訪問者は後悔の情景を連れてくる04

 王太子と公爵令嬢の婚約は、両家の話し合いののち密やかに、そしてあっさりと解消された。

 世間には後々発表するつもりであるが、今の政治バランスを崩さぬようにしばらくは内密にしておくことが決定されている。


 婚約解消の原因はゴールズワージー家……と言うよりもホリィにあるわけだが、彼女の今後のことも考え、令嬢の体調が思わしくないためと言う理由をつけるつもりだった。


 これで厄介ごとの一つから解放された。

 肩の荷が下りた感覚で、カイルはほっと胸を撫でおろす。のもつかの間、とある噂がはしかのように社交界に蔓延し始めた。


 何処から漏れたのか、何とそれはカイルとホリィの婚約解消の話題。しかもかなり脚色され、歪んで伝わっていたのである。

 頭が痛くなるようなその噂を耳にしてから数日後、カイルは王宮の己の執務室にホリィ・ゴールズワージーを呼び出していた。


 執務室のドアをノックして入室した元婚約者は、泣きはらしていたのか目は真っ赤に腫れ、酷く哀れっぽい様子。

 もしや今回のことでお父上にでも叱られたのだろうかと考えていると、彼女の後ろから背の高い男が見えて、カイルはぎょっと目を見開いた。


「ゴールズワージー嬢……それと、ジェイミソン殿?貴方までついてきたのか?」

「ええ。可哀想なゴールズワージー嬢を放ってはおけないのでね。王太子、貴方と二人きりにするのは流石に胸が痛む」


 ヴィンス・ジェイミソンは爬虫類じみた冷たい目をカイルに向けて、肩を竦める。

 彼の冷たさは敵意か嘲りか。宮中での駆け引き相手がよく見せるその目をじっと見据えながら、カイルは厳しい声を出す。


「二人きりではない。俺の側近や兵士たちもいるのだぞ。その言葉、不敬にもなりかねん」

「彼らは貴方の味方だ。ゴールズワージー嬢がこの部屋で孤独なのには違いない」


 ならばヴィンスではなく、侍女や従者でも連れてくれば良かっただろうに。

 その言葉が口元まで出かかったが、これ以上無駄話で時間を潰したくないと己を律し、ヴィンスからホリィへと視線を転じる。


 真っ赤な目のホリィは拗ねたように眉間にしわを寄せながら俯き、カイルを見ようともしない。

 彼女はこんなに子供っぽい態度を他人に見せる女性だっただろうか?と内心首を傾げながら、ゆっくりと問いかけた。


「ゴールズワージー嬢、今日足を運んでいただいた理由は他でもない。君もわかっているだろう。最近出回っている、たちの悪い噂のことだ」

「……」

「俺と君の婚約解消のことを、何故か王族以外の貴族たちもすでに知っている。しかも妙な尾ひれまでついていたのだ」


 噂の内容はこうだった。

 王太子カイル・ロックウェルはホリィ・ゴールズワージーとの婚約を、一方的に破棄した。

 彼は優秀で民にも人気のあるホリィを元々妬ましく思っており、彼女をなじり文句を言う毎日。


 そんな中、自堕落な王太子は夜会で一人の男爵令嬢に出会う。

 男爵令嬢は平民育ちで貴族教育すら受けていなく、しかしカイルはその奔放さに引かれ、二人は愛し合うようになった。


 王太子はその男爵令嬢を王太子妃にと望み、そうなってくると邪魔なのはホリィ・ゴールズワージー公爵令嬢である。


 貴族主義の強いところのあったカイルは、ホリィが民のために行っている善行を糾弾した。

 そして何の瑕疵も無い令嬢を陥れ、婚約破棄を言い渡したのである。


 ……あまりにも荒唐無稽な話に、流石のカイルもあんぐりと開いた口が塞がらなかった。

 だがすぐに気を取り直し、噂の出所を探らせた。すると、とんでもないことがわかって、カイルは本格的に頭を抱えることとなったのである。


「婚約解消のことが外に漏れているだけでも問題なのに、王族を辱めるような真偽不明の噂だ。流石に俺に向かって直接何か言ってくる者はいないが、信じている者も多い」

「……」

「この噂の大元は、君だそうだな」


 戦場で敵に向けるような声色で、カイルはホリィに問う。

 こんなに厳しい態度を彼女に向けたのは初めてだった。恐ろしかったのだろう、公爵令嬢の細い肩はびくりと跳ね、自然と顔が持ち上がる。


 ぱちりと怯えた視線がぶつかり、ホリィは怖気づいて一歩後ろに下がった。と、彼女を守るようにヴィンスが前に出て、爬虫類の眼差しでカイルを見つめる。


「カイル様、それが女性に……しかも元婚約者に向ける態度ですか?平民を差別し、弱きものを恫喝し、本当に見下げ果てた方だ」

「何だと?」


 気安い物言いも普段は気にしないカイルだが、流石にこれは腹が立った。

 しかし逆にホリィはヴィンスの反撃で、己に対する恐れが消えたらしい。きっと目をつり上げながら、カイルへ向かって口を開く。


「そうです。カイル様が悪いのではないですか。私は何か間違ったことを言いました?」

「ホリィ?」

「私に難癖をつけて一方的に婚約を解消したのも、ほかの女性に目移りしたのも本当では無いですか!何故私だけが悪く言われるのです!?私は貴方がした仕打ちを、お友達に話しただけですわ!!」


 子供の癇癪のように声を張り上げるホリィに、思わず眉が跳ね上がった。

 婚約解消の理由は二人の間に出来た溝のせいだし、ローランズ男爵令嬢とは何もないと彼女に幾度も説明している。

 呆れ果てて二の句が告げられないカイルを戸惑っているとでも思ったのか、ヴィンスが覗き込むように見つめてにやりと笑う。


「貴方がいくらゴールズワージー嬢を脅そうと、平民たちも貴族たちも彼女を支持しますよ。それが彼女が積み重ねて来た善行のたまもの、そして彼女自身が持つ求心力のおかげなのです」


 何処までも持ち上げるヴィンスに、ホリィがどうだと言わんばかりに胸を張った。

 カイルはもはや、二人に何も言う気が起きなくなっていた。

 今日は彼女に噂の撤回をさせるため呼んだのだが、これでは己の言うことを聞きそうにはない。


 結局噂はカイル自身が嘘だと弁解に走り、王や王妃、側妃もこの話は荒唐無稽なので口に出さぬよう、貴族にお触れを出した。

 しかし、結局それは無駄骨に終わった。


 人の噂が流れるのは早く、そして下世話な好奇心は怒りへと変化し、一部貴族と民たちはカイルに疑心を抱くようになってしまったのである。

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