を挙げれば切りが無かった。

「おい冗談だろ?本気で言っているのか!?」

おっさん野球帽は驚いた表情で聞き返した。

おっさん野球帽は、一人暮らしの寂しさを誰よりも知っていたので、おっさん伊達メガネもこの三ヶ月間、生活を共にして、照れて口には出さないが喜んでいると、そう思っていた。

もし、家に帰ると言ったら泣いて引き留められると思っていたので、そうなった時は一生この家で暮らす覚悟をもしていた。

「1000円やるから、もう帰ってくれ!」

おっさん伊達メガネは切実に訴えた。

百害あって一利も無い寄生虫の様なおっさん野球帽にお金を払ってでも帰って貰いたかった。

おっさん野球帽はその1000円を受け取り、泣きながら住み慣れ始めて居心地の良かった第二の我が家を後にした。


それから数日後おっさん野球帽の新居が決まった。

家賃の安さだけで選んだので、曰く付きのアパートであった。

無事に引っ越しも終わり、その日は疲れていたので、少し早いが床に就く事にした。

おっさん野球帽は布団の中で、うとうとしていた。

すると突然、閉まっていた筈の襖が「スッー」と独りでに開いた。

すると蒼白い光を放った20代のOLの幽霊が現れた。

OLの幽霊は滑らかな動きでおっさん野球帽の枕元まで進み、低い声で呟いた。

「ここから出て行け、然もなくばお前を呪い殺すぞ。」

おっさん野球帽は引っ越しで重たい物を運んだりしたので、とても疲れていて少しイライラしていた。

「ここは今日から俺の家だ!お前が出て行け!」

これが強そうな男性の幽霊であったならば、おっさん野球帽は慌てて裸足で逃げ出していたかもしれない。

しかし、おっさん野球帽は力の弱い女子供には強気な人間である。

それは幽霊とて例外では無かったので、毅然とした態度を取る事が出来た。

OLの幽霊は面食らっていた。

今までの住人達はちょっと脅しただけで逃げ出すので、幽霊としての自覚と自信も芽生え調子に乗り始めていた時であった。

その矢先に、まさか怒鳴られるとはこれっぽっちも思ってもみなかったので、一気に自信を喪失した。

OLの幽霊は地縛霊なので、この部屋から離れる事が出来なかった。

どうすれば良いか少しの間考えた後に床に三つ指を突いて言った。

「夜分遅く、お休みになっている所、大変申し訳御座いません。暫くこの家に置いて下さい。」


その日からOLの幽霊とおっさん野球帽との共同生活が始まった。

おっさんは野球帽は、威厳を示す為にOLの幽霊に厳しい口調で言った。

「家賃払わないならせめて俺のルールに従って俺の役に立て。

ルール1、家事は当然、全てお前がする事。

ルール2、俺の起きる時間を予測して朝食の準備をする事。

ルール3、俺が箸を付けるまで食事には手を付けてはいけない。

ルール4、俺が寝るまでは決して寝てはいけない。

家に置いて貰っているんだと言う謙虚な気持ちを決して忘れるな。」

「はい、ご主人様。」

おっさん野球帽は自分に甘く他人には厳しいので、

おっさん伊達メガネの家で家賃を払わず同居していた時の傍若無人な振る舞いを完全に棚に上げていた。


一緒に暮らしていく内に二人の距離は縮まり、お互いがお互いを掛け替えのない存在と思う様になって行った。

おっさん野球帽もOLの幽霊が待つ家に帰るのが楽しみとなった。

「あなたぁ~、ごはん出来ましたよ。」

「今日のメニューは何だ?」

「あなたの大好きな肉じゃがよ。」

「こりゃ美味そうだ。お前の料理にはどんな料亭の板前も敵わないからな。」

「まぁ!そんな事言っちゃってぇ~。」

「ははははは!」

おっさん野球帽は幸せの絶頂に居た。

OLの幽霊もおっさん野球帽を心から慕い、愛していた。


そんなある日、おっさん野球帽はOLの幽霊の事をもっと知りたいと思い、今まで二人が避けていた話に踏み込む事にした。

「どうしても、お前に聞いておきたい事があるんだ。話したくなかったら無理にとは言わない・・・」

おっさん野球帽はいつになく真剣な表情をしていた。

OLの幽霊もその表情から徒ならぬ物を感じ取っていたので、何が聞きたいかを悟った。

「どうして私が地縛霊になったか、ですよね?

