第14話 またしても

『ボナパルトへのフィリア』は僕の人生最長の作品かもしれない。

 単純に原稿用紙換算で六百枚ちょっと。文字数は忘れたが三十万に届かないくらいは書いた。何でそんなに膨らんだのかと言うと、前も話した通りこれはあくまで「プロバビリティ」の話だからひとつのトリックで完結しない。「死にそうな」仕掛けを何個も何個も何個も何個も書く。ある意味写経だったと思う。


 そうして書いた『ボナパルトへのフィリア』を、僕たちは日本ミステリー文学大賞新人賞に応募した。〆切が近くて間に合いそうだったことと、賞金五百万が魅力的だったからだ。後、それなりに名前の知られた賞だったので、作家になれた後も仕事が取りやすいと思った。作家は自営業だ。自分で営業をかけないといけないから、それなりのバックボーンが欲しかった。名の売れた賞をとれば営業もかけやすい。


 全二百三作の応募だった。その中から二十作が一次選考を通る。一次選考通過者には出版社から連絡が来ることがネット伝手の情報で分かっていた。電話番号は僕のものを書いた。祈るような気持ちで待った。


 電話がかかってきた。自筆未発表作品で間違いないこと、二重投稿などはしていないこと、そんな確認をされたがそんなことはどうでもよかった。倍率十倍を通った! 


 連絡をくれた編集者の方は、何となく中年っぽい掠れた声をしていたが、気さくな方で、感想をくれた。もちろん一言程度、しかもぼそっとしたものだったが僕は嬉しかった。


「変わった作品でしたね」


 変わった作品。それはポジティブに捉えれば「オリジナリティのある」作品だ。これは上手くいくんじゃないか。そう思ってさらに結果を待った。


 しかし結果は駄目だった。その年の受賞作は『カウントダウン168』、出版題名は『代理処罰』という作品だった。気になったら「第17回日本ミステリー文学大賞新人賞」で調べてみてほしい。一応サイト上に僕たちの名前がある。


 駄目ではあった。結果を見れば。でも編集者から連絡があった。これは大きな成果だった。しかも「変わった作品」だ! 


 次を書こうということになった。夏。僕は大学三年。少し、焦っていた。在学中にデビューした方が就活をしなくて済む。でも将吾は一浪しているから僕より一年余裕がある。


 今にして思えばこの頃からすれ違っていた。一年の差は大きかった。僕は焦っていたけど彼は焦っていなかった。


 でもこの頃はそのすれ違いが奇跡的な作品を生んだ。タイトルを先に言おう。『数式だけでは殺せない』だ。


「『間違えた探偵』、っていう新ジャンルはどうだ」

 僕の提案だった。

「探偵が間違えたら駄目だろ」

「まぁ、聞けよ」

 僕はいつか将吾がやったみたいに指を一本立てた。

「ミステリーを読む時、読者は推理するよな? 推理しない読者もいるが、『本格ミステリー』を読みに来る読者は大抵推理するはずだ。つまり、多くの場合『探偵と同じ思考経路をたどろうとする』」

「なるほど」

「ここでミスリードする。つまりだ、『探偵の思考をたどりやすくする』んだ。読者は当然それに従って物語を読む。そして最後、ラストシーンで……」

「ひっくり返す」

「そう。探偵は間違えていた。必然読者も間違える。読者は探偵の思考をなぞって『やった! 俺の考えは合ってる! 俺の勝ちだ!』と酔いしれる。そこに来ての……」

「フィニッシングブロー」

「そう。探偵の推理を全部ひっくり返す。探偵は間違えていて、犯人が『本当の殺し方』を暴露する」

「それミステリーとしてどうなんだ?」

「成立するように書けばいい」

 主に作文上の問題だと思っていた。冒頭にそれっぽい描写をしておく、とか、自分の考えがひっくり返されても納得できる心情描写をする、とか。


「僕は探偵の思考を作ればいいのか」

「そう。殺し方はシンプル。バットで殴るとかでいい」


 そういうわけで『数式だけでは殺せない』を書いた。

 これが妻ちゃんの心に響いた。

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