第13話 確率の問題
『アリスのドッペルゲンガー』をどこに応募するかは迷った。
一応ミステリー作家を志望しているわけだし、ミステリーの賞に、とは考えた。でも僕たちには実績がなかった。二人でまともに書いたのは『アリス』が初めてなのだ。
僕は、フロンティアと、このミスと、小説現代に実績があった。どれかがいいだろうという話になった。
フロンティア……賞金額もそこそこ。競争率も低そう。
このミス……賞金額は破格。でも競争率は高そう。
小説現代……賞金額もそこそこ。競争率も高そう。
以上が将吾が分析した各賞の傾向だ。賞金についての比較は僕が頼んだ。五百万以下を「そこそこ」評価とした。だって乱歩賞は一千万でこのミスは一千二百万だ。七百万くらいの賞金だってあるし妥当だとは思う。
上の比較だと、フロンティアが一番競争しやすいように思えた。とにかく実績。そういうわけで僕たちは『アリス』をフロンティアに投げた。
結果は三次選考止まりだった。でも初めての応募だ。僕たちは舞い上がった。もしかしたら、これは、もしかしちゃうぞ。
「次だ。本格ミステリーで行こう」
そんな話になったのが冬だったと思う。フロンティアの結果が出たのが秋頃だったと記憶しているので、少しの間を置いて、という感じだった。
「登場人物練り直すの面倒くさいな」
「使い回そう」
「それありなの?」
「バレなきゃいいんじゃない」
「それもそうか」
「トリックは? できそう?」
「実は一個ある」
それから将吾が語り始めたトリックは次のようなものだった。
「風呂の排気口あるじゃん」
「排水口じゃなくて?」
「排気口。換気扇とか回すところ」
「ある」
「あそこにドライアイスを置くんだ」
「ドライアイス?」
僕は僕が高校時代書いた初めての長編小説を思い出した。あれのトリックに使ったのもドライアイスだ。
「ドライアイス解けるよな」
「解ける」
「二酸化炭素。重たい物質だ。風呂の下の方に溜まる」
「うん」
「一方の湯舟だ。小さな規模での上昇気流が発生しているのは想像つくな?」
「そりゃ温まってるからな」
「湯船の、水面付近は空気が薄くなってるんだよ」
「なるほど」
「そこに二酸化炭素だ。大量の」
「うん」
「風呂に浸かっている人は酸欠になるな?」
「なるね」
「急激な変化じゃない。徐々に起こる変化。つまり、風呂の中にいた人間は徐々に酸欠になり、そしてある値に達した時意識を失う」
「うん」
「風呂で溺れる。チェックメイト」
「それ確率低すぎないか?」
すると将吾が笑った。
「それなんだよ」
それから将吾は様々な「可能性」について話した。
「十個あるグラスの内一つにエチルアルコールを入れる。このエチルアルコールはアルコールが分解される過程である程度発生しうる毒だから飲酒した人間の体内から見つかっても怪しまれない。それを致死量未満」
「確率は十分の一だな。しかも致死量未満なら死なない」
「アルコールの量を重ねたら?」
「死ぬかも」
「船の上。手すりの一部が脆くなっていて、そこに被害者を誘導したら……?」
「死ぬかも」
「階段の一番上。例えば新聞紙。踏んだら転ぶ。落下すれば……?」
「死ぬかも」
「タクシーの助手席。事故に遭えば多くの場合運転手は反射的にハンドルを切る。もし、右に切ったら助手席の人は……?」
「死ぬかも」
「だろ」
「さっきから何だ? 『死ぬかも』ばっかり……」
「それなんだよ」
将吾は指をひとつ立てた。
「『死ぬかも?』を重ねる。つまりだ、殺す一歩手前までやっておいて、後は運に任せる。確率は良くて二分の一、下手すれば百分の一とか、千分の一だ。でも回数を重ねれば? 百分の一を百回やったら? そうして『偶然にして』被害者が死んだら、法律は犯人を裁けるか?」
ぞくりとした。素晴らしいアイディアだった。
「犯人がすることは簡単だ。『下手したら死ぬ』環境に被害者を置く。こっそりな。後は運に任せる。運が味方してくれるまで何度も何度も繰り返す。失敗したことは誰にも分からない。逆に成功すれば犯人の目的達成。どうだ」
「……前例があるな」
ネタバレになるのでタイトル名は伏せる。だが江戸川乱歩。そして藤子・F・不二雄。
「それを本格ミステリにした例は?」
「乱歩。だがあれは犯人の告白、だな」
「その謎を正面から解いた例は?」
「ない……かも」
そういうわけで僕たちはこの「確率の殺人」に着手した。
後にこの手の話は「プロバビリティの犯罪」と呼ばれていることが分かったが、僕たちは偶然にして……そう、偶然にして……そこに辿り着いた。
『ボナパルトへのフィリア』
そう名付けた「プロバビリティの犯罪」の小説を僕たちは書いた。
舞台は豪華客船。客室の中で死んだ女性について二人の大学生が謎を解く……。
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