私も何時かちゃんと話さなくちゃと思いながらも、ずっと言い出せずに先送りになってしまってました。

悔しくて、悲しくて、未だに気持ちの整理が出来なくて上手く話せるかどうか分かりませんが聞いて下さい・・・」

OLの幽霊はおっさん野球帽の複雑な感情を察して、無理に作り笑いをして言った。

おっさん野球帽も、話の内容がどの様な物であっても、OLの幽霊を思う気持ちは変わらないという自信があった。


OLの幽霊は覚悟を決めて、おっさん野球帽と一瞬目を合わせ、それから直ぐに視線を逸らせて語り始めた。

「私は生前、人から後ろ指を指される様な恋をしていました。

出会った時に彼は私に独身だと言っていましたが、妻帯者だったのです。

それを知った時には彼を心から愛していて、彼無しの人生が考えられなくなっていました。

それに、お腹の中には彼との赤ちゃんが居たので奥さんと別れて欲しいと頼みました。

すると彼から、そんな事をすればお前とお前の赤ん坊を殺すと言われました。

その日から私は何者かに命を狙われる様になりました。

依頼主は彼である事は明白でした。

私は直ぐに警察に訴えました。

しかし、捜査が始まって直ぐ、何らかの圧力により捜査の打ち切りが決定しました。

私は私自身とこれから産まれて来る子供の命を守る為、彼を殺すしかないと決意しました。

そして、彼をこの家に呼び出し毒殺する計画を立てました。

当日、彼は私の呼び出しに応じて、この家に遣って来ました。

階段を上る足音が聞こえ、彼が扉越しに立った時、私はこれで殺し屋に怯える事なく生きられると思いました。

そして扉を開いた次の瞬間、彼は背中に隠していたナイフを私の胸元に突き立てたのです。


彼は警視庁のトップだったので、この事件を捏造するのは容易だったと思います。

程なくして、この一件は寂しいOLの自殺として処理され、ニュースで報道される事もありませんでした。」


おっさん野球帽はこの世に、こんな理不尽な事があっていいものかと、激しい怒りが込み上げて来た。

OLの幽霊を苦しめた男をこの手で殺してやりたい気持ちになった。

「殺そうとした相手に逆に殺されるなんて笑っちゃうでしょ。

神様は私に罰を与えて、死後も恨みを抱いたまま彷徨い続ける地縛霊にしたみたい。」

OLの幽霊の目は涙で一杯になっていた。

おっさん野球帽は何も言わず、OLの幽霊を強く抱き締めた。


そんなある日、おっさん野球帽は仕事中に急に意識を失って倒れ、病院に運ばれた。

心配したおっさん伊達メガネと、おっさんやチョコレートも病院へ駆け付けた。

一通りの検査が行われたが何処にも異常は見られずその日の内に退院した。


おっさん野球帽はOLの幽霊を心配させたく無かったので、何事も無かったかの様に家に戻った。

「ただいま!」

「お帰りなさい。今日は何時もより遅かったわね。」

OLの幽霊と出会うまでは仕事が終わった後は何時も飲みに行っており、家は寝るだけの空間としか思って無かった。

しかし、OL幽霊と出会ってからはおっさん野球帽は真っ直ぐ家に帰って家とはこんなに暖かいものだと感じていた。

「お風呂沸かしてますから先に入って来ます?」

「ああ、そうしようかな。」

おっさん野球帽が裸になり、風呂に入ろうとしたその時、ズボンのポケットに入れていた携帯が鳴った。

電話はおっさん伊達メガネからだった。

おっさん野球帽は今日倒れた事を心配して電話して来たのだと思い、OLの幽霊に倒れた事を聞かれない様にする為、浴室に入り、扉を閉めて電話を取った。

「やっと出てくれた。最近ずっと俺達とも遊んでくれなかったし、かと思えば急に倒れたって連絡があるし、この数ヶ月、一体どんな生活を送ってたんだ?」

おっさん野球帽はこれまでのOL幽霊との出会いから今日に至るまでの出来事、行く行くはOLの幽霊と結婚したいと言う事を洗いざらい話した。

「そうか・・・そんな事があったのか。」


おっさん野球帽が一向にお風呂から戻って来ないので、湯船で寝てしまっているんじゃないかと心配してOLの幽霊がお風呂のドアの前に立った。

大きな話し声が聞こえたので安心して、バスタオルと着替えを出して部屋に戻ろうとしていた。

「今日久し振りに会ってビックリしたぞ、げっそり痩せて魂が抜かれたみたいに顔色も悪くなっていたし。

健康状態に異常が無いのに倒れて運ばれるなんて、その幽霊に取り憑かれたのが原因じゃないのか?

お前、このままじゃ魂を抜かれて死ぬんじゃないのか?」

「そんな事あるもんか!俺が倒れたのはあいつのせいじゃないし、あいつが俺の寿命を縮めてるなんて事絶対に在り得ない!

