第3話 女の子の脚を見ていて

 正直そいつのことはどうでもよかった。「剣道をやっていたか?」なんて質問に答えるより、僕はさっさとこの第一体育館からおさらばしたかったし、それができないなら体育館のもう半面を使って活動している女子バレー部の子たちの、白くてしなやかな脚でも眺めていた方が建設的だったからだ。


 実際、単身で動いてこの第一体育館から逃げ出す方は絶望的だったので、僕は女の子の脚を見ていた。脚に興奮する趣味は持っていなかったが、あの年頃の男子にとって露出された女子の肌は宝石より価値がある。無論目は行く。


「どうして分かった?」

 とりあえず始まった会話は終わらせないといけない。そう思って僕は返した。

 適当なところで……三往復くらい会話をして……切り上げよう。そう思っての返答だった。しかし彼は、自分から話しかけてきたくせにつまらなそうに答えた。


「バネ指。左手の小指と薬指」


 バネ指とは腱鞘炎みたいなもので、剣道の練習の際、一番力が入る左手の小指と薬指の腱が炎症を起こし、握ったり開いたりがスムーズに出来なくなる症状のことだった。彼は僕が手を握ったり開いたりする時に指がスムーズに動いていないことを見ていたのだろう。タネが分かれば何ということはない。


「中学は?」

 僕が訊くと彼はある中学校の名前を口にした。剣道の強豪校だ。

 僕も中学名を口にした。すると彼はつまらなさそうに、「知らない中学だ」とつぶやいた。ムカついたので、「僕も君のことを知らない」と返しておいた。すると彼が名前を告げた。


「〇〇将吾」

 僕も返す。

「小川〇〇」


 そういうわけで、僕と将吾は知り合いになった。彼はぼやいた。


「身長が高いからバレー部に来いって捕まえられてさ……」

「どいつに?」

「金髪の」

 木村先輩だった。

「逃げるか」

 僕は共犯者が欲しかった。一人では悪目立ちしても二人でなら、トイレにでも行ったのだろうと思われるはずだ。

「逃げよう」

 彼も同意した。


 そういうわけで僕と将吾は二人してバレー部の仮入部を抜け出した。たかだか三十分程度しかいなかったのだが、まるで二年も三年も収容されていたような気分になっていて、二人のエスケープはほとんど脱獄だった。思えばこれが小川将吾の初めての共同作業だったかもしれない。


 そんな風にして二人で荷物を持って体育館から出て、その後のことはよく覚えていない。

 ただ後日、僕はフェンシング部の見学に行って、「江の島でイキってるサーファーみたいな奴らの巣窟」という評価を下し入部を諦め……後に好きになる女の子がいる部活だったのだが……仕方なく中学の延長線上にある剣道部への入部を検討し始め、将吾は県内でもかなり剣道が強かった黒川くんという男子にまたもスカウトされ、剣道部の仮入部に強制参加させられていた。


 仮入部期間最終日。

 仕方ない、と思って剣道部の活動場所に行った僕と、仕方ない、と思いながら胴着に着替えていた将吾とが出会うのは、もしかしたら必然だったのかもしれない。


 とにかく、薄暗い男子更衣室。


 僕と将吾がいた。


 これは全国区なのかどうかは知らないが、剣道男子には一部「ノーパン派」というのがいて、袴の下に下着をつけない人たちのことを指すのだが、そのノーパン派の人がいたのだろう。更衣室の棚に綺麗に畳まれたパンツが置かれていた。


 渋々着替えている将吾の後ろ姿と、おそらく先輩のものであろう……黒川くんのものである可能性もあったが……畳まれたパンツとの対比が妙に印象的で覚えている。


 そういうわけで、僕と将吾は剣道部に入った。

 袴姿だから、女の子の脚は見れなかった。

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