第9話 くすぶる想いは

 この頃から寝ている時に夢を見るようになった。今も時々見る夢だ。


 草原の中に小さな丘があって、その丘の上に立派な木が一本聳えている。

 ただの木。「木」と言われて多くの人が思い浮かべるであろう木だ。しかし奇妙な点がひとつだけある。


 実がなっているのである。縦長で、大きな。

 最初、僕はかなり遠くからその木を見つめている。少しずつ、警戒する足取りで近づく。

 何故か恐怖が胸を支配する。前を見ていられなくなる。でも足だけは止まらなくて、やがて僕は木の下に辿り着く。太陽でも見上げるように手をかざして目線を上げ、そこで悲鳴を上げる。


 なっている実は僕なのだ。首を吊った僕だった。

 見ているこっちが引くほど顔面蒼白で、体に力はなく、だらりとぶら下がって……。


 この夢にはバリエーションがあって、ぶら下がっている僕の目がかっと開くパターンもあれば、気づけば僕がぶら下がっている側だったり、どうやら僕を吊り上げたらしい犯人……何故かいつも顔を忘れる……が自慢げに「いい木でしょ?」と聞いてきたりと、手を変え品を変え僕を苦しめるのだが、幸いなことに頻度はそれほど高くない。今年に入ってからはまだ一回しか見ていない。病気の寛解と共に頻度は少なくなっている、気はする。


 そういうわけで僕は二度目の体育祭を迎えることになる。

 この時知り合った園江先輩という人は今でも懇意にしてくれる。


 彼は成功者だ。それも気取らない成功者。いつも飄々としていて、「俺なんか大した器じゃねーよ」なんて言う人だった。ついこの間、彼から「子供が生まれたから会いに来てくれないか」と言われた。それでも僕はこんなだから、会うのは断念した。生まれた赤ちゃんも僕に祝われても嬉しくはなかろう。奥さんだってこんな落伍者を好きになるはずがない。


 でも僕は園江先輩と一緒に体育祭に没頭することで雪の妖精を忘れることにした。でも雪の妖精の方が忘れさせてくれなかった。


 僕の学校は図書室が大きすぎて「図書館」と呼ばれているのだが、この二度目の体育祭の時期に、「図書館美人」と呼ばれる女の子が現れたのだ。


 何でもふらりと図書館に現れては勉強をして帰っていく。人に邪魔されたくないのだろう。いつも誰も使っていない、人のまとまりから少し離れた机を使っている。遠目にしか見えないから誰かは分からないが、しかしとにかく美人らしい。そういう噂だった。


 僕も図書館で勉強していたので、その図書館美人を何度か見かけることがあった。ただ僕はこの頃ひどい近視で、やっぱりその図書館美人が誰なのか分からなかった。


 でも、でもある日。


 図書館美人を見かけた。それはいつものことで、僕は「今日も綺麗だな」くらいのことを思った。近視で顔も碌に見えちゃいないのだが、雰囲気がとにかく美しかったのだ。


「小川くん」


 勉強をしていると声をかけられた。振り向くと雪の妖精がいた。


「はい」


『世界のKitchenから』というブランドが、ある時期だけ出していたキャラメル菓子が彼女の手にあった。どうやら差し入れらしい。僕は「ありがとう」と受け取った。


 それからが衝撃だった。彼女が返っていった先。雪の妖精が座った席。それはあの「図書館美人」が座っていた席だったのだ。


「図書館美人が去った後、雪の妖精がその席に座っただけ」。その可能性はある。だが、だが。


 僕には分かった。あの雰囲気、既視感があると思ったらそういうことだったのだ。図書館美人の正体は雪の妖精だった。


 こうして僕は三度目の失恋をした。そしてこの失恋が、僕にアイディアを授けてくれた。


 僕は当時、小説家になりたいと思っていた。推理作家に。江戸川乱歩賞をとって推理作家になりたいと思っていた。

 でもそんなのは絵空事で、応募さえしていない僕が語れた夢じゃなかった。

 僕は夢を追っていた。夢追い人だった。


 Daydream Believer。そんな言葉がある。直訳すると「白昼夢の信奉者」。意味は「いつまでも夢を追い続ける馬鹿な奴」というものらしい。


 僕はDaydream Believerだった。こんな僕を、雪の妖精は笑うんだろうな。そう思うと小説が書きたくなった。


『夢追い人』のアイディアが降ってきたのはその時だった。


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