第5話 親父は殺せたか? 

 九月の新人戦の前に越えなければならない壁があった。

 夏休み。夏季合宿である。


 先輩たちの経験談によると「部員の半分が辞める」合宿らしかった。僕と将吾は間違いなくその半分に該当する予定だった。


 剣道部を続けたくて辛い練習に放り込まれるのなら、それはそれはしんどいだろう。


 しかし僕と将吾は最初から辞める気でいたので、練習は辛かったがまだ希望のある困難だった。この合宿さえ乗り切れば、後は自由の身だ。そんな希望が僕たちを突き動かした。


 実際、合宿は悪いことばかりではなかった。


 合宿の夜。辞めるつもりで手を抜いていた僕と将吾は、疲労困憊の果てに泥のように眠る、という経験をしなくて済んだ。つまり、夜中に自由時間ができたのだ。


 あの夜、将吾が何をしていたのかは知らないが、あいつは夜中に一人、懐中電灯を持ってどこかへ消えた。財布を持って行っていたから、多分学校近くのコンビニにアイスでも買いに行ったんだと思う。


 僕はと言えば、「暇ならトランプしよ」と女子に呼ばれ、僕と同学年の女子たちが収容されている部屋に呼ばれて、同じ布団で寝転がりながらトランプを楽しんだ。他の男子は練習でへとへとだったから知らないだろうが、女子という生き物は妙にバイタリティに溢れていて、きつい練習の後でもはしゃげるだけの元気があった。


 皆さんご存知の通り、剣道というのは異常なまでに汗臭いスポーツだが、女の子の汗は臭いには臭いのだがどこか甘ったるくて、何となく不思議な思いをしたことを覚えている。


 実はこの合宿で手を抜いていた男子はもう一人いて、そのもう一人、偉大なる三人目、塚本くんはちゃっかり部員の女子と恋愛関係になっていたのだが、僕と将吾はそんなことは知らず、お互いの夜を楽しんでいた。


 でも、これは多分、だが。


 おそらくあいつはコンビニの行き帰り。

 そして僕は女の子の布団に寝転がっている最中。


 ずっとあのことを考えていた。水蒸気爆発で人を吹っ飛ばす話。時限式爆弾。そのトリック。あるいは爆弾の材料について……水蒸気で吹っ飛ばすことは分かっていても、何をどう膨張させて爆発させるかは決まっていなかった……。


 僕が何故そんな憶測をここで話すのかと言うと、合宿最終日の帰り道、将吾が僕に告げたからだ。


「ドライアイスだ。誰でも簡単に手に入って、なおかつ状態変化で体積が大きくなる物質。二酸化炭素だ」

「ドライアイスを何に突っ込む?」

 水蒸気爆発には色々なパターンがあるが、極端な話をすればめちゃくちゃ冷たいものをめちゃくちゃ熱いものにぶち込んで体積の変化で爆発を起こす、そんな原理だった。僕の問いに将吾は答えた。

「熱した油」

 僕はその話を聞いた時、とても大きな爆発が起きるとは思えなかったので、首を傾げた。すると将吾が笑った。

「大量のドライアイスを使えば、それなりの規模の爆発が起こるはずだ」


 そういうわけで、僕の人生初、長編ミステリーだ。

 今まともに考えれば、ドライアイスを……それを大量に、とはいえ……熱した油に入れたくらいじゃ人が吹き飛ぶほどの爆発は起きないだろうし、実に荒唐無稽な小説だったと思う。だけど僕たちは大真面目だった。


 九月。〆切の二週間前くらい、夏休みが終わった直後に、僕は小説を書き上げた。

 表情に出ていたのだろうか。書き上げた夜の翌日、将吾が訊いてきた。


「親父は殺せたか?」


 僕の小説は、虐待を受けていた少年が父親を吹き飛ばす話だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る