第二界 いい世界

「啓介!起きなさーい!」


 その声は、奇怪だった。

 頭ががんがんと重く、やけに疲れている。

 そして事の重大さが、意識の覚醒とともに俺に徐々に襲い掛かる。俺の血の気はみるみる引いていき、最終的には寝起きにもかかわらず青ざめてしまった。

 俺は、自分が死んだとそう記憶している。いや、実際自分は死んだはずだった。

 しかし自分は今も生きている。

 長めの走馬燈なんてことはないはずだ。しっかり死ぬ瞬間まで記憶しているのだから。

 ふと、携帯にセットしていたアラームが鳴る。曲名は「僕を選んでくれてありがとう」。

 ちょっと待て。

 まず最初のこの世界についての違和感だ。

 なぜ俺がこの曲を聴いているんだ?この曲を聴く資格なんて俺にはないはずだ。

 それに、この曲を聴くとあの時のことが鮮明に思いだされる。あの日味わった二回の手の感覚は今だ健在である。


「おい、啓介。さっさと止めてよ」


 恵子だ。いつものようにボサボサの髪で、下着姿で通り過ぎていく。


「あ、おん」


 そう一言返すだけ返し、俺はスマホの画面を横にスワイプした。

 すると、なんということだろうか。

 開かれたスマホのホーム画面。そこに映っているのは俺と佳奈美のツーショットである。今時のフィルターをかけ、二人で指ハートを作っている。後ろの背景はUSGだろうか。


「なんだよ……、こんなの知らねえよ」


 目の前が急に真っ暗になる。いや、心の奥底では少しの光があったことを否定できるほど俺の男としての感情は廃れてはなかった。

 俺は無意識に手から力が抜けていた。その拍子にスマホが地面へ転がり落ちる。

 スマホに表示された日付は6月27日。あの記憶の丁度翌日だ。


「啓介ー!起きてんでしょー?佳奈美ちゃん来てるよー!」


 運命は時に残酷だ。いや、冷酷というべきかもしれない。

 なんせ運命は俺に失望の暇すら与えず次の謎を出題した。


「佳奈美が……迎えに来てる?」


 ありえない。そんなはずはない。だって、だって佳奈美は……。はずだ……。


「啓介―!また寝てんのー?」


 外から聞こえる聞き覚えのある声。いや、聞き覚えどころの話じゃない。この声欲しさに人を殺すほど、俺が執着した声。

 俺は、自室の窓を開け、玄関を見下ろす。

 そこにいたのは紛れもない。見まごうことのない。カノジョは、彼女だった。


「佳奈美!ちょっと待ってくれ!」


 この、「ちょっと待ってくれ」は本音である。今はただ熟考する時間が欲しい。状況を理解するだけの時間が。

 まず、状況の整理だ。

 俺はあの記憶の中で死んだ、はずだった。

 だがその記憶の翌日である今日、俺は生きて自室で目覚めている。

 夢、なんてことはないはずだ。それならこの手に残る感触が説明できないし、俺が今あの腐ったぶどうジュースの味を事細かに説明できるのもまた矛盾だ。

 そしてなにより、この世界だ。さすがに昨日までの記憶すべてが夢だったはずはないだろう。

 説明がつかないのだ。俺の彼女が佳奈美であるという説明が。

 

「あんたさー、彼女待たしといてなんでベッドに腰かけてんの?」


 恵子が、今度は制服姿になって部屋の前を通る。

 俺は無意識のうちにベッドに腰かけ、考え込んでしまっていた。

 仕方がない、このまま考えても答えは出ないのだろう。

 それに、待ち焦がれた佳奈美との登校である。それはそれで心躍るものだ。

 俺は一度考えを切り替え、そして急いで準備をした。

 カバンに入れたのは、理系の教科書だった。



「遅くなった」


「いいよ、全然。楽観してたから」


「なんだよそれ」


 その後も、俺達は屈託のない会話を続け、登校する。

 夢のようなひと時、のはずが俺の頭はすでに夢見心地どころではなかった。


「USG楽しかったね」


 その話題はまずい。


「あ、ああ。ツーショットの佳奈美、めっちゃ可愛く映ってたな」


 ここ以外に俺がUSGのことで広げられることはない。


「え?そんなことないよ~~」


 頬を赤らめ、それを両手で抑えて照れる佳奈美。

 可愛い。純粋にカワイイ。


「え?どうしたの?5組に用事あるの?」


 俺が自教室に入ろうとすると、佳奈美が慌てて止める。


「え?」


「なにやってんの?トンチンカンかましすぎだよw。私たちは四組じゃんww」


 え?そうか。そういうことか。

 その時。俺の中で全てが繋がった。この世界の分岐点についてだ。

 おそらく、この世界俺が理系を選んだ世界なのだ。だからこそ俺ははぶられていないし、佳奈美とも付き合っている。そう考えれば合点がいく。

 なあんだ……じゃん。



 でも、俺は甘かった。正直調子に乗っていた。

 この惨劇の輪廻から抜け出すことはそう甘くはなかったのだ。

 そう、この世界は――――

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