訪問者は後悔の情景を連れてくる03

 ローランズ男爵とその娘アマンダとは、その後もたびたび夜会で顔を合わせることが多くなった。

 それを見た一部の貴族たちからは、カイルと彼女が不貞を働いているという噂が囁かれるようになり、さらに頭が痛くなったことを覚えている。


 普段の仕事に、婚約者ホリィとの問題、それにこの噂。


 恐らく男爵たちは、カイルに取り入る隙を狙っていたのだと今ならわかる。

 だが当時は一つ一つを何とか解決しようと躍起になっていて、気づくことは出来なかった。


 とある夜会では一回だけアマンダから艶っぽい眼差しを向けられ、胸を当てるように腕を組まれたこともある。

 失礼にならないように追い返したが、あの時は周りの目が本当に冷たかった。

 カイルは不貞など卑怯な真似は大嫌いだったし、アマンダはあまり礼儀のなっていない令嬢でお近づきになりたいと思う人柄では無かったというのに。


「ローランズ男爵令嬢。あまり口うるさいことは言いたくないが、貴女のその態度は王族に対して不敬だ。このままではいつか貴女が恥をかくことになるぞ」


 あまり礼節に厳しい方ではないが、その時は彼女にうんざりしていたためにかなりきつい口調で叱った。

 しかしこちらの心を理解していないのかあえてなのか、微笑んだアマンダが返した言葉がこれである。


「あら。良いでは無いですか。私が前に住んでいたところでは、これが普通ですよ。ねえ、カイル様、楽しみましょうよ」


 そう言ってしなだれかかられ、カイルはため息とともに思わず頭を抱えた。

 もちろんすぐに彼女を引き離して近くにいた護衛に預けとっととその場を後にしたが、ただただ気分が悪い。

 このままでは外交のための挨拶もはかどらない。皆にどう思われているかなど火を見るより明らか。


 これはもう王や王妃、自分の母である側妃に相談し、対処してもらった方がいいのかもしれない。

 王太子として情けないが、そんなことを考えながらその日は早めに眠りについた。


 あまりに色んなことがありすぎて、カイルの精神は限界だったように思う。

 もう何も起こるなよと願っていたが、すぐにその祈りは婚約者ホリィによって儚く散らされることとなる。


 違和感に気付いたのは、ホリィが参加を義務付けられていた会議に姿を見せなかった時だ。

 彼女の父である公爵とともに慌てて探しに行ったが王城に姿は見えず、同じく慌てた様子のゴールズワージー夫人がやってきて、ようやく消息をつかめた。


「娘はジェイミソン様たちと、貧民街で炊き出しをしているようです。私たちも必死に止めたのですが……」


 真っ青な顔の夫人に告げられ、カイルと公爵は卒倒しそうになったのを覚えている。

 それ以後も彼女は王城に姿を見せることはしなかった。自分の意見に応としか言わない仲間たちとともに、『民のための活動』を優先したのだ。


「今この国に必要なのは傲慢な王族が私腹を肥やすことではありません!平民の皆さまに手を差し伸べることですわ!」


 そう言って彼女は仲間たちと共に貧民街や、戦争孤児を引き取っている教会へと足を運び、施しをする。

 一応は善行であり、民からも歓迎されているのでうるさいことは言えない。しかしいずれこの国を統治するために必要な学びをおろそかにしていいわけではない。


 もちろんカイルは婚約者にきちんと将来のために学ぶべきだと説得した。

 しかし彼女の返答はにべもない。


「カイル様のように生まれたときから苦労もなく暮らしている方には私たちの考えはわかりませんわ。私たちや平民たちが、毎日どれほど苦しんでいるか、貴方は知らないからそんなことが言えるのです!!!」


 嫌悪感たっぷりの目で言われ、カイルは思わず停止する。

 言葉もなく立ちすくむ己に、ホリィは言いくるめたと思ったのかふんと鼻を鳴らして背を向け、立ち去っていった。


 彼女の向かう先にはヴィンス・ジェイミソンと仲間たちがいる。

 仲間たちは軽やかにホリィを迎え入れ、こちらを顧みることもなく楽しそうに語り合っている。


 その光景を見て、ぷつりとカイルの中で何かが切れた。

 ああ、もう駄目だ。と心の中で自然とその言葉が湧き出てくる。


 無表情で肩を落としたカイルは、その足で王の執務室へ向かった。

 書類の山に囲まれた父王エリオットは、入室した己の顔を見るなり眉間にしわを寄せる。


 恐らくその時カイルは真っ青な顔をしていたのだろう。張り詰めた空気をまとう息子をじっと見つめてエリオットは、存外優しく「どうした?」と訊ねた。


「父上、ホリィ・ゴールズワージー公爵令嬢との婚約を解消したく思います」


 吐き出すようにカイルは言った。体裁を取り繕う余裕も無かった。


 エリオットは何故とは問わず、すぐに「そうか」と重々しく頷く。

 驚いた様子は無かった。王は執務用のチェアに深く腰かけてため息をついたあと、静かに目を伏せて何かを考えていた。


「弟……ゴールズワージー公爵からも色々と聞いている。ホリィ嬢は目先の善行だけしか見ていないようだな」

「ええ。もちろん彼女の夢や提案、民を思いやる気持ちは素晴らしいと思います。しかし些か……足元が見えてなさすぎる」

「ああ、そうだな」


 王は深く頷き、そして目を開ける。


「これは貴族ならいつかかかるかもしれない病だ。根が深い。一見善行のように見えてしまう所が特にな」

「……ええ」

「わかった。ゴールズワージー公爵もホリィ嬢には思うところがあるらしい。この婚約は考えねばいけないようだ」


 頷いてくれた父に、カイルは情けなくもほっとした。

 僅かに緊張の解けた顔でエリオットに幾度も礼を言い、お互いに抱えている仕事を片付けたら今後のことを決めようと約束を取り付け、執務室を出た。


 来る時よりも足取りが軽くなっていることを自覚しながら廊下を進んでいたが、ふと視線の先に小さく淡い色の人影があることに気が付き目を瞬かせる。


「ナタリア?」


 五歳年下の妹の名を呼べば、その影は大きな碧い目を瞬かせながらこちらに走り寄ってくる。

 流行りの色のドレスをまとった、己と同じ色の髪の毛と瞳を持つ少女である。


 彼女は正妃の第一子でカイルの腹違いの妹、ナタリアだった。


「お兄様……」

「どうした?従者も付けずにこんなところで。危ないじゃないか」


 愛しい妹の身を案じて説教じみたことを口にしてしまうが、気にせずナタリアは目を潤ませカイルの胸に飛び込んできた。

 普通ではない様子に嫌な予感を感じて、その頭を撫でながら「ナタリア」と今一度名を呼んだ。


「私、ホリィ様が怖いのです」

「……!ホリィに何かされたのか?」


 ぎょっとして妹の顔を覗きこみ訊ねると、彼女はことさら己の胸……というより腹の部分にぎゅっと顔を埋める。


「ホリィ様は私が傲慢だと言うのです。傲慢で世間を知らない私は、私財を捨ててでも民に奉仕するべきだと……」

「そんなことを……」


 カイルは今度は怒りで頭が真っ白になっていくのを感じた。

 己だけならまだしも、まだ幼い妹にまで自分の考えを押し付けるとは……。


 こうなったら早く仕事を終わらせ、彼女との婚約を解消しなければ。

 カイルは決意も新たに、すんすんと鼻をすするナタリアを抱きしめた。

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