第15話 失恋

『数式だけでは殺せない』は結果を言えば一次も通らなかった。理由は分からないが、可能性のひとつに「僕が〆切を一日間違えていた」というのがある。たまにやらかすんだ。去年も〆切を一年勘違いしていた。


 まぁ、それはさておき、『数式』の失敗を受けちょっと修練を積もう、という話になり、二カ月ほど「十日に一本原稿用紙四十枚くらいの短編を書く」という修行をした。面白かった。多分速筆はこの頃培われた。


 少し話を戻すと、僕は雪の妖精への失恋をかなり引きずっていて、大学三年の半ば頃まで酒浸りだった。


 この頃、所属していた太極拳同好会で、中谷康司という呼吸生理学と東洋的身体技法の研究者から陰湿ないじめに遭って、僕はサークルを辞めていた。


 でも太極拳関連でお世話になった谷川まさる先生に「大きくならなくていい、自分になれ」「太極は武術じゃない。人生だ。生涯をかけて練習してみなさい」という言葉をもらって少し目を覚まし、バイト先の店長に頼み込んで箱根の二週間泊まり込みのバイトを紹介してもらった。


 新鮮な空気、綺麗な星空、周囲の人たちの優しい人柄……僕の親父と同い年なのに僕と一緒になって笑ってくれるおじさんがいたんだ……そして熱い温泉が僕を癒した。夏休みが終わって、秋を迎えた頃。妻ちゃんが僕の近くにいた。


 彼女はドイツ語選択で一年の頃から同じ講義をよく受けていたから、たまにしゃべる仲だった。だから親しみを持っていたし、友達だった。そんな友達が、彼氏にひどい扱いを受けてフラれていた。


 僕はその彼氏さんのことをよく知らなかったのだが、周囲の話を聞く感じちょっとナルシストなところがあったり、世間知らずなところがあったりする人だったらしい。「一度社会に出て痛い目に遭えばいい」なんてことを言う女の子もいた……彼女もひどい扱いを受けたのだろうか……。


 そういうわけで、傷心の妻ちゃんがいた。僕は何となく、癒したい気持ちになっていた。酒浸りから抜けて、そして箱根の山で生まれ変わって、人を思いやる余裕ができていたのかもしれない。とにかく冬、僕は妻ちゃんと仲良くなり、そして三月、妻ちゃんを連れて渋谷に行き、そこで付き合うことになった。付き合った翌週に僕の誕生日があったので妻ちゃんはひどく慌てたらしい。


 と、私生活を見れば順調に人間に戻りつつあったが、小説の方は駄目だった。僕と将吾がすれ違い始めた。


「トリックが浮かばない」

 どうやらスランプだったらしい。彼は苦悩していた。でも僕はそれに気づけなかった。僕は僕で苦難を迎えていたからだ。


 僕はもう四年生だ。就活も始まっていた。それが最高に最低だった。一応出版業界のコネをたどってはみた……僕の大学には秘密の人脈があって、中年のおじさんを接待すればそれなりに優遇してもらえる通称「セミナー」があった……が、どいつもこいつも女の子を撫でまわして男の子を顎で使うことに快感を見出している変態ばかりで、嫌気がさした。法学部の聡明そうな女子が犬になったおじさんにベロベロされていたのは今でも覚えている。


 マスコミは駄目だ。でも他にやりたいことなんてない。

 公文式でバイトをしていたのだが、教えていた女子高生が僕に親しみ過ぎて……女子高生は「先生」に入れ込みやすい……教室長にそれとなく注意を受け、そして「生徒から人気が出るなら教育業界に行ってみたら?」と言われた。受けてはみたが、例えば「速読をすれば知能が倍になる」なんて似非科学を信奉しているような連中が大半だったので辞めた。偉そうなことを書いているが要するに僕は意識が低くて何もかもが馬鹿に見えているどうしようもない馬鹿である。


 そんなこんなで適当に就活をしていると八月になり、しかし親からは「二十三を過ぎたら家を追い出す」と言われ、誕生日まで残り八カ月、行き場もなくうろうろしていたら、横浜のIT企業が僕を拾ってくれた。ここからいよいよ本格的に頭がおかしくなる。


 そもそもが小説以外に興味がないのだ。社会に貢献したいと思っていなかったし貢献しなきゃいけないとも思っていなかった。社会なんてどうでもいいのだ。小説家になれれば。


 僕の中の順序としては小説の次に来ていたのは心理学だったので、小説家が駄目だとしたら心理学の学者になりたかった。だが当時「高学歴ワーキングプア」が話題だったので文系の院なんて最悪の選択肢だと親の世代は思っていた。


 小説も駄目、心理学も駄目、何もかも駄目、生きているのも駄目。そう思い始めた。この頃既に鬱だったのだと思う。頭の中には泥が詰まっていたし筋肉は綿のようになっていた。


 そこになってようやく将吾がネタを思いついた。けど僕はもう病気だったので碌に文章を書けない。恥を承知で言えばこの時将吾がどんなトリックを話したのか全く覚えていない。


 とにかく文章を書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、いつもなら三カ月で済むところを六カ月近くかけて、四年の冬、ようやく『放課後テロリズム』と名付けた作品を上げた。それを読んで、将吾がため息をついた。


「これはまずいね」


 それから将吾が小説のネタを言ってくることはなくなった。

 僕は就職した。

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