第7話 酷評と恋
『また会えるなら夕暮れ時に』
僕の初長編ミステリーはそういうタイトルだったと思う。何でこのタイトルにしたのかは忘れた。作中で短歌を詠ませたのだった気がする。その下の句をとったのかな。
ひどい評価だった。身内の作品は贔屓する文化のある文芸部内の評価でさえ散々。寝ている僕の……厳密にはもう起きていたのだが何となく起き上がるタイミングを逸していた僕の……真横で女の子たちが「あれはない」と悪口を言うくらいの出来だった。この経験がきっかけで僕は女性不信に陥るのだが、それでも性的対象は女性だったので、恋をした。それがフェンシング部の女の子だった。
臭い表現をしよう。
彼女は雪の妖精のように麗しかった。繊細で、柔らかくて、そして可憐だった。
聡明で、太陽のような笑顔で、それでいて剣の腕前も部内一位という、天から二物も三物も与えられて借金地獄なんじゃないかというくらいよくできた女の子だった。
折しも女性不信に陥っていた僕は、恋をしたその子も僕の悪口を言っているんじゃないかと思い込んで、碌に話もできなかった。では何故恋をしたのかと言うと、彼女は何かにつけて僕を褒めてくれたのである。
例えばクラス対抗のディベート大会。僕と彼女は同じチームだった。
確か死刑制度の是非についてだったと思う。どっち側についてしゃべったのかは忘れたが、僕は随分刑罰の歴史について調べて、それを根拠に論を展開した。
「さっきは助けてくれてありがとう。さすがたくさん調べてくれただけはあるね」
僕の何が彼女の助けになったのかは知らないが、彼女は僕が一生懸命調べていたことを見ていたらしい。それが嬉しかった。
英語のスピーチ大会。
ジャングリッシュについて話した。要するに、「日本語訛りの英語」についてだ。サムライ・イングリッシュとも言われる。僕は言語の多様化を肯定する一方で、論文などの公式の場ではジャングリッシュは好ましくない点などを話した。
「面白い視点だった。私、語学好きなんだけど、もっと勉強したいと思った」
自分の考えを面白い、と言ってもらえたら嬉しい。あの時僕が何と返したのかはもう思い出せないが彼女はかわいらしく笑っていた。あの笑顔だけ妙に覚えている。
体育祭の後片付けでもそうだ。
外で真っ赤に日焼けするほど作業をしていたら、彼女がスポーツドリンクを差し入れてくれた。疲れた体に気遣いが染みわたって嬉しかった。
「日焼けすると赤くなるタイプ? 私もなんだ。早くよくなるといいね」
タオルを肩にかけて汗をぬぐう彼女は眩しかった。外の太陽なんて霞むくらいに。
そういうわけで僕は彼女に恋をしたのだが、僕は『また会えるなら夕暮れ時に』の酷評で自信を大きく失っていた。僕なんかが彼女の視界に入るのさえ畏れ多いことだと……そして彼女にとって僕が視界に入るのはおぞましいことだろうと……思っていた。
この時将吾は何をしていたのかと言うと、剣道の稽古をしていた。
剣道は嫌だ。でも体育祭はもっと嫌だ。
そういう理論で彼は剣道部での活動に勤しんでいた。僕はいつものように金曜日に文芸部に行って、たまに新聞部で活動して、主に剣道部にいて、という時間の過ごし方をしていた。僕の恋は始まった時から失恋しているようなものだったので、稽古にはそれなりの熱量で励んだ。あの頃の技の冴えは最高だったと思う。
そうして、やってきた。
僕の抑鬱期。他のエッセイでも話しているが、僕の精神病の気配は既にこの頃からあって、高校一年生の冬から二年生の春にかけて、僕はどうしようもないほどの無力感に襲われていた。
一因に、『また会えるなら夕暮れ時に』の酷評があったのかもしれない。
一因に、あの雪の妖精への片思いがあったのかもしれない。
一因に、過度に部活の練習に打ち込み疲弊したことがあったのかもしれない。
とにかく僕は精神を病んだ。何もできなくなったし何もしたくなかった。呼吸さえ、心臓の脈動さえ。
しかしそんな時でさえ、ミステリーは、将吾は、僕の傍にいた。
「もう書かないのか」
あいつからそんなメールが来たのは、新学期が始まってすぐのことだった。
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