これ以上変な事言うならいくらお前でも許さないぞ!」

実はおっさん野球帽自身もその事を考えてしまった事があった。

そんな事を一瞬でも考えてしまった自分が恥じずかしく、その時は死んでしまいたい気持ちになっっていた。

だから、その話は誰からも聞きたく無かった。

もし仮に寿命が縮まるとしてもOLの幽霊と一緒に居られるなら何の後悔も無いと思っていた。

そして、OLの幽霊が居ない生活の方が耐えられないと思っていた。


OLの幽霊は二人の会話を偶然聞いてしまい、ショックの余り、持っていたバスタオルが指から擦り抜けた。

「あの人が私のせいで倒れたなんて・・・私があの人の寿命を縮めてるなんて・・・」

OLの幽霊も薄々気付いていた。

食事もちゃんと摂っているのに日に日に窶れて行くおっさん野球帽の姿を一番近くで見ていたからだ。

「知らず知らずの内にあの人から生気を奪っていたなんて・・・」

OLの幽霊は、おっさん野球帽との生活が幸せ過ぎた余りに、現世に留まり続けた事を後悔した。

「とうとう楽しかった夢から覚める時が来たみたい・・・」

OLの幽霊は寂しそうな表情で呟いた。


部屋に戻るとOLの幽霊はおっさん野球帽に宛てて一通の手紙を書き始めた。

手紙を書いている途中、これまでの幸せだった日々が蘇り涙が出て来て、インクが涙で滲んだ。


「タオル用意してくれてありがとう!今日もいい風呂だったなぁ!」

おっさん野球帽が風呂から上がり部屋に向かって歩き始めた。

いつも風呂上りに声を掛けてくれるOLの幽霊の声が聞こえなかったので、辺りを見回してOLの幽霊を探し始めた。

「おーい、何処に隠れているんだー。」

するとテーブルに置かれた、"おっさん野球帽へ"と書かれた手紙に目が留まった。

この時、おっさん野球帽は何か嫌な予感がした。

おっさん野球帽は恐る恐る手紙を開いた。




“おっさん野球帽へ”



さよならも言わず突然居なくなる私をどうか許して下さい。


思えば、私達の出会いは最悪なものでしたね。

初めて会った時、私はあなたを家から追い出そうとして脅しちゃったりしましたね。

あなたは、そんな私を急に鬼の様な形相で怒鳴り付けて・・・

実はあの時、幽霊である私の方が恐くなって泣いちゃいそうでした。


私を必要としてくれて、こんなにも大切にし想ってくれたのはあなただけでした。

恨みを持って現世に留まった私が、恨みを忘れてこんなにも人を愛する様になるとは思いもよりませんでした。

あなたと過ごしたこの日々は今まで生きて来た中で一番幸せな時間でした。


生きている時にあなたと出会っていれば、きっと今頃は幸せになっていたかなぁ~


私が居なくなって注意する人が居ないからって、お酒は飲み過ぎちゃダメですよ


お体にはお気を付けて、どうか私の分も長生きして下さい。


今まで、本当にありがとう御座いました。


天国からいつまでもあなたを見守っています。

私は天国じゃなくて神様に地獄に落とされるかぁ~(笑)



“OLの幽霊より”




おっさん野球帽は手紙を握り締めて、大声を上げてワンワン泣いた。

「俺はあいつに何もしてやれなかった・・・

これから今まで苦しんだ分、幸せにしてやろうと思っていたのに・・・」

そしておっさん野球帽は引き出しに大事に仕舞っていた包を乱暴に取り出し、その包を持ったまま裸足で外へと飛び出した。

外は大粒の雨が降っていた。

おっさん野球帽は天を仰ぎ、叫んだ。

「あいつを返してくれ!神様お願いだ!このとおりだ!」

生まれてから一度も、人に頭を下げた事の無かった頑固なおっさん野球帽が、存在するかも分からない神様に向かって縋るような思いで必死に頭を下げた。

降り頻る雨の中、びしょ濡れになりながら何度も何度も地面に頭を擦り付けながら・・・


その手に握られた包には、柄にも無くOLの幽霊を喜ばせようと思って買っていた髪飾りが入っていた・・・




おっさん野球帽はそれから毎日欠かさず、駅前の寿司屋でOLの幽霊が大好きだと言っていた、いなり寿司を買って帰った。

今にして思えば、お金の無い自分に気遣って一番好きな寿司はいなり寿司と言ってくれたていただけだったかもしれない。


今でも家の扉を開ける時には心臓の鼓動が早くなる。

あの頃の様にOLの幽霊が“あなた、お帰りなさい。”そう言って素敵な笑顔で待ってくれている気がするから・・・



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